chapter.0 dusk of The brilliant world

「この世に魂というものはありません」

 これはライゼルカが母のルーンに、自分の同級生が川で溺れて亡くなった話をした時の事だった。人は死んだら魂が天へ昇ると、学校の先生や友達から聞かされていて、信じかけていた所であったが故に、なんとも奇天烈な返答だと受け取った。

 確かに魂というものの存在に実態は無い。見た事も聞いた事も触った事もない。しかし、自身を動かす意思や思考は誰から与えられて、誰が動かしているのかは、まだ幼いライゼルカには分からなかった。

「私は人が、全ての生き物が死なない為の研究をしているの。」

 ルーンは植物学者で、普段はおっとりとしている。しかし、職業柄ものや自分の意見や感想をを正直にしか話さないからか、変わり者扱いされる事もしばしばある。

 現に子供相手でも言葉は選ばず、口調も変えない。

 ただ、娘であるライゼルカとその妹のエルゼイクにとっては、最も信頼のおける存在である事に変わりない。

「そうすればこの世から失う悲しみや痛みを消す事ができるの。私は貴方達二人を絶対に失いたくない。貴方達もそうでしょう?」

 ライゼルカとエルゼイクは、まだ『失う』という事の意味を知らず、首を傾げていた。

 そんな二人を見て、「まだ、あなた達には早かったわね。そうね、絵本でも読みましょうか」と、学術書が並ぶ書斎に一つだけ目立つ、薄くて黄色い星柄の背表紙の本を取り出した。表紙には燦々と輝く太陽が人の表情を携えて描かれている。背表紙は何故か真っ黒。

 「たいようのかげ」の題名を持つその本の著者はルーン本人であった。夫の真似事をして筆を執ったが故か、笑みを浮かべながら読み聞かせを始めるが、これもまた、二人の子供にとってはどうやら難しく、終始首を傾げていた。

 ルーンと子供2人との相性はさほど良いと言えるものでは無かった。愛情は確かにあるものの、意思疎通というものに若干の傾きがあったのだ。

 これ夫のマルセルからも指摘されていたが、人は器用に中身を変えることはできない。

 個性としての独特な彼女の言動は、時に少し成長した子供や青年、大人の励みや元気になる事もしばしばあったが、親として発揮するにはまだ時間がかかる。

 妹のエルゼイクに至っては、その幼さからか、退屈で本を読み終えてももいないのに立ち上がりその辺をふらつく様子が見られた。

 それでも、ルーンはこれを悩みとしなかった。




 ライゼルカが6歳になった頃、住んでいた屋敷から少し離れた湖の側に、ルーンが使う離れの小屋が建てられた。植物の研究部屋である。

 作った理由も、学術書が増え過ぎて部屋に収まりきらなくなったからである。しかしながら、元より整理整頓が苦手な性分で、ルーンの離れはできたばかりだというのに、かなり散らかっていた。本は積みっぱなし、ゴミは放りっぱなし、床には没になったレポートが散乱しており、足の踏み場へかろうじて存在する程度。しかし、机の上だけはものを書く必要があるためか最低限の整理整頓が行き届いている。

 小屋の周りは、花壇と呼ぶには広すぎる花々で満たされており、花が好きなライゼルカはよくここを拠り所にしていた。

 また、ライゼルカはこの頃になると聞き分けも良く、勉学や運動等様々な点で、己の持った才能を発揮できる利口さを携えており、友人から頼りにされる事も多くなった。

「お母様、何故小さな紙切れを貯金箱に入れるの?」

 離れで机に向かってレポートを描いてるルーンに対してライゼルカは言った。視線の先には、研究資料を纏めつつ、時折レポートの端を小さく切って、ポストの形をした石膏製の貯金箱に入れているルーンの姿があった。

「そうね、然るべき時に使う為、とでも言っておきましょう」

「しかるべき時? それっていつなのー?」

「まだよ。あなたが大きくなってから。ううん、一生必要ないかもしれないわね」

「なんで必要なくなるかもしれないのにとっておくのー?」

「大人の行動は常にかもしれないを想定しておくものなのよ。だから、みんな落ち着いてて、優しくて、おとなしい」

「じゃあ、貯金箱はー?」

「大切なものはお金のある所にしまっておくものなのよ。お金は大事。そして、これも大事。そして困った時に開ければいいの」

 そう言って、また折り込まれたレポートの切れ端を貯金箱へ入れた。

 ライゼルカに、ルーンの言動の意味は理解できていない。ただ、理解できないなりに憧れだけはきっちりと受け取っていた。それ故か未だに目をキラキラさせて、次は何を言ってくれるんだろうと期待の念まで抱いている。

「さ、ライゼルカ。私は仕事に戻るから、お外で遊んできなさい。ご飯はもうすぐよ」

「えー、もっとお母様とお話がしたいー」

「ごめんなさい。でも、お母さんは忙しいの。今週末、海外まで行って、研究の成果を発表しなきゃいけないの。ようやくレポートに取り掛かれるようにはなったけれど、もう時間がなくて」

 やや納得してない様子ではあったが、母に背を向け、小屋の扉の方を向いて歩き出した。

すると―――

 「―――うわぁ!」

 ここは足の踏み場のない部屋である。紙に足を滑らせたライゼルカは思い切り転んでしまい、右の膝に擦り傷を負って泣いてしまった。

 この様子を目の当たりにしたルーンも流石に仕事を打ち切ってライゼルカの手当に踏み切る。

 引き出しから、丁寧に束で小分けされ、整頓された植物をいくつか取り出し、すり鉢で擦って傷薬を作って、スプーンで布に染み込ませ後、ライゼルカが傷口に優しく押し当てた。

「薬学の知識は少しだけしかしないけれど、多分大丈夫。お母さんがお片付けを苦手としていたからいけなかったの。ごめんね」

「ぐすっ…ぐずっ……ううん、私が……」

「よしよし」

 暖かく優しいルーン抱擁がライゼルカを包む。

 本来ならば、まだ幼いライゼルカの気持ちが落ち着く様子はこれっぽっちもない筈だったが、不思議と直ぐに大人しくなった。

「やっぱり、鎮静作用のあるものと治癒作用のあるもの、その両方が上手く働いているみたいね。副作用もないし、調合にも問題ないわ」

 ライゼルカの右膝にタオル越しで塗られた薬草はゼリー状に固まっており、滑りを纏った光沢を放っていた。所謂瘡蓋のような状態だ。

「お母様、すぐに痛みが…‼︎」

「私の職業は植物学者。でもね、こういう知識は別の所に役立つ事もあるの。今回みたいにね」

 ライゼルカはそれを聞いて目をキラキラと輝かせ、

「すごーい‼︎ 私、決めた! 将来お母様みたいな偉い学者さんになる!」

「あらあら、これは私のような植物学者に限った話ではないのよ」

「でも、私の怪我を治してくれた! 私も人を救う人になりたい!」

 ルーンは微笑んで、「人を救いたいなら、まずは自分自身を救う事、救い続ける事。私は貴方のお母さんだから、あなたを救い続けるけれど、もし他の誰かと寄り添う時はまず貴方自身を救う事から始めなさい」

「でも、先生が助け合いが大事だって」

「ええ、もちろん助け合いは大事よ。前提として。助け合いというのは自分自身を救い続けられるようになった上でのお話。ずっと救われたままの人なんて死んでいるのと一緒ですもの。でも大丈夫。あなたはそうはならないわ。貴方には好奇心がある。人はその心の限り突き進める。

 だから、これからすべき事、分かったわね?」

「分かった!」

「良い子ね。なら貴方にはこれを差し上げましょう。きっと貴方の未来への導になってくれるものよ。大切になさい」

 ルーンは机の上の左隅にあった箱の中から、白い花びらを一枚、取り出してライゼルカに手渡した。まだ小さなライゼルカが手のひらに収まるほどの小さな花びらであった。

 植物、と言うものに憧れを抱いたばかりなのか、ライゼルカは飛び上がって喜んだ。

 そして、ルーンに言われた通り、ライゼルカは小屋から出た。が、外で遊ぶことはせず、その花びらを自身の部屋の貯金箱へ放り込んだ。




 ライゼルカは8歳になった。年子のエルゼイクも学校へ行く年頃となり、二人して勉学に励む毎日を送っていた。

 ライゼルカに関しては植物学者を志してからの勉学の成績は極めて優秀で、一部学問においては教員をも上回るほどの知識を得ていた。(最も、敬虔と言う意味合いで応用力は劣っているが)

 エルゼイクはそんな優秀な姉を持った事で比較される事が多かったものの、本人はそんな事を微塵も気にせず日々を送っていた。

 ある日の事だった。折角の休みという事で、マルセルから海辺の教会へ行こうと提案され、そこへ向かう事になった。ルーンはやや億劫であったが、子供2人は好奇心の塊だったからか馬車の中ではしゃぎ気味であった。

「あ、見えたよ!」

 休憩を挟みながら屋敷から馬車を走らせて半日、少し高い丘のやや麓に、教会はようやくその影を現した。

 着いた教会はそこまで大層なものではなく、告解室があって、礼拝堂があって、そこにいくつもの像が並んでいる、よく見る光景そのもの。

 とはいうものの、子供2人にとっては初めて見る景色だ。静かにしなければならないこの場所でも注意するまで話すのをやめなかった。

 大きな扉の左側の広々とした空間は託児施設らしく、マルセルはこの為に教会に出資し、この場に呼ばれていた。

 託児施設とはいうものの、待機児童の殆どは孤児であった。みんな、ライゼルカとエルゼイクと違って親がいないのだ。

 それ故か、そこにいた子供たちは2人を妬むような目で睨むが、純粋潔白な彼女たちはそのような視線に臆する所が理解もできなかった。

 そんな子供達の中にも、妬む様子を一切見せない子供がいた。うさぎのぬいぐるみをかかえた、栗色の髪と大きな瞳をした少女だった。見た目も、手入れが行き届いているのか他の子供達に比べてみても、歯並びや髪の毛の毛並みも良く、衣服も綺麗で、他人からの愛情を受けて育ったと感じられる程、普通の女の子であった。

「あら、綺麗なお嬢さんね」

 孤児達の穢らわしい視線を掻い潜り、最初にその少女に声をかけたのはルーンだった。

「………お姉さんたち、だあれ?」

「少し用があってここへよっただけよ。大丈夫。私たちは貴方達に危害を加えることはしないわ」

「用ってなにー?」

「あのおじさんに聞いてみなさい。私や娘も知らないの」

 ルーンはシスターと話しているクリントを指差して言った。すると、栗色の髪の少女は素直にそちらの方へ向かった。

「おじさん達、なんで今日はここへ来たのー?」

「こら、初めて会う人には挨拶しなきゃダメでしょう、メアリー」

 シスターが食い気味に少女に言った。メアリーと呼ばれた少女はマルセルに「ごめんなさい」も謝罪を挟んだ。

 マルセルもそれを見て、笑顔で帽子を取って会釈をした。

「おじさんはね、ここに託児施設を作ったんだよ。君たちが元気になれるように、ね」

「そうなんだ!おじさん、ありがとう」

 満面の笑みを浮かべたメアリーと呼ばれた少女だったが、シスターはマルセルにそっと耳打ちをした。

「この子、金融屋のチェーンさんの愛娘ですの。この前事件あったでしょう」

 マルセルは驚嘆した。せざるを得なかった。

 チェーンとは、金融屋のクリント・チェーンの事であり、マルセルの古くからの友人であった。

 人相はぱっとせず、地味であったものの、人柄の良さと頭の回転に優れた人物だった。しかしながら、女運にはとことん恵まれず、ようやく手にした妻も男癖の悪さが相まって怪しげな評判が飛び交っていた。ライゼルカと同い年の娘もほぼクリントの手で育ったようだ。

 そんな彼だったが、先日強盗に襲われ、夫妻共々亡くなったという一報がマルセルにも入った。当初はクリントに対してこういう奴だったと振り返る事くらいしかできなかったが、いざ目の前に娘がいるとなると、なんとも複雑な気持ちになった。

「………そうか。君もその年で苦労して―――」

「私は平気だよ。おじさん。それより、あの子達はだあれ? ここにいる子供達と違って、お人形さんみたいでかわいいわ」

 メアリーはライゼルカとエルゼイクを指差し言った。「あの子達は私の娘だよ。一緒に遊んでみたらどうかい? きっと喜ぶよ」というと、そそくさと2人の方へ向かった。

 3人で触れ合っているところを見て安堵を浮かべつつ、マルセルはシスターに耳打ちする。

「あの子、親戚とかはいなかったか?」

「いるにはいるのですが、距離が遠く、環境の面もあってお子さんにとって強い負担になる可能性もありまして………暫くここで………」

 マルセルとしては別にうちで引き取る事も可能であった。が、ここはその為の施設ではない。メアリーの存在こそ例外ではあったものの、ここには彼女以外にも恵まれない環境に生まれた子供達がいた事を踏まえ、

「………そうか。力になれずすまない」

と一言謝った。

 

 日が暮れる頃にはマルセルの用事も終わり、子供達も初めて出会った友人に別れを告げた。その間、ルーンは間机の上に書類を広げてレポートの完成に勤しんでいた。

 マルセルはその様子を見て口を挟もうと悩んだが、誘ったのは自分自身である事を鑑み、何も言わなかった。

 ただ、最後だけ、ルーンはメアリーの元へ行き、何か一言だけ告げて、手に持っていた花のブローチを手渡していた所はマルセルも確認できた。敢えて追求はしなかった。

 そして帰りの馬車、月が出てきた頃―――

「いい友達が出来たな」

 マルセルが娘二人に話す、が、2人とも疲れからすっかり寝込んでいた。

 そこで、ルーンが割って入った。

「あれは、なんの為の施設ですの?」

「見ての通りだ。私は人の子を救うための場所だ。今は人への不信感が増しているが、時が経てばあの子たちもきっと」

「メアリーちゃんのようになれる、と?」

 ルーンは、あの子供達の中で特段綺麗だったメアリーとその他の子供達を比較して言った。

「別にそんな事は言ってないだろ。あの子は出自が特殊なだけだ」

「そう? 私にはそう見えなかったけど」

「どういうことだ?」

「見ればわかる事でしょう。まぁ、貴方には分からない事だと思うけれど」

「言われないと分からないぞ」

「考えて判断するのも人間の役目よ。私にはそう写っただけ。でも、大丈夫。その内、そんな事を考える必要も無くなるわ」

「な、何を言っているんだ?」

「時期に分かるわよ」





 ライゼルカが9歳になった頃、ルーンは学会の論文で国でも5本の指に入るほどの名誉ある賞を受賞した。それも植物学としてではなく、薬学として。本人はこのような形で貰えるつもりは一切無かったものの、このお陰で学者として大きく名を挙げることとなった。同時に仕事も一気に増えた訳だが。

 それでもライゼルカは母の影を追う事はやめなかった。それどころか、憧れは一気に増していった。隙あらば研究室を覗きに行った。そして、いつも追い返された。

 今日も同じくして研究室を覗きに行ったが、どうやらルーンの様子がおかしい事に気がつく。

「あら、そうなのね。あなたはどんな色がお好みなのかしら」

 ルーンしかいないはずの研究室で会話のような声を聞いた。誰と何を話しているのだろうと、壁に耳を当てて聴いてみても、ルーン以外の声は聞こえない。

「私は、、、そうね。白が一番好きな色、かな。あるいは黒。はっきりした色が好きなの。白は自分の身の潔白を、黒は誰にも染められない心の現れ。いつしかどちらの色の良さも受け継いだ、そんな素晴らしい色に出会いたいものね」

「………赤、ね。確かに人の身であれば赤色はそのどちらをも表す色になるかもしれないわね。己の体を巡る血液の色だもの。それは私自身の生存の証明で、自身に煮えたぎる心の証明。あなた、賢いのね」

「私の娘も可愛いのよ。とても純粋でとても賑やかで、とても賢明。いつしか私のような存在になってくれるかもしれない」

 ライゼルカは一人で話す母親が心の底から恐ろしくなって、「お母様の様子が変なの」と、まだ仕事中であったクリントを急いで呼び出した。

 いきなり研究室のドアを開けたマルセルの目にはルーンの姿と、手に握られたほんの小さな一輪の花の姿があった。

「ライゼルカが心配してたぞ。誰と話していたんだ?」

「あら、ノックも無しに私の部屋に入ってくるなんて、子供以下なのね。あなた」

「私も話を聴いて心配して飛び出して来たんだ。どうしたんだ!?」

「別に、何も? 私には貴方の考えの方が読めないわ。今はこの子といた方が気が楽なの」

「俺のことは今はどうでもいいだろう!?」

「そうね、いくつか聞きたい事があったわ。まず一つ目。あなたは何のために人を救おうとしているのかしら? お金の為?」

「いきなりなんなんだ」

「答えなさい。私とあなたと子供達の未来がかかった質問よ?」

「ど、どういう………」

「いいから答えなさい!」

「………私は」

「いつも通り俺っていえばいいのに、急に改まって私だなんて、変な人ね」

「―――お、俺は、自分の出自について、はっきり言って恵まれていると思っている」

「そうね。ここは公国であなたは貴族。そこらの国の貴族よりも権力者いられるわね。そして私も、その子供たちも」

「それで俺は国の為に、人をもっと繁栄させる為には、人との格差を―――」

「へぇ。それで? 子供時代に恵まれなくたって、結果として街で家もなく悪臭を放ちながら徘徊している人は沢山いるわよ」

「それは自己責任だろう」

「子供達を利用して教会に献金させるよう仕向け、結果としてそういう人が生まれたとしても?」

「だ、だから何だというのだね!? 私だってお金をつぎ込んで教会を建てたんだ」

「まぁ、そんな話はどうでもいいわ。別に政治的意味合いであなたを詰めようとしている訳ではないの」

「ではなんだと言うんだ!」

「私はね、この世から失う痛みを消したいの。そうすれば、命を平等にするの、永遠という平等に」

「何を言っているんだ?」

「確かに私は賞を取ったわ。薬学としての賞を。あれで沢山の人が救われるみたいね。でも、私はあんなものどうでもいいの。だって、あれで救われるのはお金を持った一部の人だけ。単なる特許に過ぎないわ。限られたものとして、高額で売買される金融商品みたいな扱いになるに決まっている。でもね、あんなもの生産方法さえ確立させてしまえば、どんな命も救えるの。そして、簡単に生産できるのよ。今、この場所で」

「俺には君が何を言っているのか全く理解できないぞ」

「聞きなさい。私はね、お金や命を消費して使い捨てされていく世の中が嫌になってしまったのよ。今ここには可能性の塊が存在するから。確かにあなたの言っている事も一理あるわ。貧困で育って血を流す事以外で生活できれば死ぬまでは痛みも少なくて済むと思う。でも、人が一番拒んでいるのは痛みそのものだと思うのよ。ここには永遠の命がある。永遠の命さえあれば、例え心が傷ついていても、時間が癒やしてくれるのよ」

「永遠の時は人の心には荷が重い。俺には到底理解も出来ない。失う事そのものを忘れた人間など悪魔同然じゃないのか?」

「では、貴方は最終的に何を望むの? 己の平穏? 己の富? それとも真なる平和?」

「もちろん真なる平和だ」

「あら、そう。私も同じ意見よ。でも、その方向性や思想にに違いが出ると結局争いって起きてしまうのね」

「君は私に喧嘩を売っているとでも言いたいのか?」

「さぁね」




 ライゼルカが10歳になった頃、ルーンは屋敷を出る事になった。所謂、離婚である。

 子供達は突然の母親との別れに、何も言い出す事は出来ず、ただ、震えて泣き出す事しか出来なかった。

 もう、母親には会えない。と、思い込む事しか出来なかった。マルセルが権力者である故に、親権がルーンに渡る事が難しかった。また、ルーンの研究も凍結処分を言い渡され、小屋の書籍も全て没収、焼却処分された。

 無一文の状態で追い出されたのである。

 だが、詳細をライゼルカ達にそのような事を言い渡す事はなかった。ただ、あなた達と別れる事になった、と一言だけ。子供達は「嫌だ嫌だ」と駄々をこねてもこの状況は覆る事はなかった。

 勿論、何もする事なく追い出すわけではなかった。遠くの街での仕事は手配済みであった。それも、店番をするだけで一般市民の三ヶ月分の給与が貰えるという待遇付きであった。

 しかし、ルーンはそれを断った。曰く、この国からは出たいとのことで、このアルデラント公国の大陸よりずっと東に位置する大陸の小さな一国家に引っ越すとの事である。当然、その国に研究機関のようなものはなく、同じような仕事は出来ない。ただ、その旅費と暫くの生活費だけは有り難く頂いた。

「ねえねえ、いつでもいいから戻ってきてよぉ!」

「このままバイバイするのはやだよお!」

 月光が薄らと輝く満月の夜。普段なら寝ているはずの二人は目に涙を浮かべながら、馬車の前に立つ母親に叫ぶ。

 ルーンは何も言うことなく背を向けて、馬車に乗り込もうとした、が、何かを思い出したかのように振り返り、二人の子供の前まで歩み、ぎゅっと抱きしめて、

「ここにはもう戻ってはこられない。でも、また会えるよ」

 そう言ったが最後、今度こそ馬車に乗り込んだ母親は闇夜に影に消えた。月明かりのみが照らす夜道。もう殆ど見えない筈の影を、必死で追う二人の姿があった。

 その頃からライゼルカは何かある度に、母の使っていた小屋に籠るようになった。もう何もかもが綺麗さっぱり無くなっている。机の上にあった写真立てすら無くなっている。最初は虚しい気持ちでいっぱいだったが、いつしか、ひょっこりと母親が現れてくれるかもしれないと、毎日のように通った。勿論なにも現れなかった。

 そして、いつしか耐えきれなくなって、不意に母親の言葉を思い出した。


『大切なものはお金のある所にしまっておくものなのよ。お金は大事。そして、これも大事。そして困った時に開ければいいの』


 ライゼルカは自分の貯金箱を拾った石で叩いて割った。机と床には陶器の破片と小銭、お札が散らばった。

 その中に、母親から貰い、自分が入れたはずの花びらは無く、代わりに一輪の小さな花があった。

      Chapter.0 dusk the brilliant world fin.

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