第3話 魔物と貴族と魔法輪と

 薄暗く湿度が高い森……

 足元の草は自分の膝上まで伸びており、草についた水滴が着ている衣類を濡らす。

 全身泥だらけになっており、早くも風呂に入りたい状況だ。


「誰にも会わないな……」


 特にあてもないまま、道なき道を真っ直ぐに進み続ける。

 聞いた話では数千人はここに飛ばされているはずなのだが、

 一向に誰にも出会う事は無い。


「――ッ!」


――キチチ……


 すぐさま地面に伏せた。

 全身泥まみれになって不快だが、そんな事は言ってられない。


 草木を挟んだ先に、全長3メートルほどある大型のカマキリのような魔物がゆっくりと歩行している。


 そのカマキリの表皮は、まるで鉄板の様に艶やかで非常に硬そうである。


(こんな奴に剣が通るのか……?)


 こいつを見るたびにそう思う。

 人には会わないが、このカマキリ型の魔物には頻繁に遭遇している。

 巣か何かが近くにあるのだろうか……。


 俺は息を潜め、魔力を限界まで抑えた。


(早くどこか行け……!)


・・・


 完全に姿が見えなくなった事を確認した後、立ち上がりカマキリが向かった方向を見つめる。

 顔についた泥を手で払おうとするも、手も汚れている為、泥を伸ばすだけとなった。


「はぁ……」


 思わずため息がこぼれた。


 どこへ向かって行けばいいんだ?

 こんな場所に……安全な所なんてあるのか……?

 そんな疑問を持ちながらも、再び俺は歩み続ける。


・・・


 進んでいくにつれにどんどん暗くなってきた。

 何時なのかは確認できない。

 

 歩き続けるだけの……長い一日だった。

 だが日々の訓練のおかげで体力的にはまだ余裕がある。

 本当に頑張ってよかった。


「少しでも安全そうな場所を探そう……」


 休める場所を探す為に、周囲を見渡しながら移動した。すると、大きな岩と木の間に小さな隙間を見つけた。

 俺のサイズでギリギリ収まる程度の隙間……というよりは窪みだ。


 だが贅沢は言ってられない。全身を隠せる窪み……非常にありがたい場所だ。


 魔力を抑えたままローブに枯葉や土をかけ、窪みの出口を覆い隠した。

 もはや泥や枯葉に対して抵抗は一切なくなっていた。


 寝ころぶほどの広さは無いが、後ろの岩が背もたれの様に使えたので、少しは休む事が出来そうだ。


「お腹空いたな……」


 少し落ち着き腰を下ろしたせいか、急激に空腹感が襲ってきた。

 そういえば、この時間まで食事は一切していなかったな……。


 俺は軽く手を拭き、持ち込んできた小麦粉を平たい丸状にして焼いた食べ物……煎餅のような物をカバンから取り出し口にした。


――パリ……


「うまい……」


 今日初めての食事……砂利も口に入ったが、それごと飲み込んだ。

 そして、もう1枚に手が伸びそうになったがぐっと堪えた。


 俺のカバンの中には掌程度の煎餅が20枚、他には水の入った袋とナイフが入っている程度……

 多くを持ち込む事が出来なかった為、生き残るには現地調達が必須だ。


 水を少し飲んだ後、楽な姿勢をとった。


 さて、少し状況を整理しよう……。


 俺は真っ直ぐあてもなく進んでいた。途中で出会ったのは大型のカマキリの魔物だけだった。

 父さんから聞いた、俺くらいでも狩れる小さな魔物……[スライムボール]は見つける事が出来なかった。

 こいつの肉は絶品らしいけどスライムなんだよな? 食べるのはちょっとためらうよな……。


――チチチ


「?!」


 少しリラックス状態だった為、思わず声が出そうになった。

 あまりにも近い場所でカマキリの声がしたのだ。


「……」


 ローブを挟んだすぐ先にいる……興味本位で見る気にもならない。

 俺はひたすらに息と魔力を全力で抑えた。


――グチュ……バキ……ズズ……


 何か……食べているのか?


 液体を啜るような音……バキバキっと何かが折れるような音

 この音は……映画で見るような、死体を食う音に似ている……。


 嫌な想像ばかりしてしまう。

 早く終わってくれ……!


・・・

・・


「……ッ!!」


 出口を覆ったローブの隙間から明るい光が射している。

 どうやらじっと耐えている内に、眠ってしまったようだ。

 

 よくこんな状況で爆睡したな俺……。


――スッ


 恐る恐る出口を塞いでいたローブを外した。

 昨日より少し温度が高く明るい。

 どうやら晴れているようだ。


 木々の間から射す光を見ながら、時計を確認しようとした。

 しかし、葉が多すぎて上空までは見る事が出来ない。

 結局昨日と同じく、明るさで大体の時間を予想するしかないようだ。


「……」


 昨晩、何か起こったはずなのに……痕跡は一切ない。昨日と同じ状態だ。

 近くだった気がしたけど、結構遠い所だったのかもしれないな。


 そう思い少し安堵したのも束の間、俺の視線は泥で汚れた緑の小さな布切れを捉えた。


「これは……」


 その布に触れて擦ったり伸ばしたりした。その結果、俺がシャツとして着ている布と全く同じ色、素材だという事が分かった。


 つまりこの布切れは、うちの村の子供が着るシャツの素材という事だ……。


「他に何か痕跡は……」


 俺は地面に伏せ、その周囲に何か他の痕跡が無いかを探った。

 すると、1枚の枯葉の違和感に気がついた。


「赤い水滴……いや、血だ」


 そんな僅かな血の跡……それがぽつぽつとだが見つかったのだ。

 仮にあの音で、人が食べられていたとしたら、もっとグロテスクな惨状になっていてもおかしくない。


 よく観察しなければ見つからない程の血の跡……丸のみなら分かるが音からしてそれは無い。


「……一体どういう事だ」


 そう思いながらも急いで荷物をまとめる。

 この場所が、あのカマキリの餌場がなら直ちに移動しなくてはならない。

 今日で二日目……早くサーチだけでも習得したいが……。


 俺は煎餅を1枚頬張りながら、また歩き始めた。

 

・・・

・・


――バシャッ


「はっ……生き返る……ッ!」


 俺は今、目の前の川の水をがぶ飲みしている。


 あれから同じ方向に真っ直ぐに進んだ。

 午前中は一時間に一度はチチチと鳴き声がしてカマキリに遭遇しそうになっていた。

 しかし、その鳴き声も昼を過ぎた頃には殆どしなくなっていた。


(巣からは遠ざかったのだろうか……)


 そして運が良かったのか、川の音が聞こえ始め、その音に釣られてきたのがこの場所だ。


 川の周辺で安全そうな場所を見つけたいところだが……。

 そう思いながら周囲を見渡した。


――ガサッ


「――ッ!」


 すると、後方の茂みから音がし、俺は咄嗟に振り向き剣を構えた。


「君達は……!」


 思わず声が漏れた。

 なんと現れたのは、紫髪の少年4人だった。


「無事だったんだね! 4人で行動してたのかい?」


 俺はすぐに武器を収め、その4人に近づいた。

 この時、生存者がいた喜びと同じ紫髪に会えたことに安堵し、油断していた……。


――ドン!!


「は? 何するんだよッ!!」


 先頭に居た奴が思いっきり突き飛ばしてきた。

 そして、そのまま4人は無表情で俺を囲み、地面に押さえつけた。


「ぐ……! おい、何か言えよ!」


 流石に4人に押さえつけられると動けない……なんでだ? 一体何が……!


「よくやったね。僕の奴隷達」

「は……?」


 同じ方向の茂みから、遅れてもう一人の少年がやってきた。

 そいつの姿は黄色い髪、そして黄色い瞳だった。


 俺は咄嗟に父の言葉を思い出した。

 黄色い髪と瞳に気を付けろと言う言葉を……。



 そいつはゆっくりと俺に近づき地面に伏せる俺を見下ろした。


「いやー紫にまた会えるとは僕もついてるねぇ」


 そいつは俺の頭を足で踏みつけながら言った。

 怒りが湧いてくるが……ぐっと堪えた。


「何だお前は……!」


 頭を踏みながらそいつは話し始めた。


「今4人しかいないでしょ? 紫。補充したいんだよね~せめて最初の10人くらいまではさ」


 紫髪の子の頬をペシペシと叩きながら話す。

 俺はその様子にかなりイラつきを感じていた。


「こいつらは僕の言いなりさ。会話もできないしつまらないんだけど……身代わりとかには持ってこいなんだ」

「俺はこいつらの様に言いなりにはならない。早く離せ」


 すると黄色髪の少年は嘲笑しながら俺に言った。


「ふふ、君の意思なんて関係ないんだよ。僕のような貴族は紫の下等種を言いなりに出来るのさ」

「……は?」


 すると、黄色髪の少年は俺の顎を掴み、無理やり自分の目を俺に見せた。


「下位掌握」


「な……」


 黄色髪が下位掌握と呟いた瞬間、俺の身体は他人の物になったかのように……動かなくなった。


「さて、肉壁が5人になった。さらに安心だ! さぁ行くぞお前達」


 そう言われ、俺の身体は勝手にそいつについて行く。

 意識はあるのに身体は全く動かない。

 

「……」


 声を出そうとしてももちろん出せない……。

 この状況……かなりやばくないか……!


 思考は出来る為、状況はすぐに理解できた。

 他の子もこういう状態なのか。

 どうやってこの窮地から抜け出す……!!


――ガサッ!!


 そんな事を考えている内に、あろう事か茂みから1匹の魔物が現れた。

 カマキリの姿をしたあいつだ……。

 しかし、今まで見てきたカマキリとは少し違う気がする。

 全体的な艶感……表皮の感じも少し違うような……。


「ひい! こんな所にまで現れるのかよ! おい、お前こいつを引きつけろ!」


 そう言われた紫髪の子は剣を構えそのままカマキリに走って行く……。

 そんな突っ込み方じゃ死ぬのがオチだろ……ッ!


――チチチ!

――ザシュッ……


 案の定、その子は胴体で両断され、一瞬で命を失った……。


「一瞬しか持たねえな! おい、お前とお前いけ! お前らは俺と逃げるぞ!」


 また、別の二人がカマキリに向かう。

 こいつは……こいつはこうやって生き延びてきたのか……!!


 怒りが抑えられない。

 こんな奴が生き残って、俺ら紫髪は犠牲になるのか……?

 貴族ってなんだよ。

 こんなの……こんなの許せないだろ!!


「なんだよあいつ……すげえ速いじゃねーか!!」


 黄色髪はひたすらに真っ直ぐ走って逃げる。

 この速度じゃすぐに追いつかれるだろう……。


「おい! お前はここで立って待て! デッドマンティスが来たら戦え!」


 あのカマキリ、デッドマンティスって言うのか……。

 結局、最終的に俺と黄色髪の二人になってしまった。


 そして……


――チチチ!!


「ひい……嘘だろ……」


 鎌や口元が血に染まるデッドマンティスは、俺達の目の前まで来ていた。

 まずい、このままでは……。


「お前、俺を守れえ!」


 その命令に俺の身体は従う……このままではこいつの盾になって死ぬ……! 絶対に……絶対に嫌だ!!


「ぐ……うおぉぉぉ!」


 頭の中で何かがはじける感覚が走り、全身に意識が戻ってきたような感覚となった。


「は? お前なんで声が! まさか掌握が解除されたのか? ありえない……!」


 鎌が振り下ろされたその瞬間、俺の身体は完全に動くようになっていた。


――ザンッ!!


 寸前でそれを回避、すぐに抜刀しそのまま右腕鎌を、逆袈裟斬りでぶった切った。


――ヂヂ!


「やっぱりな! 見た目通りお前は柔らかいな!」


 すぐに剣を引き、上段の構えをし、左腕鎌も切断した。


「ハッ……!」


 腕が落とされ動きが鈍っているデッドマンティスの脚部に足を掛け、そのまま飛びあがった。


「トドメだ……ッ!」


――ザンッ!


 首の部分に剣を突き刺し、そのままひねる様に刃を落とした。


――ブシャァァ……


 頭部は完全に切り離され、切り口からは青紫の液体が噴き出し、嫌な匂いを放っている。

 そしてゆっくりと足を崩し倒れて行った。


「はぁ……はぁ……」


 俺はその様子をじっと見ながら戦闘を反芻した。

 自分でもここまで動けた事に驚いている。

 戦闘時、視界はいつもより鮮明に見え、身体も指先から頭の先まで今まで以上に自由に動かせる。

 死が間近に来たことで、何かが覚醒したのだろうか。


「さて……」


 俺は黄色髪をどうしてやろうかとそいつに振り返った。

 だが……


「ごふ……お前が避けたせいで……」


 俺が避けた鎌で、右胸辺りに大きな風穴があいていた。


「……当然の報いだ」


 俺はそいつの目の前に行き、そう吐き捨てた。


「下位掌握」


 目が合った瞬間、そいつは再び下位掌握を唱えた。


「なっ……!」


 一度解除してもまた掛かってしまうのか……!


「この下位掌握は、貴族がお前ら下民を使う為の魔法だ……」


 下民……この世界には明確な階級があるのか?

 そんな事を思いながらも、また声すら出せなくなった。


「お前だけ生き残るのも癪だ……そこで自害しろ」


 そう言われ、俺は剣を自分の首元へと近づけて行く……。


「……ッ!」


 そういった命令も可能なのか……恐ろしすぎる言葉だ。

 く……ダメだ。抗えない……ッ!


 折角デッドマンティスを倒せたのに……!!


――ガサッ!


 突然、別の人影が木から飛び降りてきた。

 そして、黄色髪の目をみて呟いた。


「下位掌握」


 突然現れた女の子の一声で、

 俺と黄色髪の動きが止まった。


「……間一髪」


 その子の姿は、俺とも黄色髪とも違う物だった。

 髪型はツインテールで、真っ赤な色、瞳も綺麗な赤色だった。


「動ける……! 有難う! 君は?」


 女の子は俺の問いかけをスルーし、デッドマンディスの方へと向かった。

 そして、無言でナイフで捌き始めた。


「あの、君は一体……」


「デッドマンティス……君が仕留めた。でも食べないなら頂く。助けた報酬だ」

「あ、いや……食べるの? これ……」


 デッドマンティスを捌く姿を見て俺は少し吐き気を催した。

 だが、食べられるのなら食料として換算しなければならない……まずは吐くのを我慢だ。


「この時期には珍しい、柔らかい個体。無駄には出来ない」


 やわらかい個体……そうだ! 俺は最初こいつの表皮を見て堅そうじゃないって思ったんだ。


「……」


 俺は思わず少女をじーっと見た。

 何というか……違和感があったのだ。


「なんだ?」


 じっと見てしまったせいで流石に気がつかれてしまった。


「いや、なんだろ……君の周囲を何かが覆ってるように見えてさ……」


――チチチ!


「――ッ!」


 また奴の声がする! 一匹じゃ無かったのか……!

 俺はすぐさま剣を構え、声の方向へと向いた。

 ……さっきのように戦えるのだろうか……!


「また柔らかい奴。今日はついてる」


 そういって、少女は右腕の袖を捲った。


「……ッ!? その腕は……!」


 俺はその少女の腕を見て驚愕した。

 驚いた理由は二つだ。

 まずは、手の甲の輪……形状は普通だが、輪の色が灰色である。

 そしてその腕には驚く事に5つの輪が刻まれているのだ。


 少女が自身の手の甲の輪に触れると、輪は半分浮かび上がった。

 そして、そのまま手から数えて4番目の輪に触れた。


 そのまま掌をデッドマンティスに向けた。


「四輪、バインド」


 少女がそう呟くと、掌から円盤状の何かが射出された。それからはかなりの魔力を感じる。


――ガシャン!


 デッドマンティスにそれは見事に命中した。

 すると、円盤から無数の鎖が出現し、デッドマンティスを完全に拘束した。


 そして、少女はデッドマンティスに向かって一直線に走り、上に飛んだ。


――ドシュゥ!!


「え……なんつー威力の蹴りだよ……!!」


 俺は思わず声が漏れた。

 何と少女はそのまま空中で回転し、デッドマンティスの頭部に向けて踵落としをしたのだ。

 そして、頭部は粉砕され、地面にベシャっと落ちた……。


「これはマグが仕留めた。こっちは渡さない」

「あ……ああ」


 一瞬にして驚く事ばかり起きた。

 それも束の間……俺にも異変が起こった。


「なんだ……?」


 触れていないのに、手の甲の輪が発動し、腕に少しピリピリする感覚が走った。

 そして、浮き上がるように一つの輪が刻印された。


「魔法輪……俺にも遂に!」


 そうやってひとりで喜んでいると、少女が俺に近づき、手の甲の輪をじっと眺めた。


「……君もユニークリングなんだ」


 俺の輪を指でなぞりながら呟いた。

 いきなり手を握られて少し焦った……。


「ユニークリングって……?」


 俺は疑問を投げかけるも少女はスルーし、


「でも神徒じゃないから仲間じゃない」


 といってそのまま立ち上がり去ろうとした。

 俺はそれを見て、急いで大きな声で一つの質問だけを投げた。


「なぁ! 君には5つの魔法輪がある! でもここに居るって事はリターンを覚えられなかったのか?」


 そう言うと、少女は少しだけ止まり、腕の魔法輪を見せてきた。


「……この二つ目がリターン。でもマグ達は帰る気がないの」


 そのまま指で3,4,5の輪を触れながら言った。


「これは二輪のリターンの後に覚えた」


 そう言うとまたすぐに去ろうとする。

 俺は手を伸ばし少し追うように質問を投げる。


「ど、どうやって!」


 少女は質問を沢山してくる俺にため息交じりで呟いた。


「魔物を沢山倒した。それだけ。じゃぁマグは行く」

「あ……待って……!」


 俺の声は届かず、通常では考えられないようなジャンプ力で木に飛び乗り、そのまま消えて行ってしまった。


「マグって言うのかあの子……てか貴族の奴はどうなった!」


 そう思ってその場所に戻ると、何かに引きずられたような血痕を残し、何処かへと消えていた。

 まぁでも正直どうでも良い……今日はもう休むか……。

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