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 ナビさんの熱い思いのお蔭で、主人公がヒロインに告白して自分が今いる亡命先に連れてくるエピソードを仕上げることが出来た。

 この1巻目の物語の最大の山場だ。


 タイトルは、『小説「異世界小説家と女暗殺者の物語(異世界からの恋文編)」』。

 そして、タイトルの下にサブタイトルとして『「拝啓、愛しの女暗殺者様へ」』と書いておいた。

 上手く伝わるかはわからないけど、「愛してる、リリィさん」と言う代わりに書いたつもりだった。

 

 この異世界を変えることが出来なくてもいい。

 リリィさんに。

 リリィさんに、僕の思いが届けばそれでいい。

 フェイスやローズさん達には悪いけど。


 この世界の仕組みにまで影響させることが出来なければ、リリィさんを本当に救い出すことにはならないだろう。

 永遠に『暗殺者』としての影が付きまとう。


 それを生業として生きていれば、苦しむことは少ないかも知れない。

 けれど、普通の生活を過ごしている内に、平凡に生きてきた僕らの姿と比べてしまうだろう。

 そして、体が弱って気力も弱ってきた頃、彼女を蝕んでいくかもしれない。


 それは困る。


 だから、仮に帝国で出会った時に夢の事を思い出しても、気を失わずに連れてくることが出来たとしてもダメなのだ。

 

 何で僕は、こんな厄介な人を好きになったんだろう。

 何故、出会う運命に定められていたのだろう。

 

 もしかしたら、数万年もしたら神話の様に語り継がれることになるのだろうか?


 ようやく書きあがった原稿をフェイスとローズさんが見てくれている。

 ナビさんは、少し心配している。

 前半部分は、かなりの文章を庶民の言葉に書き換えてきたからだ。

 だが、その心配は無用だと思う。

 二人は、そんな事気にしない人達なのを僕は知っている。


「うん。直ぐに印刷所に回そう。枇々木ヒビキ、ナビ、ありがとう。よく頑張ってくれた」

 フェイスの労いの言葉を聞いたナビさんは目に涙を浮かべていた。


「ウェッグ、ウェッグ。グズッ!」

 ローズさんは、最後の告白の部分を感動してくれたらしく、人目をはばからず泣いて感動してくれていた。

「ヒグィキさぐぅ。すごぐ、よがっだでずぅ。ううぅ――」

 困った。

 ローズさんが、何を言っているのかわからない。


 フェイスは原稿を大事にカバンに入れて印刷所に向かう準備を始めた。

 大事な原稿だから、自分の手で持って行くと。

 

 ローズさんは、あんまり激しく泣いていたのでフェイスは心配して一緒に連れ帰ることとなってしまった。

 どうも僕の書いた小説に感動しただけではないようだ。

 これまでの苦労の事も涙の中にはあるのかもしれない。

 

「ナビ、申し訳ない。これではローズが役立たずだ。しばらくは枇々木ヒビキの世話を頼む。任せて良いかい?」

 フェイスは、ナビさんの気持ちを少し察していた。

 そして、この後皇国を離れて異国に行ってしまうと、ほぼ二度と会えなくなる。

 だから、それまではという配慮もあったのかもしれない。


「はい、殿下。お任せください」

 ナビさんは嬉しそうに返事をした。

「ナグィちゃん、ごめんなザイ。嫁入りマゼなのに、お世話をまがせでしまっで」

 ローズさんは、泣きジャグりながらナビさんに礼を言っていた。

「ローズ様、どうか御気になさらないように」

 ナビさんは、貰い泣きしていた。


(何だこれは? 俺は、死ぬのか?)

 二人の会話を聞いて、僕は変な気持ちにさせられてしまった。


「ハハハ。まるで葬式か、永久の別れみたいな会話だな。ナビさんとは会いにくくなるだけだぞ。これじゃまるで、私が追放するみたいじゃないか」

 また、フェイスの悪い冗談が出た。

「す、すいません殿下」

 ナビさんが恐縮してしまった。

「フェイス、冗談が過ぎるぞ。ナビさんからしたら、冗談とは受け取れないじゃないか?」

 僕はフェイスをたしなめた。

「ハハハ。悪い悪い。ナビ、御免なさい。謝るよ」

「いいえ、殿下。大丈夫です」

 かえってナビさんが恐縮してしまった。


「さ、もう行こう。急ぎたい。何しろ実在のヒロインさんが、この本が届くのを待ち望んでいるだろうからね」

 そう言うとフェイスは慌ただしく出かけていった。

 ローズさんは、引きずられるように連れていかれた。


 門の前からフェイス達の馬車が見えなくなるまで見送った後、僕とナビさんは屋敷に戻った。

 

 リビングには、使用人さんがお茶を用意してくれていた。

 僕とナビさんは、二人でそれを飲んで一息ついた。


「ご苦労様でした、枇々木ヒビキ様」

「ナビさんも、ありがとう。ナビさんがいなければ、もっと遅れていたし、みんなが読みにくい文章のまま出してしまう所だったよ」

「いいえ。大したことはありません。それよりも、これからが大変ですよ」


 そうだ。

 ナビさんは、これからお嫁に行くのだ。

 もう、2巻目からは手伝ってもらえない。

 遠方から人妻を呼び寄せて、何日も缶詰にするわけにはいかないのだ。


「ナビさん、リリィさんが皇国に来たら、ナビさんの事をちゃんと伝えるよ」

 僕は、ナビさんのお蔭で本を書きあげられてリリィさんの手元に届けられたことを伝えようと思った。


 しかし。


「それは駄目です。枇々木ヒビキ様」

 少し厳しい口調でナビさんは答えた。

「え? な、なんで?」

 僕は驚いてしまった。

枇々木ヒビキ様。お忘れですか? 私の役目は諜報活動などの秘密の仕事です。殿下やローズ様、枇々木ヒビキ様には会う事は出来ますが、他の方には赤の他人として振る舞わなければなりません。何をしているか知られるわけにはいかないのです」

「うん。そうだけど、リリィさんも関係者だし……」

 僕は、リリィさんが来たら同じ身内になるから大丈夫と考えていた。

枇々木ヒビキ様。いくらリリィ様でも、他の女性と仲良くしていたのかと知ったら気分を悪くされますよ」

「え? そうかな?」

「そうです!」

 ナビさんは、フンッと言った顔で答えてくれた。

「それに、花を受け取っていたのが私と知ったら、リリィ様に恥をかかせてしまいます」

「そうかなぁ?」

 僕は、何とか食い下がろうとしたが、ナビさんは頑として言わないでくれと譲らなかった。

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