優しき天神は生贄を欲す 其の弐拾玖《にじゅうきゅう》

「あの…琥珀…、私の正直な思いを伝えても良いですか?」


何も恋心を明かす必要はないのだ。

ただ素直に、皆で一緒に暮らしたいと言えば良い。


琥珀は返事をしなかったが、聞く意思はあるようで、私を黙って見下ろしている。


「私はこの山が好きです。いつでも四季折々の顔を見せてくれるだけでなく、食べ物も豊富で、動物や植物達がそれぞれのままに生きているこの山が…」


見上げれば高い空。

深い自然と、山の恵み。

そして沢山の動物達が暮らす。


「だから私は山を去る気はありませんし、死ぬまでここで…琥珀の傍で暮らしたい」


そう言うと、一瞬だけ琥珀の目が揺れる。


「でも人間に戻った幼い佐己を山から追い出して、一人で暮らさせる事は出来ません。だからこそ、この山で…佐己と一緒に、琥珀の傍で生きて行きたい」


「ふむ…、その中に私の名が入っていないのが寂しいな。この山の加護は私が与えたものだぞ、伽耶」


「…!…申し訳ありません、風玉様!!もちろん、風玉様とも一緒にいたいと思っています!」


「ふふ…なに、ほんの戯れだ。気にするな。それより…」


「…はい?」


「先ほどの言葉…、まるで神鬼への求婚のようであったな」


「…!!そ…それは…あの…、違うんです…!」


素直に気持ちを…と思う余り、隠しきれない恋心が滲み出てしまったらしい。

慌てて、取り繕うように首を振ると、風玉様は楽しそうに琥珀に話し掛ける。


「…なぁ、神鬼よ。私も今の山の暮らしが気に入っている。…そなたと伽耶で、夫婦めおとさかずきを交わしてはどうだ」


「さらっと何言ってやがんだ、この蛇が!誰が人間なんぞと!」


「私の名は風玉だ、蛇と言うでない」


そんな二人のいつものやり取りを見ながらも、私の内心は穏やかではなかった。


何故なら、人間と夫婦になる気はない。と、琥珀がはっきりと言ったからである。

つまりこれは失恋だ。


だが思ったより心の動揺は少ない。

…おそらく私は気付いているのだ。 


琥珀が口では何と言いながら、私や佐己を言うほど嫌っていない事。

そして山を追い出される事など、絶対にないのだと言う事を。


「伽耶は素直だな、そなたも素直になったらどうだ神鬼」


「…おい、くそ蛇」


「だから私は蛇では…」


「俺を神鬼と呼ぶんじゃねぇよ、…今の俺は琥珀ってんだ」


いつもの流れだな。

そう思いながら見ていた私は、琥珀の言葉に思わず顔を上げた。


「何を変なつらしてやがる。てめえが付けた名だろうが」


「…あ…、はい…。あの…」


それはそうなのだが、琥珀が名を名乗る機会など今までなく、まさか自ら琥珀と名乗ってくれるとは思わなかった。


「…今の俺の名だ?…そうだろうが、


「…!!」


初めて名前を呼んでくれた。

この山に来てもう一年近く経つが、琥珀が私の名を呼ぶのはこれが初めてだ。


どう答えたら良いのか。

頭が麻痺しているように、言葉が出ない。


ただ黙って琥珀を見ていると、琥珀はちらっと風玉様の方を見て、また私に視線を戻した。


「…わざわざ盃事さかずきごとなんぞする必要はねぇ」


そう言いながら私の傍まで来ると、琥珀は大きな手を私の頭に乗せて、こう言った。


「約束事なんぞなくとも、てめえが死ぬまで傍にいるって誓ってやるよ」


「琥…珀…」


そう言った琥珀の顔には、何かを諦めたような、吹っ切れたような…。

そんな清々しさが浮かんでいた。









今は昔。

天神山という大きな山に、額の一本角と燃えるような赤い髪が特徴の鬼が住んでいた。


時代によって、人間達からの呼び名は都度つど変わったが、その鬼は自分から名乗る時は、いつもこう名乗っていた。


「琥珀」…と。


その琥珀と言う鬼が棲む天神山は、いつしか琥珀山こはくざんと呼ばれるようになり、天神山と言う名が忘れられた頃。


その琥珀山は、何故か恋仲になった人間とあやかしが暮らす地として、沢山の人間と妖が集まるようになった。


それはやがて一つの村となり、大きな町となって行く。


そして今日もまた、恋に落ち、行き場をなくした人間と妖がやって来る。

人間側の、ごく限られた短い時間しか一緒に過ごせない恋人達が。


人間達の偏見のない場所で。

それでも短い時間を、幸せに暮らそうとやって来る。


そんな山を守る琥珀と言う名の鬼は、勿論今も、山の中にある廃寺で暮らしている。


そんな廃寺には、御本尊ごほんぞんこそないものの、琥珀の瞳と同じ色の石が、御本尊の代わりに置いてあるのだった。


いつかまた、その石が増える事を願いながら。

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