黒き翼の大天使~煌玉大操練大会

遠蛮長恨歌

第1話 年末の祭典・その始まり

 ヒノミヤ事変から神楽坂瑞穂の克己・復活を経て、これは1816年12月の物語。


「新羅センパイ、ぜひともご教示を!」

「んー、必要ないんじゃないかな。塚原ってじゅーぶん強いし」

「でも、このままでは上泉さんに勝てません! 林崎先輩ですら彼女に勝てなかったんですよ?」

「上泉かー……。まあ、あれは剣鬼だわなぁ」

 新羅江南流古武術講武所の道場板張りの上に胡坐をかいた辰馬は、目の前に正座でひたむきな視線を向けてくる少女にどーしたもんかと銀髪をかく。目の前の少女――蒼月館1年生、学生会役員、塚原繭は長刀の名門の娘だが、外連味や搦手を駆使して敵を倒すという執念に欠ける。新生賢修院学院2年生・上泉新稲(かみいずみ・にいな)は剣腕において賢修院を去った(そして、今はこの新羅家の居候に落ち着いている)前学生会長・源初音を凌駕するほどであり、およそ学生のレベルでないうえにどんな汚い手を使っても敵を屈させるという気迫がある。正直、かわいい後輩をこんな厄介な相手に当てたくはなかったのだが。


「まあ、順当にいけば戦わんわけにいかんのだよなぁ……」

 対戦表をながめつつ、ぽやーと言う。煌玉展覧武術会・武器戦闘部門。優勝候補である繭はAブロックの最端、上泉新稲はDブロックの最端。ふたりが順調に勝ち進めば、決勝でぶつかる。


「なので! 新羅センパイ! 林崎先輩の敵討ちでもあるんです、これは!」

「……うーん、しゃーねえか。いらんこと怪我されても困るからな……」

 よっ、と立ち上がり、その場で身構える。えたりとばかり繭。正座の状態から脇に置いた長刀を大きく旋回させ、辰馬がひょいと飛びのいたところで立ち上がり、こちらも油断なく構える。


「ひとつ言っとくが。おれが指導する以上はビシバシいくからな。泣き言は聞かんので覚悟するよーに」

「はい!」


………………


ということがあって。


「辰馬サン、なんかお疲れっスか?」

「あー、うん。まーなぁ……」

 蒼月館2-Dの教室。シンタこと上杉慎太郎の問いに生返事を返す。繭との問答と稽古始めが今朝、その後辰馬は授業そっちのけで繭の特訓メニューやら栄養献立やらを考えて、体はともかく精神的に疲労がちだった。もちろんこのくらいでどうこうなるほど、魔王の継嗣はやわな体はしていないが。


「新羅さん、今朝寮にいませんでしたよね? なにか用事でしたか?」

「誰かとあいびきでゴザルか~?」

「きゃ~ん、やらしー! 死ね、辰馬、このエロ!」

 朝比奈大輔が訊くと出水秀規が便乗し、さらに小妖精・シエルが言葉のナイフを投げつける。辰馬は鬱陶し気に頭を振ると、はあ、とやや大仰にため息一つ。


「何言ってんだか、違うし……。つーかそこのガトンボはホント、おれに対して悪意的な」

「シエルたんをガトンボと言うのはやめてほしいでゴザル。無礼は謝るでゴザルから」

「あー、うん……。まあアレだ、今朝は塚原の相談受けてな、家の道場で話してた」

「塚原? 繭ちゃんと?」

「うん」

「なによ、やっぱりあいびきじゃん!」

「違うわ。煌玉展覧武術会で負けたくない相手がいるって話」

「煌玉、ですか?」

「そ。大輔は徒手格闘部門に出るんだろ?」

「ええ。本当なら新羅さんが出るべきところだと思いますが……」

「それはさておき。この前林崎が野試合で負けてんだよ」

「え゛!?」

 シンタがわずかに驚いた声を上げる。林崎優姫と上杉慎太郎は周囲も認める喧嘩友達。なんのかんので互いを憎からず思っているのは間違いなく、優姫がやられたと聞いて心中穏やかであろうはずもなかった。


「林崎、大丈夫なんスか? 怪我とか後遺症とか……」

「けがは多少あるみたいだが、あとに尾を引くようなものはない。つーかそれだけ実力差がはっきりしてたってことでな……。なもんでいま塚原が燃えてる」

「学生会騒乱は終息したとはいえ、一度は敵対した新羅さんに頭を下げますか……」

「まあ、あいつとは家ぐるみのつきあいもあるしな。もとから敵意を向け合う間柄じゃーない」

「ふーん。辰馬サン羨ましーっスね。繭ちゃんみたいなかわいー娘とも友達で」

「そーだな。確かに塚原はかわいい。けどおれより10㎝も背ぇ高いんだよ……」

「それは主様が小さいのでは……?」

「やかましーな。そりゃおれは164しかないが」

「やーい、チビチービ!」

「だから、ガトンボにチビってゆわれるほど小さくねーよ」

「だから主様、シエルたんをガトンボ呼ばわりは……」

「なに? なんの話?」

 話が堂々巡りに入ろうとするところ、教室のドアが開いて金髪紫瞳の少女が入ってくる。緑の芋ジャージに不釣り合いな瀟洒なサークレットは西方の雄国「商国」ヴェスローディアの継承者の証。エーリカ・リスティ・ヴェスローディア、ヴェスローディアの第4王女は3学期のこの時期に入ってもまだグラドルのバイトを休めないでいるらしい。赤貧王女は学食からもらってきたパンの耳をボリボリやりながら、ナチュラルに話に入ってくる。

「林崎がボコられて、塚原がリベンジに燃えてる話」

「? ちょっと何言ってるかわかんない。ちゃんと説明して」

「あー、うん。確かにしっかり説明せんとわからんよな……」

 というわけでしっかり説明。得心したエーリカは「へぇー、優姫がねぇ」と嘆息し、ついで辰馬を半眼ジト目で睨む。そりゃ、好きな男が知らないところでほかの女と仲良くしていたのだから面白くない。これはエーリカの繭への好感度とはまた別の話だ。


「それで? 優姫っていまどーしてんの?」

「一応、大事とって入院中。太宰中央病院」

「あ。瑞穂が入院してたとこか」

「だな。このへんでなんでも見てくれる総合病院ってあそこしかないってのもある」

「そんじゃ、お見舞い行く?」

「さんせー。林崎の弱ってる顔拝んでやりましょーよ、辰馬サン」

「お前すなおに林崎が心配って言えよ……まあ、わかるけど」

「ち、違うっスよ! 心配なんかしてねぇっス!」

「はいはい。わかりやすいな」

「違うって! オレは辰馬サン一筋でしょーが!」

「怖いからそれはやめろ……。とにかく、行くぞ」


……………


繭の午後練習を姉貴分の体育教諭、牢城雫に任せ、1年の教室をのぞいて神楽坂瑞穂を拾うと辰馬たちは蒼月館を出る。牢城雫は実際10年前から8年前までの3年連続、煌玉天覧武術会優勝者。指導者としてこれ以上はない。神楽坂瑞穂はすでにその地位を捨てているがもとは宗教特区ヒノミヤの齋姫。病人怪我人を癒す術に関しては得意中の得意とするところで、こちらも病院に随行するには適任。


まあ、適任だから任せたり側に置いたりするわけでもないのだが。


病院にて。数か月前もここで会った婦長のおばあさんは瑞穂の姿を見るなり土下座でもする勢いで滑り込んできて、「姫様、本日はいかがいたしましたか?」と狂信者の目で問いかける。齋姫を敬愛する人間は程度の多寡こそあれこんなものだ。


「林崎夕姫さんが入院していると思うのですけど……」

「林崎……、あぁ、了解いたしました! それでは本日もマッハで用意させていただきます!」


 猛然と、廊下を蹴立てる勢いで走ってナースステーションに突進する婦長さん。かつて辰馬たちに病院で騒ぐなとしかりつけたのはあのおばあさんなのだが、齋姫のお願いとあればそんなモラルなど消し飛ぶらしい。


「なんだかなぁ……」

「つーか、あのババァ駄目でしょ。相手で態度変えちゃあ」

「あんまし言ってやんな。人間そーいうもんだ」

「辰馬サンは違うじゃないスか」

「いや、おれだって金とか権力積まれたらわかんねーぞ」

「またまた。絶対変わんねーし。間違いねェですもん」

「それは買い被りだと思うが。ま、いいか……。瑞穂は懐かしかったりするか? まだ数か月だが」

「そうですね……。たった数か月でお義父様の仇を討ってヒノミヤを開放して、そして自分自身救われるなんて思いませんでした。すべてご主人さまのおかげです」

「あ……あー、うん。そーかもな」

「なに照れてんスか」

「照れてねーわ、ボケ。しばくぞ」

「いや、それが照れてるって……うぼぁ!?」


 茶化そうとするシンタの脳天に、辰馬の右ストレート一撃。辰馬にしては軽い一撃だがもとの身体能力が超人の辰馬である。ほとんど残像も見えない拳にパァン! とはじかれ、シンタはやじろべえのようにぐわんと前後にかしぐ。


「ちょ、いきなり殴るのナシでしょーよ!」

「やかましい。いらんことゆーな」

「……辰馬さん最高にいいひとなんだけど、時々理不尽な暴力ふるうのがなぁ~……」

「お前が茶化すからだろ、赤ザル。調子に乗るなってことだ」

「まったくでゴザルよ、サル!」

「ホント、アンタってキーキーうるさいのよ、バァーカ!」

「ガトンボォア! てめぇは毎度殺されて―のか!?」

 窘められて凹むシンタが、シエルの煽るような罵詈雑言にクワッと目を剥き牙をむく。


「あんたこんな子供にムキになりなさんなよ、恥ずかしい」

「アァ!?」

 エーリカがさらに窘めるが、


「ちょっと、誰が子供よ、アタシはとっくに成人済み、夜はヒデちゃんとらぶらぶちゅっちゅやりまくってるんだからね、舐めた口きーてんじゃないわよこのヒッピー!」

「ひ、ヒッピー……!? アンタちょっと、仮にもプリンセスであるアタシに向かって……!」

「なに、やんの!? やるなら相手してあげる、ヒデちゃん、ゴー!」

「ま、待つでゴザルシエルたん、拙者も死にたくないでゴザルよぉ~……」

「……お前らさぁ、静かにしよーな」


……………


こんこん、

病室のドアをノック。


「はい」

 と、答える声は林崎夕姫の声ではなく。


「会長か」

「ええ。恋人がけがをしたのですもの、当然でしょ?」

 辰馬の言葉にしれっと応えて、北嶺院文は掌中のナイフで器用にリンゴを剥く。その文の横、ベッド上の夕姫はこの上もなく幸せそうにニマニマ微笑んでいた。確かに、睦み会う恋人同士に見えなくもない。


「まあ、そーだな」

 とはいえ、文の夕姫に対する執着はかつてのようなものとは違うように思える。学生会騒乱を経て男子排斥の思想を捨てた文は、同時に同性愛思想も手放したように見えた。先の二人の見え方も、よく観察すると恋人というより仲のいい姉妹のようだ。


「アタシの至福を邪魔すんじゃねーわよ、新羅。聞きたいことだけ聞いたらすぐ帰りなさい。アタシはお姉さまに可愛がってもらうんだから」

「聞きたいこと、っつーか見舞いに来ただけなんだがな。とりあえず元気そーでなにより」

「当たり前でしょ。アタシ負けてないもん」

「いや、負けただろ。おれ現場みてたし」

「あれは上泉が卑怯な手を使ったから!」

「目に砂投げ込まれたくらいで卑怯とかゆーなよ。実力でも根本的におまえ圧倒されてたし」

「そーだぞー、林崎。負け惜しみ言ってんじゃねーや」

「っせーわね、上杉ィ! アンタえらそーに上から喋ってんじゃねーわよ!」


 ぎゃーのわーのと。口げんかになる二人を辰馬と文がわける。本当に、シンタと夕姫は仲がいいほど、というやつだ。


「それにしても、夕姫が簡単に負ける相手かー……」

「簡単じゃないもん。苦戦させた」

「はいはい。それで、上泉新稲だっけ? その子ってどんな力使うの?」

「わかんない」

「わかんない?」

「わかるのはウルスラグナが通用しなかったことだけ。必中も必殺も絶対回避も、全部無効化された」

 林崎夕姫の能力——契約古神は「勝利のウルスラグナ」。その神力のすべてを夕姫が使えるわけではないが、ともかくも自在に操れる能力は3つ。絶対必中の一撃、必殺会心の一撃、そしてあらゆる攻撃を回避する絶対回避。すべてウルスラグナの「敗北の可能性を遠ざけ、勝利を手繰り寄せる」能力に通じる。


 なのだが。


「ああ、たぶんあれは神力とか使ってねーわ」

 エーリカと夕姫の会話に、実際現場を見ていた辰馬が口をはさむ。辰馬の見識で言うと、上泉新稲は武技の熟練のみで必中をかわし、必殺をいなし、絶対回避に当てる技巧を実現している。このあたり、新生したとはいえ賢修院の学生、神力に頼るところ少ない。


「身体能力の卓越は神に通じるからな。神力がなくても達人にとっては関係ない」

「新羅くん」

「ん?」

「塚原さんがリベンジにこだわっているようだけど、どう思う? 新羅くんの目から見て、上泉さんに勝てそう?」

「頼まれたからには勝たせるよ。塚原には今年の優勝者になってもらう。しず姉も指導してくれるしな」

「そう。塚原さんはまっすぐすぎるから、突っ走った先で負けてしまったら挫折も深いと思ったのだけど……。新羅くんが必勝というからには問題ないわね」

「あー、任せろ」


………………


その後、瑞穂が夕姫に治癒魔術をかけ、またシンタと夕姫が口論になる前に辰馬たちは病院を辞した。


 夕方。また辰馬は道場にあり、すこし遅れて雫に連れられた繭がやってくる。


「たぁくんおつかれー! 今日は出番が全然なくてさびしかったよぉ~♪」

「あーもう、抱き着いてくんなしず姉! さて、そんじゃ夕方の稽古をやるぞ、塚原」

「はい! ご教示お願いします、新羅センパイ、牢城先生!」

「うし! まずはこれを飲め!」

「え゛……なん、ですかこれ? ドロッとしてる……」

「特製たんぱく質ドリンク。西の方だとプロテインとかいうらしい。高たんぱく素材を抽出して凝縮した代物だからぐいっと行け。そして飲んだらすぐにトレーニング!」

「うぅ……これ、ホントに飲めるんですよね?」

「飲める。実際おれが飲んで試した。メッチャまずかった」

「マズかったって……」

「いーから飲んどけ。飲んだらすぐに走り打ち込み200本!」

「は、はい……。んく……あう、まずい……んく、んく……」


「ところでさー、たぁくん」

「ん? なに?」

「今年から煌玉天覧武術会が煌玉全操練会に変わったのって知ってる?」

 雫はなにか人の悪い笑みで、辰馬に問いかける。言わんとするところがわからず辰馬は「?」となるが、次の瞬間雫は爆弾を投下した。


「体育大会は病人怪我人以外総参加! とりあえずたぁくんたちはバレーボールにエントリーしといたから♪」

「は……はあぁ!?」

 ヒノミヤ事変からしばらく、まだ当分は休養して本でも読んでたいお年頃の辰馬は、雫の心遣いに驚いて思い切り嫌な顔をした。

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