第13話 王子様は秘密を知る<アルフレート視点2>

「移動しよう」

 顔を顰めたまま立ち尽くしていた私に、父はぎこちなくそう促した。長い廊下を進み階段を降りて、そのまま外に出る。廊下で何人もの人間にすれ違ったものの、父は付き従おうとする者たちを押しとどめて、中庭にある『祈りの場』へと私を連れて行く。

 祈りの場とは、王家の人間のための小さな教会のようなものである。

 白い石造りの建物は、そしてその周りを取り囲む木々ですら、いつでも綺麗に手入れされていた。

 木の扉を開けて中に入ると、ずらりと並んだ椅子、建物の奥には祭壇と大きな女神像が目に入ってくる。両腕を開く格好で空を見上げているその顔は美しくもあり、凛々しくもあった。


「お前も知っているだろうが、この世界は創造神であるアルディアナ様によって造られたと言われている」

 父は祭壇へと続く通路を歩きながら、そう口を開く。

 それは確かに私もよく知っていることだ。


 この世界の中心に、女神アルディアナ様が降り立った。ここに『生まれよ』と命じたから生命が生まれた。初めての生命が生まれた場所、それがこの国なのだ、と。


「アルディアナ様は、この世界にいくつもの国が生まれ発展していくのを喜んだが、人間と魔物などの戦いを見て――多くの人間が死んでいくことに悲しんだ。だから、ここに人間が平和に暮らせるよう、魔物を遠くの地に追い払い、人間に女神の守護の力を与えたと言われている」

 父がそこで言葉を区切り、足をとめる。

 それは、女神像のすぐそばである。

 今、目の前にあるのが創造神である女神アルディアナ様。その白くて細い腕に父が触れた瞬間、がちん、と重々しい音が辺りに響く。驚いてその音の方へ目をやると、どうやら出入口となっている扉に鍵がかかった音のようだった。

 さらに、視線を父に戻すと――女神像の足元に四角い穴が開いていることも解った。

 そこにあったのは、地下へと続くであろう階段だ。


「ここからは儀式の間へ入ることができるのだ」

 父は平然とその穴を見つめ、先に立って階段を降り始める。

「……儀式の間」


 私が自分の中に僅かに芽生えた不安をどうやって隠そうか悩みつつ、それでも父が一緒なら――と後について階段を降りる。真っ暗だった空間に次々に柔らかな光が灯り始め、私たちの足元だけではなく、全てを照らし出した。

 何て広い空間。

 そこに柱なんてものはなく、遠くに石の壁が見えるだけ、階段が地の底まで続くのではないかと思えるだけの場所。美しいと感じるより先に、畏怖の感情がそれを覆い隠していく。

 階段は壁側に彫られている石造りのもので、柵なんてものはないから下手に階段の端に近寄ったらそのまま遥か下に落ちてしまいそうだった。


「見えるか?」

 階段の途中で父は遥か下にあるものを指さした。

 私が恐る恐るその指先を追って下を見ると、延々と続く階段の先、そして巨大な穴の中に浮かび上がる赤い炎のような揺らめきが確認できた。

「あれが女神の守護の力の源、アルディアナ様の宝玉だ。あれがこの地にあるから、魔物が近寄れないようになっている。だが、その力はこの国一番の魔力の持ち主によって、定期的に魔力を捧げることによって保たれているだけなのだ」

「え?」

「それがこの世界が生まれた時の――この国の王に対する盟約なのだと言われている」


 この国の王に対する?


 私が首を傾げたまま固まっていると、父が薄く笑った。


「アルディアナ様は平和に対する代償を求めたわけだ。それが、王家の一員である女性によって、定期的に膨大な魔力を宝玉を注ぐこと。魔力を注いだ一族が、この国の王であるということの証明となり、アルディアナ様の守護を得られるという」

「それは……」

 私は困惑しながらも言葉を探した。「王家に入った人間、嫁いできた人間であれば問題ないと?」

「そういうことだ」


 父はそこで額に手を置いて、苦々しく息を吐いた。


「私は父に教えてもらえなかった。この儀式は王族に与えられた単なる形式的なものなのだとしか知らされてなかった。だから、何も心配はしていなかったのだ。ヴェロニカが儀式を終えてから、くすんでいた宝玉は輝きを取り戻し、魔物が――黒い影が国のあちこちに湧いていたが、それも消えた。この世界に平穏が戻った。だが……ヴェロニカはお前を産んですぐに亡くなった。体内にあった膨大な魔力が宝玉に吸われてしまってから、ずっと体調が悪かったのだ」

「母が……」

 ヴェロニカというのは王妃であり、私の母の名前でもある。

 絵姿だけでしか知らないが、優し気な雰囲気の美しい女性だった。


「……もし、こうなることが解っていたら、私はヴェロニカを妃として迎えなかったかもしれない。私は彼女を愛していたから……たとえ、結婚できなかったとしても、一緒にいられなかったとしても、彼女が生きている道を選んだだろう」

「そう、ですか」


 私は心の中が冷えていく感じがした。

 その原因は――答えは知りたくなかった。でも。


「だから、お前にはある程度の年になったら教えようと思っていたよ。お前が結婚する相手がすべき儀式のこと、そして未来のことだ。お前の婚約者は、結婚しても長生きはできないだろうと伝え、選択してもらおうと思ったのだ」

「それは」

 私はそこで、声を荒げて父に詰め寄った。「それは酷くありませんか? 儀式のせいで死んでしまうと解っていながら結婚するなんて」

「酷いと言われても仕方ない」

「しかし」

「いいか、アルフレート。私はこの国の王だ。この国が平和であることを、存続することを選ぶしかないのだよ」

 父の手が私の肩に置かれ、その爪がギリ、と皮膚に食い込んだ。

 思わず顔を顰めた私を、父は冷えた瞳で見下ろした。

「何もしなければ、宝玉は女神の守護の力を失い、魔物がこの国を襲うだろう。だが、儀式によって大勢の命が救われるのだ。次の儀式では、お前の婚約者一人の命という代償だけで大きな悲劇は起こらないまま終わるのだ。お前はどちらの道を進むべきか、解るだろう?」


 ――でも、人道的にどうなのだ。


 私はただぼんやりとそう思った。


 そうしている間に、父は私の肩から手を離し、こう続けていた。


「誰もが生まれた直後に神殿で魔力の測定を受ける。そこで、国一番と言われたのがエヴェリーナ・リンドルース嬢だった。私はね、これは都合がいいと思った」

「都合?」

「こう言っては何だが、リンドルース公爵は抜け目のない野心家だ。権力と自分の欲望には弱い男だ。だが、広大な領地を持ち、そこでこの国の消費される半数近くの穀物の収穫量を得ている。こちらとしても敵には回したくない、何とか我々の手のひらの上で管理しておきたい相手なのだ」

「つまり?」

「エヴェリーナ嬢がお前の婚約者となり、未来の王太子妃、そして王妃ともなればあの男は満足だろう。公爵としてもこれ以上の安定した地位は得られない。それに、エヴェリーナ嬢の母親も冷酷で我が儘だという悪名高き女性だったし、エヴェリーナ嬢も母親に似ていると聞いていた。だから」

「死んでもいいと思われたのですか」

 自分でも驚くほど冷たい声音になったが、父はそれに驚いた様子もなくただ笑う。

「少なくとも死ぬ相手が悪人なら、罪悪感が和らぐ。だから、お前が彼女とほとんど接触することがなくても、病弱で人前に立つことがほとんどなかったとしても妃に迎えてもいいと思っていた。いい噂を聞かなかったし、お前も気楽だろうと」


 ――でも。


 最近は……悪い噂だけではないのだ。

 今現在、聞こえてきているのは別の噂。

 エヴェリーナ・リンドルース嬢は、父親であるリンドルース嬢に虐げられていた。母親もまた、悪名高いというのは公爵が流した嘘が広まった結果であり、本当に悪いのは――公爵が屋敷に招き入れた女性が悪女なのだと。ミハル・リンドルースの母親が原因だ、と。


 でも。

 しかし。


 私は思わず、眩暈に似た感覚を覚えて数歩後に下がった。だが、急に父がそこで声を張り上げた。


「だがここで朗報だ、息子よ!」

「……え?」

 私はイラつきながらも父の声に反応する。何か悪態をついてしまいそうだと思いながら父に目をやると、それまでの真剣な思いつめた様子とは一転して明るい笑顔をこちらに向けていた。

「バルタークの学校長から連絡がきたのだが、エヴェリーナ嬢を超える魔力を持つ女性が現れたのだ! それも桁違いの魔力量! 儀式を行ったとしても命には関わらないのではないか、と思えるくらいの女性だよ! 何しろ、聖女候補というのだからね、こちらとしても都合がいい!」

「は? ……は?」


 何をいきなり言い出したのだ。

 私が余程困惑した表情をしたのだろうか、さらに父は声を上げて笑い出した。

「神殿の連中にも権力に弱い人間はいるものでね、それほど力の強い聖女を彼らのところに置いておくのも不安だった。聖職者が善人ばかりとは限らんし、下手に歴代最高の魔力の持ち主などという聖女が近くにいたら良からぬことを考え出すかもしれん。いっそのこと、その聖女候補とやらとお前が結婚してしまえば全て解決なのではないか?」

「え? でも、リンドルース……」

「公爵の方は、ほら、ミハル・リンドルースを側近としてお前が抱え込んでおけば何とかなるだろう。公爵はおそらく、エヴェリーナ嬢でも子息でも我々の近くに置いておけば問題はないと思うからね!」


 ……いや、あの。


 私は呆気に取られて言葉を失った。

 いきなり随分と……父の様子が変わったが……ええ?


「だからお前は考えなさい。別に、このままエヴェリーナ嬢と婚約者のままでもいいが、元平民という聖女候補でもよければ、かなり可愛らしい女性だそうだよ? どちらかといえばそちらの方を私としてはお勧めできると思うが」

「いや、でも」

 私は何て応えたらいいのか解らず、ただぼんやりと父の顔を見つめ、そしてゆっくりと視線を遥か遠く、地下の方へと移動させた。遠目からでも見て解る、明るい輝き。

 そこに魔力を注ぐのは――。


 そこで私の脳裏に走ったのは、エヴェリーナ・リンドルースの笑顔だった。ガブリエルに対して気安い雰囲気で何か話しかけていたあの様子がちらついて、どうしても忘れられない。


 何故自分がこんなに苛立っているのか、どんなに考えても解らなかった。

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