優しき天神は生贄を欲す 其の拾伍《じゅうご》
しばらく無言のまま食事を進めていたが、その沈黙を破ったのは龍神様の方だった。
「この山で採れた物は美味いな。私の加護を受けているだけある」
そう言って、納豆汁の中の小松菜を口に運ぶと、満足げに咀嚼する。
「…言ってろ」
龍神様の言葉に吐き捨てるように言うと、琥珀は私にご飯茶碗を差し出した。
琥珀は琥珀で、決して褒めないくせに、私の作った物を残した事はない。
残したって翌日食べるし、別に怒りはしないのに、琥珀は私が作った物は、必ずその日のうちに全て平らげる。
…実はそれが嬉しかった。
「龍神様は、おかわり如何ですか?」
「…あぁ、せっかくだから貰おうか。それから人間の娘…」
「伽耶と申します」
「…そうか、伽耶。私の名は
…これは、"龍神様"ではなく"風玉"と呼んで欲しい、という事だろうか。
確かに私も人間の娘と呼ばれ続けられたら、名前があるのに…と思うだろう。
私は笑顔で頷いた。
「分かりました、…風玉様」
「ありがとう、伽耶」
確かに、名前を呼ばれるのは嬉しいものだ。
嬉しそうに細められた、綺麗な風玉様の瞳を見た私は、琥珀に視線を移した。
琥珀は私が付けた名前だが、本人はどう思っているのだろう。
気に入ってくれていれば嬉しいが、当の琥珀は、私が名付けた時、何かを言いたそうな顔をしていたが、名前に関しては結局何も言わなかった。
そんな事を考えていて、ついじっと見つめてしまっていたらしい。
私の視線に気付いた琥珀は、じろりと私を睨んできた。
「…あ?何だよ?」
「…いえ」
思わず目を逸らすと、今度は目を逸らした方向にいた、風玉様と目があってしまう。
にこりと穏やかな笑顔で目を細める風玉様の美しさに、つい胸が跳ねてしまった。
「…ッ」
顔も真っ赤になっているだろう。
鬼のように、人を魅了する力を持たない風玉様だが、純粋に
こうして琥珀と風玉様が並んでいると、特徴の違う二人の美丈夫に囲まれているのだと、改めて思わされる。
一見、女性に見間違えてしまいそうなくらいの美貌と、穏やかさを持つ風玉様。
一見、
今さらだが、この二人に囲まれている事が、気恥ずかしくなってしまう。
自分はなんて、ちっぽけな人間なのだろうと。
(…私は何を考えて…、二人は妖であって人間ではない。比べる事すら失礼だわ…)
それに風玉様は、妖とはいえ、村では神格化された存在。
何百年も、村を守ってくれている守護者なのだから。
なんとも言えない雰囲気のまま朝餉も終わり、私は数日ぶりに山から降りていた。
初めての買い物で、家具やら何やらを買った時とは違い、そんなに大荷物になるほどの買い物はしない為、今回は琥珀には言わず、一人で来ている。
(
私が食べるだけなら構わないが、風玉様が食べるのだから、
それに、何だかんだ言って一緒に食べる琥珀に出す物も、白米にしなければならない。
今まで琥珀は私と同じ物を食べていたが、風玉様の食べる物と、極端に差を付けられるのは嫌だろう。
白米は高価で、本当なら買いたくはないが、この際仕方がない。
「…ん?」
そんな事を考えながら辺りを見回すと、気分が悪いのか、道端にしゃがみ込んでいる少年を見つけた。
近くを通りすがる人達は、皆見て見ぬふりをしている。
「…あの…、気分でも悪いの?」
近寄って背中から話しかけると、少年は一瞬だけ身体をぴくりと動かしてから、私を振り向いた。
その顔は、気分が悪そうには見えない。
…と言うか、笑っている。
ニィ…と口角の上がった口元と、それと同じように、三日月を倒したような形になった目元。
(…?)
何か面白い物でもあるのかと少年の手元を覗き込んだ私は、小さい悲鳴と共に息を飲んだ。
何故なら、その少年の手には動物の死体があったからだ。
「…し…死んじゃったの…?君の犬…?」
「……」
そう問いかけながらも、そんな訳はないと、頭では分かっていた。
だって、もしこの犬を少年の飼っていたのなら、その死体を見ながらにやにや笑っている訳がない。
妙な不気味さを感じながらも、つい少年の返事を待っていると、少年はじっと私を見つめた後、笑顔のまま頷いた。
「…じゃあ…、埋めてあげよう?でも、ここじゃ怒られちゃうから…」
そう言って少し考えた末、山の麓なら良いだろうと、私は少年に手を差し出した。
「山に埋めてあげようか。山には村の守り神もいらっしゃるから、きっとその子の魂を守ってくれる」
この笑顔は、きっと泣き出しそうなのを必死に堪えているんだと思いながら、優しく話しかけると、少年は私の手を少しだけ見つめてから、ぎゅっと握ってきた。
(…冷た…!!)
その手は生きている人間の手とは思えない程に冷たく、私は思わず、手を握る少年を振り返ってしまう。
すると、少年は最初に見た時と変わらない、張り付いた笑顔で私を見つめていた。
少年と一緒に、犬を弔ってあげた後。
また村まで戻る気力はなく、私はそのまま廃寺へと戻って来ていた。
とりあえず、今夜の夕餉分はあるから、明日また行けば良いだろう。
それに、なんだか身体が重い。
村で流行り病でも貰って来てしまったのだろうか。
まるで両腕に、何かがぶら下がっているみたいに、手足が酷く重く感じる。
早めに夕餉の仕度をして、早めに休もうと廃寺の戸を開けようとすると、それよりも早く戸が開き、怖い顔をした琥珀が出て来た。
「…?こは…」
名前を呼ぼうとすると、琥珀は私の言葉を無視し、胸ぐらを掴み上げて来る。
「てめぇ…どこにいってた?…いや、誰と会った?」
「…え。あ…あの…、村に…買い物に…」
何があったのだろう。
見た事のない琥珀の剣幕に、動揺してどもってしまう。
「な…なんで…、何かあったんですか?」
やっとの事でそれだけを言うと、私の身体は、ぽいっと廃寺の土間へと放り投げられてしまった。
琥珀は戸を乱暴に閉めると、再び私に近寄って来る。
そのまま私に鼻を近づけ、少しだけ匂いを嗅ぐと、顔をしかめさせた。
「…嫌な匂いがしやがる。てめぇ…どっかで妖魔に会って来やがったな」
「…ようま?」
初めて聞く単語に、何の事か分からずに、私は琥珀の言葉にただ首を傾げるのだった。
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