第27話 復活

 ~3月2日 19:46 旧草浜中学校グラウンド~


 帳歩は揺るがない。

 目の前に巨大な化け物が現れ、自分を見下ろしているこの状況においても、恐怖で我を忘れたりはしなかった。

 それは、長年培ってきた剣道の経験、訓練の成果もあり、自分の能力を間違いなく発揮できれば、的確な対処――ヒット&アウェイは充分に可能だと判断し、実践し続けている。

 目の前にヤマタノオロチの牙が迫っても、軽く跳躍するだけでそれを回避し、すれ違いざまに斬る。表面しか切れないにしても、日本刀としては標準でも大型になった虹蛍の刃は、軽々とヤマタノオロチに傷を負わすことが出来た。撫でるように切るだけでも、青紫の鮮血が噴出するのだから、体重を乗せた斬撃ならば、敵の頭を斬り落とすくらいの事は容易に可能だろう。


 しかし、相手の力が脅威であるという認識もまた、揺らがない。

 歩より数十倍も大きな体躯に、桁外れに高まった妖力。蛇らしい再生力。見た目を裏切らない能力の高さは、純粋に厄介だ。

 生半可な攻撃は無意味だ。現に、歩は何度もヤマタノオロチに斬撃を与えているが、放って置けば十数秒で治癒されてしまう。追撃を与えたいところだが、口から吐き出される強酸、毒の液体、鬼火などを残る七つの顔の口から吐き出し、弾幕を張ってくるのだ。

 一つでも受けてしまえば、歩の身体はあっという間にボロボロになり、敵の餌にされてしまうだろう。幸い、獣であることに変わりはないから学習能力は緩い――というか、全く無い。この辺は媒体となった蘭霧人の性質によるところも大きいのかも知れないが、とにかく同じような手段が通じている辺り、そう判断して差し支えなさそうだ。

 しかし、「だからどうした」ということでもある。拙い動きでも、恵まれた能力でカバーできるということは、それだけ相手に余裕があるということの証左でもある。いくら小手先の攻撃が上手くとも、心臓に届かなければ何の意味もない。

 

 ――支援が必要だ。


 歩はそう思い、一瞬だけ辺りを見渡すも、すぐに意識をヤマタノオロチに戻す。

 支援は期待できない。オロチを止めるに至らなかったハクオウとブラッガの攻撃では、ヤマタノオロチは無視するだろう。ゲーム的表現で例えるなら、技量が最も高いルーガも、妖術の威力が図抜けて強力なイオもここにはいない。現代兵器でどうにかなるような相手なら、ブラッガの時点でどうにかなっている。秀真が鉄鋼鬼を持ってきてくれても、蹴散らされるのがオチだ。 

 味方が必要だ。

 そのつもりが無くとも、その一念が甘えとなり、隙が生まれる。


『バカヤロウ! 来るぞ!』

「ッ!?」

「カァッ!」

 

 オロチの頭から放たれた鬼火が、一瞬だが制止した歩の目の前で爆発を起こした。直撃は避けられたものの、皮膚が焼かれたことによる痛覚が、歩の中で僅かな焦燥感に変わる。


「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 ここぞとばかりに、ヤマタノオロチが突進を仕掛けてきた。わずかに下半身の反応が鈍った歩は、初めて大袈裟に逃げの姿勢を取り、廃校舎に向かって走る。


『鬼ごっこでもすんのか?』

「おもしろい冗談ですね!」


 歩は校舎に向かって思い切り跳躍し、外壁を破壊しない程度の強さで壁を蹴る。そして、追ってきたヤマタノオロチを跳び箱の要領で跳び越える。


「ッ!」


 ヤマタノオロチは、そのまま廃校舎に突っ込み、建物を思い切り破壊した。しかし、何事も無かったかのように振り返り、歩を睨む。

 切れ味を増した目が、「逃げられると思うな」と訴えている。


「ぬか喜びする暇もないのか」


 つい、悲観的になりそうな歩だったが、


『あ、わかりました』


 意識の中に溶け込む、青江の思念が、震えそうになった歩の身体を再び熱くする。


「どういうことですか?」

『簡単な話です。抜き取れば良いんですよ、力の源を』

「抜き取る?」

『完全復活ではないことが、幸いしましたね』


 歩の視界に、半透明になった青江の映像が浮かび上がる。

 彼女は、最奥に位置する蛇の頭を指差した。


『あそこにレガの……夫の力を感じます』

「ってことは……三鈷剣が!?」

『マジかよ!』

 

 今度は、紅郎が半透明の姿で現れ、ヤマタノオロチを指差しながら、興奮気味に叫ぶ。


『歩! すぐに取り返せ! そうすりゃあのクソ野郎をあっさりぶっ殺せんだろうからよぉ!』

『相変わらずの乱雑ぶりですが、私も同意見です』


 袋小路に陥っていた思考に、光明が差した。

 戦鬼から見れば、ヤマタノオロチはルーツそのもの。つまりは、レガの力も元をただせば、ヤマタノオロチのものということになる。だから、レガの妖力の源たる赤い三鈷剣を奪われた時、それは形を失い、ヤマタノオロチに溶け込んだものとばかり思っていた。

 しかし、三鈷剣は残っていた。

 

「なら、やることは決まった……ぐっ!」


 歩は膝をつき、呼吸を荒くする。


「歩、何があったのじゃ!?」


 駆けつけようとするハクオウを、歩は手で制した。


『あン? どういうこった?』


 怪訝に思った紅郎は、腕組みをして首を傾げていた。

 歩の中にいる彼には、歩がまだまだ充分に体を動かせる状態にあることを理解していた。それなのに、どうしてこのような言動を取る必要があるのか、想像出来ていないようだ。


『賭博の類は好きではありませんが……あなたなりの考えあってのことでしょう。歩さん』

「はい」

 

 歩は左ひざを手で抑え込む――フリをして、親指で皮膚を抉る。手の下から出血を起こし、脚を伝う。


「グァアアア―――――――――!!」


 これを好機と見たのか、ヤマタノオロチの六つの頭が、一斉に歩に襲い掛かってきた。


「くっ……!」


 歩は気力を振り絞って立ち上がり、敵の攻撃を紙一重で避ける。

 血が出るくらい深く肉を抉ったため、左ひざの痛みは本物だ。地面を強く踏みしめると、激痛が奔って普段通りのパフォーマンスを発揮できない。


 しかし、


『……もしかして、誘ってんのか?』

『決まっているでしょう、もう……』


 ようやく、紅郎が歩の意図を理解した。隣で、青江がため息をついた。


『孤立無援の状態にある今の歩さんでは、ヤマタノオロチの心臓を貫くだけの余裕がありません。ですが、レガの力を取り戻せるとわかったら、話は別……なんですけど』

『そりゃ当然、向こうも警戒してるってわけだな』

『ええ。だからこそ、ああやってわざと自分の肉体を傷つけてでも、敵が油断して三鈷剣を宿した頭部をも使って捕食を誘っているのです』

『獣なんだから、感覚で危険は避けるわな』


 しかし、その危険予知を鈍らせることが出来るとするならば?


『意図せずとも、背後にいる仲間達が心配してくれている……十分に騙されてくれているようですよ』


 青江の一言を耳にした歩は、迫りくる巨大蛇の頭をギリギリになるタイミングで避け続けながら、注意深く上を見る。

 本体の意識が宿っている頭部と……レガの三鈷剣を宿した頭部が、虎視眈々とこちらににじり寄っていた。

 きっと、奴らはこう思っているのだろう。


 ――限界になったら、食い千切ってやるぜ!


『気を付けろよ、歩…………来るぞ!』


 紅郎の発破を受け、歩は上を見る。


 灰色の光を纏う頭部が迫る。目の前には、巨大な蛇の胴体。

 敵は勝負に出た。ここが必殺のタイミングと見たようで、噛み千切るか押し潰すかすることで、確実に歩を殺すつもりだ。

 一瞬、走馬灯のように、大事な人々の顔が浮かび上がった。

 父さん。母さん。伯父さん。死んだじいちゃんとばあちゃん(父方母方共に)。

 蒼井先生。白峰さん。フラガさん。

 秀真。ついでにコテツも。

 伊織。

 沙貴。

 そして……黒い炎をバックに、大事な人々の写真を燃やし尽くした後、こちらを見て嘲笑う、蘭霧人。


「……ッ!」


 歩もまた、勝負に出た。

 痛む左脚を無視して、四方八方から攻めてくる六つの頭を――七つ目の頭の攻撃を、跳躍で躱す。噛みつき攻撃を選んだため、ヤマタノオロチの巨体はその動きを停止させている。そのまま壁走りをするように胴体を駆け上がり、八つ目の頭部――レガの三鈷剣を目指す。

 しかし、やはり向こうはそのことを警戒していた。切断されることを覚悟で首を大きく横に振り、歩の移動距離を延ばすつもりのようだ。そうなると、敵が追撃のチャンスを得ることになる。

 背筋が凍る。

 だが、ここでヤマタノオロチ……そして歩にとっても大きな誤算が発生した。


「ドリャア!!」


 突如、ブラッガの怒号が響いたと思ったら、倒された自動小銃が突然発砲を始めたのだ。射線上には、レガの三鈷剣を宿した八つ目の蛇の頭。無数の弾丸が直撃したことで、傷は追わなくとも、位置を固定されてしまった。


「ありがとう、フラガさん!!」


 歩は短く礼を述べ、八つ目の頭部に肉薄した。そして、虹蛍を振りかぶる。


「見えた……!」


 蛇の眉間目掛けて、一閃。刀の切っ先が向いた方向に向かって、思い切り跳躍した。

 確かな、手応えがあった。


『上出来だ』

『ええ。お見事でした』


 紅郎と青江の称賛に続いて、ハクオウとブラッガの歓声が湧いた。


「チャンスじゃ歩! 敵がもがいておるぞ!!」

「よぐぞ、このブラッガさまのつぐっだヂャンスをものにじだなッ!」

 

 先程よりも少し離れた位置から、白黒姉弟がサムズアップをしていた。


「ゴっ……ゴゴゴガゴゴグググガ……!?」


 皆が言う通り、ヤマタノオロチは何やら苦しそうに暴れている。気のせいか、全身から砂のような何かが零れ落ちているようにも見える。


「おっと! それよりも……」


 歩は近くに落ちている、赤く輝く小刀のような物質を拾い上げた。

 レガの三鈷剣だ。一度、ルーツに戻った影響か、多少は不愉快な感覚があるものの、いつも以上に力強さを感じる。


『では、歩さん。わずかでも良いので、意識を集中させて』

「はい」


 青江に導かれるままに、歩は三鈷剣に意識を集中させる。


『宿した力をそのままに、今度こそこれを我らの糧とせん』


 歩は自分の肉体を通じて、青江のもつ浄化の力が、三鈷剣に作用するのを実感した。一度やり遂げたためか、流れが実にスムーズであり、瞬く間に三鈷剣に宿った嫌な感覚が消え失せていくのを感じた。

 そして、レガの三鈷剣は、以前よりも明るい真紅の刀身を輝かせた。


「さて、それじゃレガ刀で抑えつけるか」


 歩は携帯していたペーパーナイフを取り出そうとしたが、


『いえ。それよりもっといい方法があります』

 

 青江の提案を受け、手を止める。


『いい加減……我慢も限界だぁ……!』


 前に出た紅郎が、文字通り燃え上がっていた。強引に青江の腰を抱き、こめかみに青筋を立てる。


『俺がやる』

「へっ?」


 突然の宣言に、歩は目を丸くする。

 その物言いは、まるで自分で戦うと言わんばかりの発言だった。

 体も無いくせに。


『紅郎の言う通り、ここからは直接、私達があなたの力となりましょう』


 首だけ後ろに向けながら、青江が照れ臭そうに笑う。


「援護って……どうやって?」

『無防備な主人の背中に、ぐいっと……ね!』

「えぇ……?」

 

 これには、空いた口がふさがらなくなった。

 背中を、刺せということだ。紅郎の背中に、レガの三鈷剣の切っ先を……吸い込ませろということだ。


『さっさとしろ! あいつに借りがあるのは、テメエだけじゃねえんだぞ!!』

「……はい」


 まだ半信半疑ではあるが、紅郎の怒りの源を知っている歩は、大人しく指示に従った。

 紅郎達にとって、ヤマタノオロチは人生を狂わせた元凶だ。体を失い、命を落とし、長い間自分が自分で亡くなる苦しみに身を焦がしてきた。

 その元凶に、ようやく復讐できるチャンスが巡ってきたとなれば、戦わずにはいられないだろう。

 彼らと共に在る歩は、ふたりの気持ちが痛い程理解できた。


「いきます!」

 

 歩は三鈷剣を、紅郎の背中に押し込んだ。剣は紅郎の肉体に吸い込まれ、そばにいる青江諸共、赤い光の球となって包み込んだ。追って、背後から赤い鍵が飛んできた。少しだけ振り返ると、ハクオウとブラッガの警護に当たっていたコテツが、レガの力を受けて変化していたシーザーから、元のチワワを模したペットロボの姿に戻っていた。


 レガの力が、完全に一つに戻った。


 そして、光が消える。

 歩の目の前には、クマのように巨大な鬼が立っていた。全身を真紅に染め上げた、鎧武者のような外観。鋼を思わせる艶やかな皮膚は、見た目を裏切らない頑強さを誇っていることは、身をもって思い知っている。

 歩と同化していたはずの戦鬼レガが、目の前に立っていた。

 初見時とは正反対に、今度は歩の盾となるように、背中を向けてヤマタノオロチの前に仁王立ちしている。


「来い、歩」


 レガは紅郎の声で、歩に命令した。 

 歩は頷き、指示通りに隣に立つ。レガの闘志が熱気となって歩に伝わる。溢れんばかりの生命力と温かさを感じた歩は、理解した。

 自分の変身とも過去の話とも違う――これこそが、真の戦鬼レガなのだと。


「余計な連携なんぞいらん。先にヤマタノオロチあのカスを始末した方が勝ちだ」

「賞品とかあったりするんですか?」

「女どもとネンゴロするのに必要な精力作る手伝いでもしてやるよ」

『あなた』

「イテッ」

 

 突如、先程と同様に半透明となった青江がレガの背後から現れ、その後頭部を拳骨で叩いた。


『これから決着だって時に、くだらない話をしている場合ではないでしょう? 少しは歩さんのようなこの時代の方々に威厳を見せようとは思わないの?』

「知るか」

『もう……しょうがないわね』

 

 青江が、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。


『紅郎のことは私に任せて、歩さんは歩さんらしく、戦いなさい』

「はい」


 歩は虹蛍を構え、レガは拳を鳴らす。

 対するヤマタノオロチは、体を震わせながら、二人を睨む。

 その様子を離れた位置から観察していたハクオウとブラッガは、固唾を飲んだ。


 双方、同時に飛び出した。

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