第4話 整形男
それから数日して、捜査一課の電話がなった。内容を訊いてみると、さつ人事権の通報であった。
場所は、繁華街の中でも風俗街が密集しているあたりで、ちょうど、裏に当たる狭い場所であった。
そこに、ビール瓶などが置かれていて、発見したのは、ビールの配達員であった。このあたりは早朝営業もあってか、朝の八時にはすでに店が開いていたりする。その日の早番の従業員が店を開けた時には、そんな素振りは何もなかった。店の開店前には、一応裏理事の扉の鍵を開けて、表を確認するのが常になっていたからだ。
なぜかというと、裏路地に何か悪戯されていないかを確認するというだけで、それ以外には深い意味はないが、以前は悪戯が蔓延った時期があったということで、店側も恒例の作業となり、誰も違和感のない作業であった。
だから、裏の扉を開けた時には何もなかったのは当たり前のことで、そのことは訊ねてきた巡査にも説明をした。
ちなみにその日の巡査当番は、倉橋刑事で、久しぶりの殺人事件ということで緊張していたが、実際に現場を見ると、あまり気持ちのいいものではなかった。男が狭い路地に倒れ込むようになっていて、その胸にはナイフが刺さっている。刺殺されたのだということは一目瞭然だった。
さらに、咄嗟に首筋を見たが、そこには扼殺痕もなかったので、やはりナイフによる殺害であることは間違いないと思った。
それからすぐにK警察から、桜井刑事と福島刑事がやってきた。
「ご苦労様です」
と敬礼を死、お互いをねぎらったが、すぐに一様に緊張した表情になり、まずは桜井が被害者を覗き込んだ。
その顔はまさに断末魔の表情そのもので、カッと見開いたその目に、犯人の痕跡が残っているかのようで、無念だったのではないかと桜井は感じた。
その後に覗き込んだの福島だったが。福島刑事の反応は、桜井刑事とはまったく違っていた。被害者を見たとたん、それこそ断末魔の表情が被害者から移ってしまったのではないかとお思うほど、彼も被害者に対して目をカッと見開き、その目を動かすことができないようだった。
「福島刑事は、この男を知っているのかい?」
と言われて、青い顔をしていた福島刑事はその表情をやっと元に戻し、
「この男は、若松という男です」
と、やっとの思いで口にしたが、
「君とはどういういきさつなんだ?」
と訊かれて、
「私にとっては因縁の相手なんです。私が恫喝したと言って、私に冤罪の汚名を着せた男がこいつだったんです。こんなことになるのなら、あの時、有罪になっておけばよかったのに」
と、思わず本音がこぼれてしまった。
――それだけ福島刑事は、彼のことを一時も忘れたことがなかったのではないか?
と、桜井刑事は考えた。
それも無理のないことであったが、確かに、かつての自分に冤罪を押し付けた相手と、このような形で再会しなければいけないなど、誰が想像できたであろうか。
「確か、二年くらい前のことだったのかな?」
「ええ、そうです」
「その時、被害者は、どんな犯罪を犯したんだい?」
「あれは、彼が詐欺集団に属していたという話を訊いて、前の署で、詐欺集団の専門家が内偵をしていたんですが、その人が殺されるという事件があったんです。その実行犯として、当時チンピラだった若松が自首してきたんですよ。だけど、曖昧な証言ばかりで、一向に事件の核心に入ろうとしない、そこで我々捜査陣は十分に怒りがこみあげてきて、皆苛立っているような感じでした。そんな中でも一番私がやつの取り調べに熱心だったので、きっと私をターゲットにしたんでしょうね。きっと自首する時点で、決まっていた計画だったんでしょう。曖昧な証言や警察を愚弄することで、最終的に自白の強要を裁判で持ち出すというですね。裁判で覆されてしまうと、刑事としては、どうすることもできない。検事さんに任せていたんですが、結局、相手の思惑通りになったということです。きっと弁護士も詐欺グループに関わっていたんでしょうね」
と福島刑事は言った。
それを聞いて桜井刑事も、
「当たらず遠からじではないだろうか?」
と思ったのだった。
詐欺集団というと、この間一緒になった韮崎刑事も知っている相手ということになるんだろうか?」
と桜井刑事が訊くと、
「ええ、もちろん知っています。私がやつを逃がしたのを、私以上に悔しがっていたくらいですからね。元々韮崎君とは、研修の時から仲がよくて、配属部署は違ったんだけど、お互いに切磋琢磨しながらやっていこうと話し合った仲なんですよ。だから、僕が精神的に苦しい時も一緒にいてくれたんですよ。彼の相手を慰めるやり方は変わってましてね。苦しんでいることを本人以上に悔しがって見せるんですよ。そうすると、こっちもあっけに取られて、どっちが慰めているのかって分からなくなるくらいなんですが、それが結構効くようで、あれが彼の精神安定剤なんでしょうね。私も助けられました」
と、福島刑事は笑っていた。
――なるほど、福島刑事のように、頭に血が上りやすいタイプでも、冷静になれる人間であれば、韮崎刑事のようなやり方は功を奏するかも知れないな。でも、皆に当て嵌まるわけではないだろうが――
と、桜井刑事は感じた。
鑑識の話では、
「死後、五時間くらいだと思うので、早朝の四時から五時の間くらいではないかと思われます。死因は、胸に刺さっているナイフだと思われます。おそらく即死ですね。ただ、これは解剖してみないと分かりませんが、睡眠薬か何かの薬が使われている可能性もあると思われます。被害者が眠ったところで刺したと考えれば、まわりに抵抗の痕がほどんどないことも分かるというものですよね」
ということであった。
「じゃあ、声も立てずに、いきなり刺されて、ショックで目をカッと見開いて断末魔のような表情になったということですか?」
「そうだと思います。眠っていても、刺されれば反射的に目を覚ましますからね」
ということであった。
「他に何か気になったものはありますか?」
と言われた鑑識官は、少し考えるようにして、
「これもハッキリといつなのかということまでは言えませんが、この男、顔を整形していますね。原型をとどめているかどうかは分かりませんが、かなり大がかりではないでしょうか?」
と言って、鑑識官は、首筋をまくった。
なるほど、そこには絞殺の痕はなかったが、そのかわり、針で縫ったような傷跡があった。まるでフランケンシュタインのような痛々しいその首筋には、死後硬直が生まれていて、顔と、首筋から下をよく見ると、傷口のあたりから、明らかな色の違いを感じさせられた。身体は死斑が出てきたり、冷たくなったように見えるのに、顔はそこまで変化がなさそうだった。そういう意味で元から生きているかのような死んだ肌を顔に張り巡らしていた証拠であろう。
「ということはどういうことになるんだ? じゃあ、この男は若松ではないということになるんでしょうか?」
と、福島刑事は鑑識官に訊ねたが、
「それは、これからの捜査になるのではないかと思いますが、彼が顔に整形を施しているのは間違いないようですね」
と鑑識官は冷静に答えた。
それを聞いて、
「よくこの死体が整形だとすぐに気付かれましたね。確かによく見ると後が見える気がするし、身体と顔との血色の違いも分かる気がするんですが、どうも鑑識官は、最初から分かっていて、これをいうべきかどうか、迷っているように思われたんですよ。分かっていたはずだったら、ハッキリとはしないまでも、報告としてはするべきことだからですね」
と桜井刑事は言った。
「ええ、おっしゃる通り、私は死体を見た瞬間に、整形を感じました。でもですね、刑事さんはご存じないかも知れませんが、変死体と思しき死体で、解剖に回された死体は結構整形を施している人は多いんですよ。でも、それは刑事さんが捜査を必要とするものではないので、いちいち刑事課に報告されることはなかったと思うんです」
と鑑識官はいうのだ。
「何ということだ。そんなに変死体が整形していることが多いということか? だったら、我々にもそのあたりの情報を教えてほしかった気がするんだけど」
というと、
「お言葉ですが、報告を挙げれば、捜査していただけましたか? 事件性のないと判断したものに対して、警察組織は動かないでしょう? だったら報告しても、握りつぶされるか、無用な混乱を招くかのどちらかになってしまいますよね?」
と鑑識官は、明らかにその目に戒めが感じられた。
さらに鑑識官は続けた。
「刑事さんを責めているわけではないんですよ。我々としても自殺や変死の共通点として言っているだけで、別に整形は犯罪でもないですからね。薬物反応が出た人に関しては。薬物担当の捜査課に捜査をお願いしています。だから、問題ないと思っています」
と、あくまでも自分たちの正当性を訴えた。
かなり興奮しているようだったが、、それも無理もないことだろう。
何しろ、これは鑑識官が責められるべき問題ではない。確かに報告義務もなければ、混乱を招くと言われればそれまでだったからだ。
「でも、整形というのは、皆同じ人間の手によるものなんでしょうかね? 鑑識の目から見てどうなんですか?」
と意見を聞いてみた。
「私の目から見る限りは、限りなく同じ人物によるものだという気がしますね。勝手な憶測で恐縮なんですが、特撮ものなどで、悪の秘密結社が、改造人間を一般社会に送り込んでくるかのような感じですよ。裏に我々の想像を絶するような、秘密結社があったりするのかも知れませんよ」
と、現実と架空の話を混同して話しているかのようだったが、今までの話の流れから、決して冗談だと言って笑い飛ばすことはできないような気がしたのだ。
「なるほど、私も同じような発想を抱いていました。でも、さすがにどこまで信憑性のある話なのかと思うと、かなり現実離れしているような気がしますね。でも、整形というのが事実であれば、放っておくわけにはいかない気がしてきました。これは、反社会的勢力を相手にしている課とも相談して、事に当たらなければいけないことなのかも知れないですね」
と桜井刑事は言った。
犯罪というものは、どこからどこまでを差すのかということを、よく分からなくなる桜井だった。
個人のプライバシーに抵触するということで、本当であれば、大きな犯罪が見え隠れしているにも関わらず入り込めない場合もある。
また、こちらは犯罪だと認識していながら、被害者が被害を受けていないというように主張すれば、それ以上は立ち入れない。特に個人間の問題で、DVであったり、家庭内暴力、校内暴力や苛めなどである。
ご近所トラブルにしても似たような問題と言えるのではないだろうか。
相手が、
「これは訴えない」
と言われればそれまでだからである。
子供への暴力であれば、家庭相談所が相談員を向かわせることもあるが、これも警察に対するのと同じで、後の祭りというのが結構多い。
「あの時に分かっていたのに」
と言ってもすでに遅いのだ。
だから、世間では、
「警察は何かが起こらないと動いてくれない」
と言われるのであるが、確かに最初から動かない人もいるが、行動しようと思ってもプライバシーの侵害という問題が絡んでくるので、迂闊に介入できないのも警察であった。
そういう意味では世間というのは、言いたいだけ言って、自分がその立場になって、やっと気づくというのが、本音というところであろうか。警察官として一番やキリれないところと言っても過言ではないだろう。
とにかく鑑識官の話はそれくらいだったので、次には第一発見者に話を訊くことにした。
第一発見者というのは、この店にビールを届けているアルバイトの青年だった。まだ大学生ということで、運転は社員の人がして、もっぱら、そこから配達に赴く役だった。
「ここは、会社から一番近くの店なんですが、運転手の人のやり方で、近くからどんどん遠くに広がっていくという配達方式なんですよ。それで九時過ぎにここに配達に来てみると、何やら人が倒れていて、よく見ると胸にナイフが刺さってるということじゃないですか。ビックリして中の受付のスタッフに、警察への通報をお願いしたわけです」
と青年がいうと、
「じゃあ、他のお店への配達には、社員の人が向かったということでいいのかな?」
と青年は訊かれて、
「ええ、そうです。たぶん自分には第一発見者としての事情聴取があるだろうからということでバイト先の会社に連絡をして、こういうことになりました。運転手の人はずっと車の中にいましたので、この状況をまったく見てないですから、いなくても大丈夫なんです」
ということだった。
彼は名前を矢田だという。
「ところで矢田君は、いつもこのくらいの時間にここに配達に来るのかい?」
「ええ、そうですね。大体九時半か十時くらいでしょうか? でも毎日じゃないんですよ。定期配達の日が決まっていて、月曜日と木曜になんです」
という。
「じゃあ、今日は木曜日なので、君が最初に発見したということだね?」
「そういうことになると思います」
「ところで、スタッフの方に伺いますが、彼が発見しなければ、次に発見するのは誰になっていたんでしょうね?」
と訊かれた受付スタッフの青年は、たぶん、昼過ぎまでは発見されなかったと思いますよ。何しろ、配達でもなければ、そこを通る人はいませんからね。でも、スタッフが午後になって一度換気をするんです。その時に一度表に出るんですよ」
と言った。
「ところで、矢田君がこの死体を発見するまで、どうして誰も見つけることができなかったんでしょうね? 朝は誰もあそこを開けないんですか?」
と言われて、
「いいえ、そんなことはありません、先ほど、あそこの巡査の方にもお話はいたしましたけども、我々スタッフが七時過ぎくらいに出社して、一度あそこを開けることになっているんです」
というのを訊いて、
「じゃあ、その時はあそこに死体はなかったということになるのかな?」
と訊かれて、
「ええ、もちろん、そうですよ。死体があんなところにあったら、我々だって気付きますよ」
というではないか。
「じゃあ、君が今日はあそこを朝一番に確認したのかね?」
「ええ、あれは、七時半くらいだったと思います。私はいつもそれくらいの時間に確認するんですよ。なぜかというと、いつも朝の用意のパターンは決まっているので、朝出社する時間が誤差があっても、二、三分なので、確認の誤差は五分程度だと思います。だからmほぼ七時半だと言っていいと思います」
というのだった。
「ところで、君はあの死体を見たかね?」
と言われて、スタッフは、
「ええ、見ました」
と答えたが、
「君はあの人物に心当たりがあるのかい?」
と言われて、
「ええ、お客さんの中にあの人はおられました」
「常連さんなのかな?」
「ええ、最近よく来てくださっています。よく来てくれるようになったのは、一年半くらい前からだったでしょうか。最初の頃は足しげく通ってくれて、一週間に二、三回も来てくれていました。よくお金がもつものだと思っていたくらいです」
「何か彼のことで気になったことがありますか?」
と訊かれたスタッフは、
「そうですね。このお客さんは一年半くらい前から、一年前くらいまでの半年は、本当にすごい回数きてくれていて、馴染みの女の子もいたんです。でも、ちょうど一年くらい前から、一月ほど来なくなったんですよ。さすがにお金が底をついたのかなってウワサしていたんですが、一か月ほどしてまた来るようになったんです。前ほど頻繁ではなかったですが、少し気になったのは、それまでずっと同じ女の子だったんですが、相手を変えたんですよ。で、普通は馴染みの子は変えないよねって皆で言っていたんですが、そのうちに、新しく馴染みになった女の子が、あの人を少し怖いって言い出したんですよ。首筋に最初触った時、その部分だけが、やたらに冷たかったというんです。ゾッとしたらしいんですが、すぐに興奮してきたからなのか、身体が熱くなってきたようで、首筋も熱くなってきたというんです。それ以来、少し怖いというようになって、決して首筋に触らないようにしていると言います。男の人も別に何も言わないということで、彼女としてみれば、一番入りたくないお客さまだということでした」
と、言っていた。
「うーん、それは妙ですね」
と言って、桜井は先ほどの鑑識官の話の中にあった。
「この被害者は、整形をしている」
と言っていた言葉を思い出していた。
彼女が気にしていたのも、整形のなせる業だと思えば分からなくもないことだった。
捜査本部に戻ってから、福島刑事の前にいた警察署に、若松のことを照会してもらったが、その回答が来ていた。
「やつは、あの事件の後、管内から姿を晦ませた、逃げ出したんじゃないかと言われていたんですが、一年くらい前に、やはり風俗の馴染者女の子からの証言で、道で見かけたという証言を得ていたんです。その時は、一人ではなく、ラフな格好をした女の子とイチャイチャしたような歩き方をしていたというんですよ。彼女がいうには、きっと自分たちと同じ風俗嬢に違いないってですね。彼は二重人格のようなところがあって、普通のカタギの女の子と付き合っている時は、決してイチャイチャすることはないんだそうです。イチャイチャするのは、風俗嬢とだけだって行っていたんですよって、言っていたんだ。それを誰から聞いたのかと訊ねると、同チンピラ仲間から聞いたって言っていたんですよね。ちなみにそのチンピラ仲間というのは、彼女の勤めている風俗店の受付の男の子のようで、彼がウソをつく理由もないので、間違いないだろうということでした」
と、帰ってきた情報を、桜井刑事が説明した。
それを聞いた福島刑事は、
「妙な気がする」
と言い出したのだ。
福島刑事は続ける。
「というのは、私が前の警察署にいたのは、数か月前です。確かにやつの姿を二年くらい前から見ていないという話は聞いていましたが、一年前に見たという話が巻き起これば、私の耳にも入るはずです。それが入ってこないということは、誰かが意図的にその話をまわりに流さないようにしていたのか、それとも、自分にだけの耳に入らないようにしていたのかですね。そもそも私は、もうやつに関わりたくないと思っていたし、実際に、関わってはいけない人間なので、私の耳にだけ入れないようにすることくらいは、それほど難しいことではないと思われます」
と、いうことだった。
「他には何かなかったかね?」
と、松田警部補に訊かれた桜井は、
「やつが風俗通いをしているという話は本当のようですね。この街に来る前にいた管内でも、よく風俗に行っていたと聞く。同じ県内でも、向こうとこっちでは文化が違うので、同じ風俗でも雰囲気は違うようです。やつは、向こうの風俗の方がいいと、絶えず言っていたといいます」
「ちなみにやつは、一体どういう男なんだ? 話だけを訊いていると、組織の鉄砲玉のような感じで、何かがあると、替え玉として自首させたり、犠牲にさせるための、ただの駒にしか見えないのだが、駒なら駒で、何か組織から見返りがあってしかるべきだと思うんだけど、いろいろ聞いても、やつのことを調べても、何かおいしい思いをしたという話は聞こえてこないんだよ。ここまで組織に利用されて、何らうまみがなければ、普通ならやっていられないだろうが、彼が組織を裏切ったり、仲間を出し抜いたりしている様子はないんだよね。しかも、何をやっているのか分からないところがあり、やっと見つかったと思ったら、死体だからね」
警部補がいうと、
「ですけどね。警部補。鑑識官の話では、やつは整形をしているということなので、本人かどうか分かりませんよ。そういう意味では、まだ被害者の特定が完全にされているわけではないんですよね」
と、桜井が言った。
「じゃあ、あの死体が若松でないとすれば、やつは一体どこにいるんでしょうね?」
と福島刑事が苦々しい表情で言った。
「うん、行方が分からないのは、きっと整形で変えた顔がソックリなので、誰もがやつを若松だと思って信じて疑わなかったわけでしょう? その間にどこかに高跳びしているかも知れないですよね。ただ、一つの考え方として、やつは自分を死んだことにして、安全な場所でのうのうと暮らしているかも知れない。もちろん、整形はしていると思うが、何よりも本人が死んだことになっているのだから、安心なんだよね」
と、桜井刑事が言ったが、
「そのわりには、被害者の身体は素人が見ても整形したあとだってすぐに分かったじゃないかね?」
と松田警部補に言われると、
「ひょっとすると、殺されたことによって、組織細胞が普通の人間になることで、見た目にも整形が行われたことが分かるという欠点があるのかも知れない。それを知らずに、誰かが殺したんだろうね」
と桜井刑事はこたえた。
「じゃあ、最近は頻繁に変死の整形が目立っていると鑑識が言っていたけど、生きている人間には目立たないだけで、死んだ人以外にも整形が日常的に蔓延していると言ってもいいのかも知れないな」
と松田警部補が返事を返した。
「それにしても、そんなにたくさんの整形手術をした人が多いというのは、どういうことなんでしょうね? それだけ需要が高まったから、行う方も儲かると踏んだんでしょうかね?」
と福島刑事が訊ねると、
「どうなんだろうか? 整形手術というのは、最近では医学や技術が発展してきているとはいえ、結構、裁判沙汰になっていることもあるじゃないか。それを思うとまだまだリスクの大きなものだと思うんだけど、よほど何か大きな魅力があるか、あるいは、整形しないといけない理由があるかということだろうね」
と桜井刑事が言った。
「その理由というのは?」
と、何となく分かってはいるが、福島刑事は訊ねてみた。
「それは、何かの理由で顔を変えなければいけない人さ。例えば身を隠さなければいけないけど、面が割れているので、逃げられないという事情の人。借金取りから逃げている人だったり、何かの犯罪を犯して、警察から逃げている人。行方不明になってでも、身を隠さないといけない人だよね。普通はそれも苦痛なはずなんだ。家族や恋人に会えないわけだからね。それでも顔が割れるとまずい人だろう。だって、もし、無事に逃げおうせたとして、相手がもう追いかけてくることがないと分かっても、一度変えてしまった顔を元に戻すことはできないんだ。そうなると、せっかく解放されても、家族や恋人に会えない。家族は信じないだろうし、恋人はもし信じてくれたとしても、顔を変えた上に、何年もいなかった相手をいまさらという気持ちになるというものだよ」
と桜井刑事が言った。
「なるほど、それは確かに辛いことですよね。でも、目の前の危機から逃れるにはそれしかないとなると、少々の危険を犯す気になる人もいるでしょう?」
「たしかにそうさ。それこそ、藁をも掴むというところだろうね。だから、きっと整形をした人は多いと思うんだけど、それにしては、今回の死体のあの傷口は、あまりにもずさんに見えるよね」
と桜井がいうと、
「そうなんですよね。私もおかしいと思ったんですよ。ひょっとすると、死んでしまうと急に劣化するという効果があるんじゃないですか? つまりは、生きている間は何とかごまかすために、生きている細胞に反応するものとしての技術を施しているとすれば、人間が死んでしまうと細胞も死んでしまう。そうなると、整形の痕があからさまに出てくるわけですよね」
と福島刑事は言った。
「だけど、死んでしまって、その効果が薄れるのであれば、警察がおかしいと怪しんで調べを始めそうに思わなかったんだろうか? 警察に調べられても、我々にやつらの計画が絶対に看破できない。あるいは、捜査にも及ばない力でもあるのか、そのあたりも気持ち悪いと思うんだ」
と桜井刑事は言った。
「今までに変死体が見つかって、我々に通報することがなかったのは、どうしてなんだろう?」
と桜井がいうと、
「それは、事件性がないからじゃないですか?」
と福島刑事が言った。
「それはそうかも知れないけど、すべて、刑事課に報告を入れないというのは、何か見えない力が働いているように思えてならないんだ。逆にいうと、整形をした人が殺害されて事件となるというのが今までになかったということなのだろうか?」
と桜井刑事が訊くと、
「じゃあ、他の死体は、やつらの組織に秘密裏に処分されてきたのではないですか? 例えば、どこかにまとまって埋まっているとかですね」
と福島刑事がいうと、
「その考えを間違いではないと考えると、この事件だけなぜ表に出てくるかということだよね? ひょっとすると、この事件は死体が発見されなければいけない理由があるのかも知れない。整形の秘密がバレることよりも、死体が見つからないと困る何かがあるということなんじゃないかと思うんだ」
「それは一体何なんでしょうね?」
「それは私にも分からないが、そのうちに、それもハッキリとしてくるんじゃないかな? それよりも、その組織が何を考えて整形というリスクを背負ってまで、整形した人を世に送り出しているのか、そこが問題になってくるんじゃないかって思うんだ」
と桜井刑事がいうと、隣で聴いていた松田警部補も、
「うんうん」
と、頭を下げて聴いていた。
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