化けの皮

 日は変わり、文月二十日あまり七日。迅速な対応を決定した紀定たちは、未明にはもう動き出していた。昨日に遠ざかったとはいえ、昼間の刀泥棒騒動から過ぎた刻を数えても八つか九つほど。少数構成と若さならではの行動力に速度である。

 もっと年かさの者がいれば、勇み足と責められたかもしれないが、これだけの素早さで突っ込めば相手の動揺を誘える。人間相手には過剰戦力となる人妖兵を擁している以上、紀定たちが最も優先すべきは盗品の移動阻止だ。どこにも何も持って行かせず、盗賊たちを制圧し、そのまま壊滅させる。先手を取った勢いで押し勝つ作戦だ。

 山野の色をした外套を頭から被り、口元には布を巻いて隠し、姿を同じくした五人の若者は門前に集まっていた。岩断の町中へ続く門はまだ閉ざされているが、提灯を携えた影が一人、紀定たちを待っている。


「お待たせいたしました、関原せきはら殿」

「いえ、こちらもちょうど参じたところです」


 夜の静謐を乱さぬ声で淡々と応じるのは、紀定と志乃が岩断へやって来た際に対応してくれた門番こと関原である。彼も笠を目深に被り、顔が簡単に割れないよう気をつけていた。

 役人然とした顔をして、番頭小屋で粛々と業務をこなしていた関原は、未明の屋外でもさほど変わらない。紀定たちから案内役の紹介を頼まれ、それならばと自ら請け負ってくれたあたり、善性が窺える。誠吾と知俊が伝言を頼んでいたのも納得だった。


「それでは、ご案内させていただきます」


 これより一行が向かうのは、要の刀を奪った男が向かった先、岩断から見て北西方面にある山の中。もう使われていない坑道がある山だ。「ええ、お願いします」と応じる紀定だったが、動き出す前に、連れ立つ面々の中で最も小さな影を振り返る。


「要殿も、よろしいですね?」

「ああ。武士ではないが、私にも二言は無い。作戦にも自分から加わったのだ、投げ出すほど惰弱ではない」


 幼いながらも真剣な声が、薄闇に浮かび上がる。頭巾と口元の布の間、わずかに覗く双眸にも、揺るぎないものが宿っていた。……張り詰めすぎているきらいもあるが。


「失礼いたしました。では、改めてお願いいたします、関原殿」


 手短なやり取りを終え、一行は関原を先頭に歩き出す。提灯を持っているのは関原だけだ。他は夜目が利くというのもあるが、賊の本拠地へ乗り込む以上、目立つものは多く持てない。

 夏の夜明け頃は、他の季節と比べれば明るいが、一行が踏み入る山道は暗い。茂った草木の蒼黒に満ちている。いかにも虫が出てきそうな暗闇でもあったが、全員が虫除けを身に着けているため、明かりを持って踏み入っても集られはしなかった。

 黙々と、道なき道を進んでいくことしばらく。空は紺色から群青、薄水色へと移り変わっていく。岩断の方角から遠く鶏鳴が聞こえてくる頃、一行は目的地の近辺へ辿り着いた。かつては活発に掘削されていた北西の山、これといった呼び名も定まっていない山だが、今回は朝来山あさきやまと呼ばれる。隠されているものがあるのなら、そこへ日光を差し込めるように。


「皆様、心配ご無用の面々と承知しておりますが、どうかお気をつけて」


 案内を終えると、関原は提灯の火を消しつつ言い残し、岩断へと戻っていった。合図が出次第、岩断に待機している自警団を率い、朝来山へ連れてくるために。鬱蒼として静かな山道を辿り直す関原には、護衛として雷吼丸が付けられた。使い魔であり、最初に道を覚えた雷吼丸なら、とんぼ返りも容易い。


「それでは、行動を開始しましょう。要殿、お願いします」

「ああ、すぐに作る」


 紀定が真っ先に声を掛けたのは要だ。山野に馴染む外套の隙間から突き出された片手には、熊の形に切り取られた紙。術を付与すれば、指示通りに動く囮となる紙人形だ。夏場に食べ物を探す若い雄熊を再現し、朝来山周辺をうろつかせて相手の所在や出方を探る。これが最初の一手だった。

 もう片方の手に落ちていた小枝を握り、要はすらすらと陣を描く。小さな陣に小さな紙の熊を乗せ、ぼそぼそと密やかに詠唱。口を布で覆っていることもあり、内容はほとんど聞こえない。術を扱う家系出身者には珍しくない小声の詠唱だ。個にしか扱えない術であれば朗々と詠唱するが、応用可能で盗まれかねない術は、他者に聞き取れない声量や早口で唱えることが多い。

 小さな陣と紙を起点に発動した術は、仄かな光を伴いつつ、大きな形を作り始めた。紙が白い煙へと変形したかと思えば黒くなっていき、熊の形を捏ね上げていく。やがて、野生のそれと変わらない雄熊の囮が出来上がった。作り物の証拠として、目には空っぽな気配が沈み込んでいる。


「おお、見事。何も知らずに山で出くわしたら怯んでしまうな、これは」


 最も念入りに着込まされた誠吾が、碧玉の目を細めながら言うものの、説得力はあまりない。何せ、誠吾は若い雄熊相手なら勝てそうなくらいの体格だ。この程度に怯みそうではないと、彼以外の全員が思ってしまう。

 誠吾が怯むかどうかはともかく、囮の完成度は申し分ない。予定通り、要が命令を吹き込めば、熊はのそのそ歩き出した。小声で指示を出す要の周りもまた、簡単に見つからないよう枝葉で囲われ隠されていく。四人がかりで取り組めば、完成まで時間はかからない。


 鬱蒼の中にこんもりと潜む拠点から、熊が見えなくなって少し。続いて紀定と志乃が拠点を離れ出発した。囮に何かあれば、術の発動者である要に伝わってくるが、目視での確認も同時に行われる。

 地上と樹上を行き来しながら、熊に追いついては止まり、追いついては止まりを繰り返す。紀定も志乃も軽やかな跳躍と着地を繰り返しながら、しかし音を立てず熊を追跡する。熊はぐるりと回り込み、一行が見た側の反対へ向かっていた。そちらは山陰で、まだ朝日も差し込んでいない。


 暗い場所へ入ると、熊の姿はますます景色に溶け込んだ。時おり揺れる茂みが、かろうじて熊の居場所を教えてくれる。紀定と志乃も、互いの姿や距離を視認するより、零す音や気配などで確認していた。

 決まった音ばかりが聞こえる中、新しい声が飛び込んできたのは間もなくのこと。


「熊や! 熊が出たぞ」


 若い男の声が上がり、熊、熊やと訛りの入った声が伝染していく。囮の熊は声を感知すると、そちらへ駆けていった。

 紀定と志乃も熊の近くまで追いついてみれば、複数の足音が聞こえてくる。次いで複数の人影も見えた。緑陰に三人ほど、人影がうろついている。

 正面から戦うような愚か者は、当然ながらいない。山中で聞かない音に怯まず向かってくる熊など、滅多なことでは遭遇しないのだから。そんなものがいるだけで脅威だ。正面から戦うなんて無謀はせず、余計な刺激も与えず、いち早く逃げるのが最善手。


 だが、この熊は使い手が望めば姿を変える。


 ぼしゅん、と熊の姿がほどけ、黒い煙が茂みと木立をすり抜ける。縄のような形を取った煙は男たちを囲い込み、一気に小さくなった。縮んだ丸の中には、仲良く縛り付けられた三人の男が捕まっている。

 一連の動向をじっと観察していた紀定と志乃は、視線を合わせたのち、捕えた男たちの方へ向かう。脱出しようと藻掻き、警戒の声を上げていた男たちは、遠慮なく音を立ててやって来た二人に怯んでいた。一人は顔を後方へ向け、他に知らせようと声を出しかけたが、紀定が小石を包んだ布の塊を命中させて阻止。途端に残りの二人は押し黙り、空気も張り詰めたが、構わず紀定は歩いて行った。


「我々は、岩断周辺での窃盗や盗品売買、違法賭博の調査と取り締まりを行うために来た。先日、刀を盗んでいった男がこの山へ向かったと判明している。お前たちは盗賊の仲間か」


 斜め後ろで周囲を警戒する志乃の前、紀定は男たちを見下ろし、威圧を込めた声で問う。男たちも顔は隠していたが、先ほどの声を聞く限り、恐らく若者ばかりだ。体にもまだ、伸び代がありそうな未完成の気配がある。

 単に金で雇われて見回りをしていただけの、蜥蜴の尻尾にすぎない者たちかもしれない。紀定が予想を立てている間に、二人の男は慎重に言葉を選んでいるらしく、口元をもごもごさせていた。俯きがちになった顔には、困惑よりも恐怖が浮かんでいた。


「……お前たちが抵抗しないなら、これ以上、手荒なことはしない。知っていることを教えてほしい」


 態度を誤れば殺されると思わせてしまったか、と。紀定は声を和らげ、膝もつく。視線が同じ高さになったことで、弾かれたように紀定を見た二人の目元が知れた。皺などない、あどけない目元が、子どもから抜けつつある若さを証明している。

 戸惑うように震える真っ黒な瞳と、紀定の目が見つめ合う。やがて、「あの」と片方が声を出した。やはり西の訛りがあると、紀定は微妙な違いにも気付いていたのだが。


「兄さん、もしかして、紀定のアニキやないですか?」

「……は?」


 それどころではない問いかけをされてしまった。

 バッと後ろで志乃が振り返ったらしく、視線が背中に突き刺さってくる。知り合いなのかと問われているのか、俺には兄貴と呼ばせてくれないのにどういうことですかと抗議しているのか。なんとなく後者な気がしてくる。無視したいところだが、生憎と今、紀定に逃げ場はなかった。正体はがっつり知られているし、「やっぱりそうや」と相手が目を輝かせている。


「おい、ほら、紀定のアニキやで。お前も憶えとるやろ」

「……ほんまや。お前よう分かったな」

「へへへ、アニキみたいなええ男は一目見れば分かってしまうんや。そういうとこも含めてカッコええねん」


 もう確信さえされている。紀定も心当たりをいくつか探し当てていた。探し当てれば、なぜ彼らがここにいるのかと新しい謎が出てくるのだが、それはすぐ分かるだろう。まだ、話を聞かせてもらっていない。


「……そうだ、私は産形紀定だ。お前たち、こんなところで何をしている」


 観念して名を明かせば、若者たちはワッとささやかな歓声を上げる。前門には紀定のあまりよろしくない姿を知る者たち、後門にはあまりよろしくない姿を知らないながらも彷彿とさせる呼び方をしたがる旅仲間。望まぬ針のむしろの上で、紀定はただ、渋面を作るしかできなかった。

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