第二章(一)



「やっぱり、保健室中へ一緒について行った方がよかったかしら」

 ちらりと背後を振り返り、ふと東堂は立ち止まる。

 先程、保健室に送り届けた生徒は具合悪いというのに、あろうことか授業に出ようとしていた。

「真面目すぎるのかしらね、彼。それにしても」

 思わず、先程聞こえた声が気になった。

 彼は、生徒は一人だったはずだ。

 なのに、入る前の教室からは二人分の会話が、確かに東堂の耳に届いていた。

 思わず、ぶるりと体を震わす。

 ありえない、そんなことは、ありえない。

「や、やあね、もう、あるわけないじゃない。ひとりよ、ひとり」

 声を張り上げれば、それは妙にしんっと静まった廊下に響いた。

 HR前だからかだろうか、誰も見当たらない。

 はやく、あの生徒のクラスに行かなければ。

 そうだ。だから。

 ありえない、ありえないわと唸るように呟き、再び小走りで前に歩き出す。

「きっと、疲れてるんだわ……だからさっきのもこのも前のも」

 きこえたんじゃない、幻聴だ。さっきのは生徒からだ。

「……」

 最近である、なにか幻聴らしきものに東堂は悩まされていた。

 それは学校のいたるところ、人気ないとこから聞こえているような気がしていた。

 けれど、と、思い直す。

「でもさっきだって生徒だったわ、だれか、いただけよ。ううん、聞こえた気がしただけね」

 少しの安堵。人がいたなら、安心だ。

「……?」

 ふとコツコツと、足音がやけに響いて、東堂は足を止めた。

「……? へんね、いくらなんでも静かすぎる」

 廊下は朝の陽の光が射しているはずなのに、太陽が雲間に隠れでもしたのだろうか、影っている。

「やだ、さっきの気にするから変に気になっちゃうわ、えぇっと、一年七組は奥よね」

 コツコツ、やけに自分の足音が響いた。

 コツコツ、コツコツ。

 コツコツ、コツコツ。

 ああ、ああ。

 やっぱり、へんだわと東堂は呟く。

「なんで、こんなに廊下続いてるの、変よ、変じゃない!」

 とうとう、たまらず、ヒステリックに叫んでしまうのを抑えれなかった。

 ああ、ああ、なぜ、これは起こっている?

 昨日も、その前の日も。

 東堂の声は、普通に廊下に響き渡っているのに、だれも、だれも教室から出てこないは明らかにおかしかった。

「だれか、だれかいないの!」

 いるなら返事をしてと、叫んだ時だった。

「どうかしましたか?」

「!!」

 思わず、びくりと、背後からかけられた声に背が伸びる。とんっと肩を叩かれ、足を止めた。

 情けなくも足が震えている。


 振り返って、よいのか。


 何故かそんな疑問が不安が頭の中に過ぎる。

 大丈夫よ、だって、この声は。

「……七組の圭先生、ですよね」

「はは、何を改まって、というか大丈夫ですか?」

 「つ、はい、その」

 だから安心して、振り返ってしまった。だって、彼の声だった。

 そうだ、こえ、だから。

「……ああ、大丈夫じゃなかったデスねェ」

「ひっ!」

 そこにはくろい顔にぽっかり穴が空いた人物らしきものが、立っていた。

 顔はまっくろ、真ん中に空洞。

 顔より下は、ひとだ。見知ったあの圭先生の姿だった。スーツの胸元からいぬのぺん……ぺん……ああ、ない。

 彼では、ない。

「大丈夫じゃないから、こえ、かけぇてぇ」

「っ、ひい、こな、こないで!」

「ひどいヨォ、叫びがきこぇたかぁら、きぃてあげたぁのにぃぃ」

 ずりと、まっくろな顔が落ちて、東堂の足元へ墨がかかるかのように広がっていく。

 ああ、ああ、これは。

 

なにが、起きてるの?


「あなたのすがた、かおがほしいいわよぉう」


 ただ、ずぶりと、それは東堂を瞬く間に墨の中へ飲み込んだ。







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