甘い希死念慮は消えてた方がいい
愛内那由多
フェンスの向こう側
私が先輩と心中しようとしたのは、高校1年生のとき。
「ねぇ…そんなに、生きていくことに…意味ってあるのかな…」
とか
「この世界って…そんなに価値があるものなのかな…」
なんてよく言っていた。女の子だった私にもそんな言葉や感覚は理解できてしまったのだ。クラスメイトの間にあるヒエラルキー。教師達の生徒に対する圧力。激しく、終わりのない、安定を求めるためだけの競争。あげればきりがない。そういうものに疲れてしまったのだ。だから―この世界から消えてしまいたいと思ってしまった。
―それが最初の希死念慮。
血の通った現実からの逃避。すべてから逃げられるという、甘い妄想。それが―甘い希死念慮。
だから―先輩と心中しようなんて大それたことを実行しようとしたのかもしれない。もっとも―それを自分の確固たる意志だなんて言うつもりは毛頭ない。
けれど、甘い妄想は好きだった。なら―現実のものにしたかった。
「わたしと一緒に―死んでくれないかな?海里。ひとりで死ぬのは―怖いから」
「先輩となら…いいですよ…」
こうして私は、先輩と屋上にむかって行ったのだ。
屋上は鍵がかかっているので、普通は入れない。けれども、屋上の鍵の管理は案外適当で簡単にくすねてこられた。
そして、屋上に出る。
「思ったよりも高いなぁ」
先輩はフェンスに近づきながら言った。5階建ての校舎の屋上。ならそういう感想も正しいのかもしれない。
「そうですね…」
人が死のうと思ったら、それなりの高さが必要だ。失敗なんかしたくないし。ここは、その条件をクリアしているように見える。
そして、私達は屋上のフェンスを越えた。
建物の端に立ってみる。
なんだか…怖い。
安全装置としてのフェンスを越えただけなのに―見える景色がまるで変る。さっきまではただの高い所だった。けれど今は、一歩踏み出したら死ぬという―感覚がある。
ここから飛び降りたら―本当に死んじゃうんだ…。
現実逃避のための自殺なのに…。
私の妄想が現実味を帯びてきたのだ。
先輩は私の手を取った。そして、固く握りしめる。
「一緒に墜ちよう…。そしたら…なにもかも終わるから…」
先輩はささやくようにそう言った。
私はその手を握り返すべきだったのだろう。
先輩と一緒にいたいなら。先輩と一緒に死にたいのなら。
けれども、私はフェンスの向こう側に来て―怖いと思ってしまった。
この高さから飛び降りることが。
アスファルトに落ちることが。
死ぬことが。
私は―先輩の手を思いっきり振り払ってしまった。
そして、その瞬間に―私は死ねないんだと直感した。死にたいけれど―その勇気がない臆病者。先輩の心中についていけない憶病者。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…」
そう呟いたが、先輩に聞こえていたかどうか分からない。私はフェンスを乗り越えて―来た道を戻った。
そして、ドアの前に立って、校舎内に入ろうとしたとき、背後から―ドサッという音がした。
振り返ると―そこに先輩はいなかった。
ああ…あああ。
嗚咽と涙が出てくる。三半規管が暴れて、平衡感覚がなくなって上手く立てなくなって、膝から崩れ落ちた。
「ごめんなさい…」
先輩は一命を取り留めたが、学校にはいられなくなってしまった。私は屋上に勝手に入った罰として、3ヶ月停学になった。
そして、その間に思った。
先輩と一緒に私も飛び降りるべきだったんじゃないか、と。
だって、そうすれば先輩をひとりにしなくて済んだんじゃないか。退学にならなかったんじゃないか。
なによりも―先輩を裏切るべきじゃなかったんじゃないか。
先輩を裏切った罰を受けるべきだ。
だから―先輩に謝りたい。たった一言『ごめんなさい』と先輩の目を見て言えれば―それでいい。
そうしたら…。
窓の外を見ると、高いビルが見える。15階以上の高さがありそうだ。死ぬのには充分。そこから墜ちるべきだと思ってしまった。
今でも高い建物を見ると、そこから飛び降りるべきだという妄想が頭を満たす。
今度は失敗したくない。
7年前からそう思っていた。先輩に会いたい。謝りたいと。
けれどもそんな機会に恵まれることはなかった。
だから上司から―
「今日からウチで働くことになった―
と、言われたときは―開いた口が塞がらなかった。
先輩と同じ職場で働くことになるなんて。
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