第21話 接触
~3月2日 17:52 ライオンズマンション前~
不穏な空気が漂う中での、突然の帰還命令。それに戸惑う歩だったが、ひとまずは沙貴と伊織を伴い、家路につくことになった。
そこで、物珍しい光景を目にする。
「わわっ! ふたりともちょっと隠れて!」
「えっ?」
「おっとっと」
沙貴は歩と伊織の腕をつかみながら、近くのビルの壁に隠れ、マンションの前を覗き見る。怪訝に思い、沙貴に倣った歩は、己の不注意を反省した。
「あ、あの人達、最近引っ越してきた新婚さんだったっけ?」
「そうそう」
マンションの前にいる二十代中盤と思われる男女が、人目を憚らずにキスをしていた。スーツ姿の男性に、エプロンを付けたフリル付きのYシャツにフレアスカートといった服装の女性が飛びつくような形で、今も互いに口づけをしている。
その姿を、沙貴と歩、伊織は、どこか羨望を込めた目で見ていた。
「なんか、憧れちゃうよねー……」
少しだけ切なそうな笑みを浮かべる沙貴の唇を見ると、歩の中の何かが昂り始める。なんだか刺激が強いように思えたからあわてて目を逸らすと、今度は伊織の豊満な胸が目の前に迫り、そのまま吸い込まれた。
「きゃんっ」
伊織はわざとかわいらしい悲鳴を上げると、そのまま歩の頭と、そのまま沙貴の肩を抱き寄せた。
「えぇぇ? なになに?」
「!? !? !!?」
突然、まとめてくっついたことに驚く沙貴だったが、今は若夫婦に関心が言っているためか、抵抗するつもりが、結果的に伊織の胸を揉み続けている歩の醜態に気付けなかった。
それを知ってか知らずか、伊織は突然関係のない話題を切り出す。
「最近読んだエロ漫画がさ、ちょうどあんな感じの若夫婦の話だったんだよね」
沙貴はちょっとだけむせた。急になんだ!? と言わんばかりに伊織を軽く睨むが、彼女はむしろそれを期待していたように、話を続ける。
「両刀って言葉があんだけど」
両刀――いわゆるバイ・セクシャル。両性愛者。男女どちらにも性愛感情が向く性のあり方を指す言葉だ。
「そのマンガじゃあさあ、あんな感じで仲の良い夫婦の方の……夫の方か? が、浮気している疑惑が出ててさ。その調査を探偵……ちなみに男……に頼んだ奥さんが、真実を知った時、なんと夫の浮気相手がその探偵だったってオチだったのよ」
「おえっ」
その手の話に理解の無い沙貴は、思わず吐きそうになった。
「男女問わずに食いまくり~! ってカンジの男は、その後奥さんと探偵のオッサン両方を食べ比べるっつー、マンガでしか許されないようなオチになったわけなんだけどさ。その男のビジュアルが、ちょうどあの男の人みたいなのを、なんか今思い出しちゃったわ」
「伊織……エロ漫画で現実の尊いのをぶち壊そうとすんのやめよっか?」
「沙貴はまだ、現実の非情さっていうか……奥深さっていうか、広い世界を受け入れる器が出来ていないから、ちょっとこの話は早かったかな」
「わ、わたしはそーゆーのとは無縁だもん――って言おうと思ったのにアユくんは何してるのかなぁ!?」
ここで、ようやく伊織の胸の中で動かなくなった歩に気付いた沙貴が、彼の頭を引っ張り出した。
ゆでだこのように赤くなった歩の顔を左右から押し潰すように手を当てながら、沙貴は怒りを露わに伊織を睨む。
「伊織にまで手を出したら、浮気だからアユくんはしちゃダメなんだよッ!」
「アタシは歩なら良いけど――」
「わたしがダメだっての!」
「アタシは沙貴でも良いけど?」
「アユくんじゃなくてわたし!? ていうかさっきの両刀って、もしかして伊織のことだったりする!?」
「そんな意識は無いけど…………考えようによっちゃありかも?」
「あり!?」
「ふたりともかわいいからねぇ~! まとめて食っちゃうぞー! っていうのも、うん。いや、マジでありかも?」
「な、何言ってんのよ!? あ、アユくんもなんとか言ってってば!」
沙貴にバシバシと背中を叩かれる歩は、またも動けなくなってしまった。
しかし、今度は単なる好奇心という理由ではなかった。
「食っちまうって言い方……シャレになってない、のか……?」
「「えっ?」」
顔面蒼白になった歩の様子を訝しんだ女子ふたりが、再び若夫婦に目を向ける。
さすがに顔を離しているだろうと思っていたのだが、彼らは未だに抱き合っていた。
しかし、今度は何やら、妙な音が聞こえてくる。
「なんか、ぺちゃくちゃ聞こえる? ハンバーグ作ってる時みたいに、ひき肉を練り込んでって時みたいにさぁ……って、ちょっと伊織?」
伊織が、無言で両手で沙貴の目を覆い、自分の身体に引き寄せた。歩もまた、無意識にレガの鍵を右手に握っていた。
沙貴の例えは、ほぼ正解だった。
唯一にして最大の問題は、『何の肉を食べているのか』だ。
「奥さんの方かな? ……旦那さんを食べてる」
悲鳴を上げることなく、妻であるはずの女性によって、口周りが欠損している男の横顔が、一瞬だけだが見えた。出血量はコップ一杯分程度でしかないのも驚きだが、何より自分の肉と骨をバリボリと咀嚼している妻を目の前に、どこか笑っているようですらある振る舞いは、異常だった。
「あれって……ゾンビみたいなもん?」
伊織の呟きに、歩は首を横に振って見せた。
「ゾンビでも共食いはしないと思うよ……」
仮に、どちらかが歩たちが見ている中で感染したとして、悲鳴や抵抗するような物音すらしないのは、不自然だ。
彼らは既に、あのような状態になっていた――歩にはそう思えてならなかった。
「問題は、あいつらが普通の人間に対して、攻撃的かどうかってことだと思うよ。放って置いていいなら、どこか人里離れた無人島にでも放り投げとけばいいと思うけど……ゲームに出てくるゾンビみたいなムーブを見せるんなら……」
歩は、左手だけレガの手に変化させて、目を細める。
駆除するしかない! ――彼らにどんな事情があろうとも、歩が守るべき人達の命よりも、優先順位は明らかに下なのだから。
(人間って、都合のいいことばっかり考えて生きるもんだよね)
自覚はすれど、それ以上は悩まない。
仲良くできるならそれでいいが、一方的にこちらに危害を加えようとするならば、受け入れるわけにはいかない。この場合の自己犠牲は、自殺に他ならない。
自分の為にも、周りの人達の気持ちのためにも、それは出来ない。
「カァー」
真上の電信柱に、一羽のカラスが飛んできた。人嫌いかつコケにする術を熟知しているのか、カラスは妻の頭上に白いフンを落とした。
それを、顔面に浴びた女性は、あろうことか笑っていた。しかし、
「うっ!」
突如、顔面の表面に穴が開き、そこから紫色の、フィラリアのような触手が飛び出た。触手はカラスに向かって伸びていき――胸に突き刺さった。
カラスは悲鳴を上げることも出来ずに絶命。そのまま触手に引き寄せられるように夫婦の顔面の間に落ちると、彼らは目の前の死体をそのまま食らい始めた。羽がむしり取られる音と、ぺちゃくちゃと肉を食べる音、僅かに骨が砕ける音が聞こえてきた。
「カラスは好きな鳥じゃないけど、あれはさすがに気の毒だね」
「ていうか、あれって普通に化け物だよね!?」
「えっ? バケモノ……?」
「沙貴~? だいじょぶだから、あとちょっと待っててね~」
伊織は左手を異形と化した若夫婦に向け、指先から電流を放った。金色の光が若夫婦を飲み込む、数秒で炭化させた。
「あんなんがうろついてるとなると、ふたりんちのマンションも危ないかも……」
伊織の呟きが、歩の背筋を凍らせた。
「母さんたちは、無事なのか……?」
「心配してるトコ悪いけど、まずは自分達だと思うよ?」
「えっ?」
振り向くと、先程の若夫婦と同じような変貌を遂げた人間……だった存在が、ぽつりぽつりと現われる。足取りこそゆっくりだが、彼らの動きは、確実に歩たちの周りを取り囲もうとしている。
「あんなのが出てきたことにまず驚きだけど……もしかしてぼく達――」
「言うまでも無いけど、狙いはアタシ達だと思うべきじゃん」
「えっ? 何あの人達!?」
伊織の手をのけた沙貴は、ゾンビのように何かに変貌した人々を目の当たりにし、竦み上がる。
「ここで突っ立ってたんじゃまずい! 移動するよ!」
「わ、わかった!」
「!」
伊織が沙貴の手を引いて走り出し、歩もその後に続く。
変貌した人々の視線は――一斉に、歩たちの走る方向に向けられた。
◇◆◇◆
~3月2日 18:17
慶王と名の付く学校は全国的に有名で、小学校から大学までのエスカレーター式での学習が可能な、エリート校である。歩と沙貴が住むマンションの周りには、中等部、女子高、大学と、まるで学校の敷地内ではないかと錯覚する程に、慶王の校舎が存在する。そして、このグラウンドは、全ての学校の生徒が利用する場所だった。
コンクリートばかりの都会の中では珍しく、茶色の土が敷き詰められたグラウンドの光景は、見る者にどこか田舎のような懐かしさを感じさせる。
『緊急避難速報! 緊急避難速報!』
テレビ、ラジオ、パトカー等からのアナウンス等、様々な方法で周囲に警戒を呼び掛ける声が響き渡る。
『ただいま、原因不明の現象発生! 映画のゾンビのような何かが、人に危害を加えるケースが急増しています! 一刻も早く、近くの建物に避難してください! 戸締りをしてください!!』
このような警報が鳴り響いているせいか、周囲に人の気配は微塵も感じなかった。あるいは、既に犠牲になった後か……。
そこまで考えたところで、歩は考えるのをやめた。
自分がするべきは、沙貴を始めとした、大事な人々を守ることだけだ。
「いた、見つけた!」
上空から、何者かがグラウンドに舞い降りてきた。
砂埃が風に運ばれ、中にいる戦鬼ルーガ――が、すぐに人間態である蒼井蓮司の姿に戻る。
「先生! 一体何が――」
「知らん! こっちが聞きてぇよ!」
蒼井の表情は、身内が無事だったことに安堵した笑顔と、異常事態へのいら立ちが入り混じった複雑なものだった。
「まだこの辺だけみてーだが、確実に広がってやがる……積極的に人を襲おうっていうムーブじゃあねえようだが……」
「狙いなら、予想つくと思うけど?」
伊織が辺りを見渡すので歩たちもそれに倣うと、既に周囲に大勢の異形が囲っていたことに気付き、絶句した。
「お前らってわけか……」
歩と沙貴を見比べる蒼井の表情には、しっとりとした納得の色が浮かんでいた。
歩には、それが何かの確信を得たような態度に見えた。
「……明確に、何かを目指して動いているってのは、これが初めてだ。見たばっかのもんに対する言葉遣いには、相応しくないとは思うがね」
「そこまで言い切るってことは、センセーはもう見当がついてるわけだ」
「あぁ」
蒼井は、隠さなかった。
「歩をピンポイントで狙う人間なんざ、一人しか心当たりはねーからな」
「えっ?」
歩の脳裏に、一人の同級生の顔が浮かび上がった。
最近まで、執拗に自分をイジメていたグループ――その中心人物を。
「
「エラそーに呼んでんじゃねえぞ」
声がした方向に振り返ると、トイレから霧人が現れた。猫のように開いた瞳孔、顔面に浮かぶ血筋のような模様は、歩が知る蘭霧人とは違う様相だった。
「クソみたいな臭いがプンプンすんだけど」
伊織が、あからさまに侮蔑の目を向ける。
「お高く止まった進学校でも、歴史が古けりゃトイレもクセー。お金持ちのくせに、案外ドケチなもんだ」
「臭いってのは、お前自身のことでもあるんだがな」
蒼井は、駅のある方角を親指で差した。
「駅近のビルでな、大量の死体が発見された。お前の親父も含まれてたんだが」
「あぁ、やっと見つけたってわけか。日本の警察も仕事が雑だよなぁ~」
霧人は、他人事のように笑う。
父親が殺されたというのに、笑っていた。
歩には、到底理解できない感情だった。家庭環境の違いということなのだろうが、それでも身近で殺人事件が起きれば、大なり小なり驚くのが人間というものだ。
何故、蘭霧人は驚かない?
「考えるまでもねーだろ」
歩の困惑を見透かしたかのように、霧人は嘲笑った。
「俺がやったんだからよォ」
歩は息を呑んだ。
霧人が、人を殺した。
いつかはやるかもとは思っていたが、まさか本当にやるとは!
「だろうな」
そして蒼井は、霧人の言葉を当たり前のように受け止めていた。
何がどうなっている?
「センセー。もしかして、死んだアイツの父親ってさぁ……」
「あぁ。灰の戦鬼だったヤツだ」
伊織の声に、蒼井は背中越しに答えた。
「歩と同化するまでの兄貴……いや、レガに負けて、勾玉を奪われたから、大人しく半グレしてたらしいが……」
「いやいや、笑っちまってさぁー!」
聞かれてもいないのに、霧人はケラケラと笑いながら語り始めた。
「最初は、親父が耄碌しちまったのかと思ってたんだけどよォ。ゲームに出てくる昔の宝石みてーなのをパクっと食ったのよ。したら、なんかブワァー! ってすげえパワーが湧いてくんのよ! 最初はロボットとか動物を操ったりするしか出来なかったけど、だんだんコツがつかめてきてからは、毒とかも使えるようになってよォ」
「それってまさか……!」
「おかげでよォーーー!」
霧人の身体が、どす黒い瘴気に包まれ、拡散する。
瘴気が固体となり、表面がひび割れ、落ちたその下には、胴体の鎧を紫に、四肢を緑色に染め上げた、灰色の戦鬼が立っていた。
「そういうことだったのか……!」
歩は、大晦日に起きた事件の顛末を思い出した。
警察署から奪われた紫と灰の勾玉――その行方が判明した。
「この力を手にしてから、ずっと考えてたんだ。どうやったら、帳のヤツを殺してやれるかってことッッッ!?」
嬉々として語っている途中で、霧人の頭部が宙に舞った。
隣に立っていた蒼井が、瞬時に戦鬼ルーガに変身し、氷の刀を伸ばして霧人の首を切断したのだ。
宙に舞う霧人の頭部の動きが、スローで見える。その視線が、歩と重なった。
鬼の面越しにもわかる。
霧人は笑っていた。
「おっかねえなぁー」
霧人の頭部は見えない糸で引っ張られるように胴体に戻り、元の位置に戻る。切断面となる切り口は瞬時に消え、霧人は何事も無かったかのように腰に手を当てて笑った。
「ば、ばけもの……!」
「そうだね」
沙貴が震え出し、伊織が彼女を庇うように前に出て、戦鬼イオとなる。
「(化け物)なら死ね!」
イオが頭上に手を振り上げ、数秒後に霧人の頭部に落雷を落とした。
霧人は全身を迸る電流を足元に流し、またしても何もないと言わんばかりに、平然としている。
「うわぁー、腹立つぅー」
「首を斬り飛ばして、しかも妖術も聞かねえなんざ、前代未聞だなこりゃ」
「ま、あながち間違っちゃいねーよ」
突如、地面から突き上がった何かが、ルーガとイオの腹を突き刺した。
「ぐおッ!」
「あぐっ!」
「せ、先生!?」
「伊織!!」
「く、来るなァ!」
ルーガが手で歩と沙貴の接近を制止する。
二人の身体を貫いたのは、二匹の蛇だった。
人間より知能の低い動物であれば意のままに操れる灰色の戦鬼の力を、霧人は意のままに操っていた。歩が死ぬ覚悟で挑んだ修行も積まずに。
「俺からすりゃあ、お前ら戦鬼は単なる餌みてーなもんだしな」
「何?」
「うぐっ……!」
「ち、力が……」
ルーガとイオは全身を襲う脱力感に負け、糸が切れた操り人形のように倒れる。そして、蛇が離れていった直後、人間態に戻った。
霧人は、操った蛇が戻り、首元に巻き付いたことを確認すると、頭から頬張り始めた。鱗だろうか? 咀嚼する度にバリバリと何かが割れる音が響き渡る。
そして、蛇の肉を飲み込んだ直後、霧人の全身にさらなる妖力の漲りを感じた。
「まだ、勾玉はパクれねーみてーだけど、充分だわな。これで邪魔者は消えたんだからよォ」
「お前、先生と伊織の力を!」
「奪った。テメエを殺すためにな!」
「きゃあああああ!」
振り向くと、沙貴が悲鳴を上げながら、カラスの大群に体を持ち上げられていた。一メートルにも達していないが、鳥の大群にまとわりつかれ、持ち上げられるという不気味な状況に、沙貴はすっかり竦み上がっていた。
これは、人質だ。先に吸収した伊織の妖力から、霧人は雷の妖術を会得している可能性がある。そうなれば、歩が動くより先に沙貴に雷を落とすことが出来るだろう。
可能性がある以上、それを無視することは出来ない。
「帳、わかってるよな?」
「……何が目的だ?」
打開策を見出せない歩は、時間稼ぎの意味も込め、霧人に質問する。
「テメエに百万返しって行きたいトコだが、その前に念押ししとかなきゃだなぁ」
霧人は地面を指差した。
「お前の戦鬼の力……全部ここに置け」
「…………」
わずかに逡巡するも、霧人の視線が沙貴に向けられたことで、歩は最悪の決意を固めてしまった。
(くそっ……!)
レガの三鈷剣を手に取り、霧人の前に放り投げた。
「わかりやすいヤツだなぁ」
霧人は三鈷剣を拾い上げると、それを上に放り投げ、かじりついた。霧人の口の中で粉々に砕けたであろう三鈷剣の欠片が飲み込まれると、霧人の身体が淡い赤い光に包まれる。
「クカカカカカカカカカカ!! 最ッ高だ! 最ッ高に気分が良いぜぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
霧人の肉体が、灰色になったレガのような姿になる。奪い取った戦鬼たちの色は、額についた二本の角に反映されていた。
「さて、どんな風に変わったか、試させてもらうっかなぁぁぁ~?」
「ダメ! アユくん逃げて!!」
沙貴が涙交じりに叫ぶも、歩にその選択肢を選ぶことは許されなかった。
歩が戦うのは、沙貴を守るため。その彼女を置いて一人助かろうだなんて、歩に出来るわけがない。
「必ず助けるから、待っててね」
「アユくん!」
「歩……!」
「歩!」
「ギャアアアアアッギャッギャッギャッギャッギャッ!!」
霧人の獣のような笑い声がこだまする。
そして、歩の眼前で、クマのような大きな腕が、歩に振り下ろされる――
「お邪魔します」
「あン? ――おおっ!?」
その前に、何か巨大な物体が、横から霧人を押し潰した。刹那、何回か銃声が鳴り響き、歩はカラスの大群が夕日に向かって飛んでいくのを見た。
「帳君、ここは離脱しましょう」
「三橋君!?」
「
「う、うん!」
歩は腰を抜かして座り込んでいた沙貴をお姫様抱っこで抱き上げた。
歩を見上げる沙貴の目には、涙があふれていた。
「沙貴ちゃん、逃げるよ!」
「アユくん……あんなにがんばったのに!」
「泣かないで。絶対なんとかするから!」
「うん……」
沙貴を抱きかかえた歩は、秀真と共に二号機の肩に乗り移った。三号機の両脇には、それぞれ蒼井と伊織が鉄の腕に抱えられている。
「出します!」
霧人に向かって突撃した一号機は、その場で自爆した。それを目くらましに、歩たちはその場を離脱した。
霧人は、追ってこなかった。
「…………」
(それで良いんだ、歩)
頭の中に、紅郎の声がこだまする。力の源をほとんど失った状態でも、戦鬼だった男の魂は、歩の中に残されていた。
(すみません、ご先祖様……)
(お前の見込み通りだ。あのまま迷ってたら、お前の大事なお嬢ちゃんは消し炭にされてたろうよ)
(そう、でしょうか……?)
(心配すんな。お前の覚悟は……ちゃんと活きる。俺が保証してやる)
(……はい)
一時の気休めでも、歩のささくれそうになった心は、不思議と穏やかになっていった。
◇◆◇◆
「……へへ。悪あがきしてんじゃねえよ」
霧人は鉄鋼鬼の残骸を腕で払いのけながら、炎の中を悠然と歩く。炎に支配されたグラウンドの中を歩きながら、霧人は考える。
「すぐに追っかけてってのも、面白くねーしな」
戦鬼から人間態に戻った霧人は、舌を出して空気の流れを読む。
桃色の舌は、人間のものより五倍は長く、そして先端が二又になっていた。
「完全でなくとも、妖力さえ奪えば、道しるべにはなろうな」
赤、青、黄の勾玉は奪えずとも、その力の質は理解できた。
残るは、白と黒の戦鬼。場所は大体わかっている。
「ヤマタノオロチの復活、やろうと思えばできるかな」
頭の中に浮かぶ、自分以外の存在が目指すものの意味を理解している霧人は、黙ってそれに従うことにした。それが、帳歩を絶望させることに繋がると信じているからだ。
肉体を傷つけるだけではダメだ。
織部沙貴を殺すのも良かったが、おそらくあれにはまだ利用価値がある。ここでヤツをダシに帳歩をいたぶっても、最高の結果は得られないだろう。
歩には、自分が無力だということ――絶対に蘭霧人には敵わないということを、骨の髄まで叩き込んでやらなくては気が済まない。
「行くか」
悠然と歩きながら、霧人はグラウンドを後にした。
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