第4話

「次の質問」


 不意にジアが距離を詰めてきた。白髪が頬をくすぐり耳に吐息がかかる。

 噛みつきから逃れた左手に彼女の手が重ねられた。

 

「私がこんなこと知ってて、嫉妬……してくれた?」


 左手に痺れのような痛みが走る。


「それは、そんなの――」

「……ねえ? なんで嘘、吐こうとしてるの?」

「!!!」


 ジアの唇が耳に吸い付き、呼吸が苦しくなった。


「……じ、ぁッ!」

「汗の成分と脈拍、これは嘘吐きの味とリズムだよ、レオ?」


 霞み始める視界のなか、青白く蘭々と光る瞳が俺を見つめている。

 突然息苦しさから解放される。がくりと項垂れそうになる俺の頭の重さがジアの手にかかる。


「……ジ、ア。おまえ、首……!」

「知らない。AIPHYは主人殺しのイカれたゴーレムなんでしょ?」


 再びジアの手に力がこめられる。 

 藻掻いてもその手を振りほどくことは叶わない。


「おまけにフィラジア・マクロ・ハイドランは性格ブスだしね」

「悪かった、ジア。だから――」

「うるさい、なぁ~~!!」

「!!!」


 ジアが大口を開けて耳にかぶりついてきた。歯を突き立てられたことに思わず叫びそうになるが、喉からは擦れた音が漏れるだけだ。耳と指先が熱い。

 擦れた声と荒い鼻息を塗りつぶすようにジアの息遣いが耳から頭のなかへと響く。


「嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き」


 それからしばらくはジアにされるがままだった。突き立てられているのは言葉なのか歯なのか、あやふやになるくらいジアに責められ続けた。


「主人のレオナルド・クロスフェードは嘘吐きのヘタレ野郎だし……最悪だよ」

 

 解放された頃にはジアの瞳は緑色に戻ってたが、いつもの色とは違って見えた。


「『神引き』なんて言っていたくせに。本当は私と出会って最悪なんでしょ?」


 そう尋ねるジアの表情は人形じみていて、まるで出会ったときのようだ。


「それは……違う」

「嘘……」


 否定してもジアは受け付けてくれない。

 

「嘘じゃない。分かるんだろ? もし嘘なら……絞め殺せよ」


 頑ななジアに確かめさせようと手を取るが、ふいと顔を背けられてしまう。


「ジア」

「やだ。どうせ嘘吐く」

「ジア、聞けよ」

「…………」

「フィラジア・マクロ・ハイドランに命ずる」

「えっ?」

「俺の首に手をかけろ。そして、その言葉の真偽を確かめろ」

「待ってレオ。ダメ、ダメだよ」


 命ずると告げた後の言葉にジアは困惑して抗議するが、身体は俺の言葉に従った。


「レオ、ダメだって」

「さっきは自分からしてきただろ?」


 俺の首に手をかけたままジアは青色の瞳を逸らす。


「待って。お願いだから、待って」

「どうしてだ?」

「……いま嘘吐かれたら、たぶん耐えられなくてレオを、殺しちゃう」

「そうしろって、言ってるんだよ。わかるだろ?」


 ジアの手に自分の手を重ねて睨みつけると、彼女はいやいやと首を振る。


「……どうして、そんなことを本気で?」

「そんなの、お前に……」


 この気持ちを分かって欲しいから。

 そう口にしようとしてジアを見やると、彼女は目を閉じ顔を強張らせ震えていた。


「……どうかしすぎだぞ、俺は」


 ジアの腕を掴んでみるがビクともしない。そのまま腕をなぞって肩と首に触れて、それから頬を両手で包んだ。そこから小刻みに伝わる震えは止まってくれない。


「悪かったジア。命令は――」


 取り消すと言おうとしたところで、ジアの瞳がカッと見開かれた。

 その瞳は見たことのない深緑色で白い光が時折弾けるように瞬いていた。


「……やだ」

「ジア?」

「やだやだやだやだ……!」


 首にかけられた手が痙攣するように動き出した。痺れた手を無理やり引き抜くようにして首を開放すると、ジアは焦点のあっていない深緑の瞳で俺を見つめた。


「嫌です。こんな命令、従えません。マスターハイドラン」

「ハイドラン……?」


 俺のことをハイドランと呼ぶジアは普段と違う口調でこちらを見下ろしているが、どこか遠くを眺めているようだった。


「ジア……?」

「このようなこと、命令してまで何故させるのですか? マスターも彼も……彼?」

「ジア、しっかりしろ。こっちを見ろ!」

「はい。マス、タァ……? 違う、ですか? 彼? 彼は、誰? 誰?」


 ショックのせいで過去の記憶と現在が混ざり合っているような状態のジアは俺が誰なのか分かっていない様子で忙しなく首を傾げている。


「俺はマスターハイドランじゃない」

「マスター、ではない……マスターはマスターハイドランは……」


 とにかくハッキリと思い出せているハイドランの名を口にする。マスターでない俺のことを見ながらジアにその名を反芻していたが、その肩がビクンと震えた。


「……待って、待ってくださいマスター!」

「ジア」


 思わずその手に触れたが、その瞬間ジアの感情が決壊してしまう。


「最初の子が、姉さんがそんなにいいですか? 私じゃ、ダメ……なんですか?」

「…………」

「マス、タァ……置いていかないで。私、私は……」


 呻くように懇願の声を上げるジア。その表情は悲痛に歪んでいるが涙を流すことはなかった。あてもなく手を伸ばしたジアだったがなにも掴むことは出来ないまま、糸の切れた操り人形のように俺に倒れ掛かった。


「……マスター」


 ジアは過去を話したがらないから確証は持てなかったが、やっぱりハイドランとは面識があったのか。そしてジアは彼を慕っていた。

 最初の子と呼ぶAIPHYのことは意識してると思っていたが、恋敵だったか。

 

「なるほどなぁ」


 寄りかかったままのジアを横にしてやる。瞳の光は失せピクリともしない姿は彼女が造り物であることを物語っているようだ。

 ときどき違和感があった。

 ジアの言動は少しだけ大げさで嘘っぽい。こういう場面だと特にそうだ。お手本を真似ているような台詞を読み上げているような雰囲気を感じることがあった。

 そういう態度の裏に見え隠れするものが自分を見ているようで少し嫌いだった。

 そしてジアの気持ちがいまでもハイドランに向いているかもしれないことも。


「じゃあどうすんだ? レオナルド・クロスフェードさんはよぉ」


 出会いは偶然だった。

 あの日と同じようにジアの見開かれた瞳に光はない。

 どうしてあんなことをしたのか。あの瞬間、自分がなにを想っていたのか。

 それが分からないことだったとしても、ジアの世界の扉を叩いたのは俺だ。


「目を覚ましてくれジア。俺はお前の主人だ」


 だから俺はジアの手にそっと触れた。

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