第9話 社畜な勇者


 そう言うと勇者さんは温泉宿の玄関先へと戻っていき、その場で手をかざした。


「おおっ!」


 すると何もない空間から突然大きな羽の生えたトカゲの死骸が現れた。これはアイテムボックスというやつか?


「これはワイバーンですね。それに今のは収納魔法……少なくともかなりの実力があるということは分かりました」


「おお、これがワイバーン!」


 どうやらこの数mくらいある魔物がワイバーンらしい。今さらだがファンタジーっぽい魔物を見ると、ここが異世界だと再確認できるな。この温泉宿はうちの実家をモデルにしているからまったく異世界感がないんだよね。


「あなたがかなりの腕前であることは分かりました。ですが、そんなに強いのにどうしてここで働こうと思ったのですか?」


 ポエルの言う通り、収納魔法が使えてワイバーンが倒せる勇者なら一定以上の強さがあることは間違いない。


 しかし、ここで働きたいという理由がわからない。どう考えても、このワイバーンだけでこの温泉宿の月の給料は軽く超えてしまうんじゃないか?


「……もう限界なんだよ! 毎日毎日、あの魔物を狩ってこい、それが終わったら今度は違う街に行ってこっちの魔物を狩ってこいとか軽く言っちゃってくれるけどさ、おまえらその魔物を倒すのがどれだけ大変か知ってんの?


 こっちは命がけで休みもなく毎日魔物と戦っているのに、今回は時間がかかったなとか、毛皮に傷があるなとかなに簡単に言ってくれちゃってるわけ? というかなんで僕があいつら王族や貴族のために命をかけて戦わなくちゃいけないの?」


 ……勇者さんがぶっちゃけてきた。どうやら国にめちゃくちゃ不満が溜まっていたらしい。


「昔から休みなんてなかったけれど、魔物や盗賊から村の人達を助けたりして、いろんな人から感謝されて、忙しいけどやりがいはあったよ。だけど戦争が終わって平和になったら、なんで王族とか貴族のために働かなくちゃいけないんだよ!」


 元の世界のファンタジーではよく出てくる勇者は、戦争が終わったあとに英雄となってハーレムを作るのが普通だと思っていたが、現実はそうでもないらしい。


 確かに休みなく王族とか貴族のために命を懸けて戦うなんて馬鹿らしくなる。というか、この世界の勇者という職業がブラックすぎてヤバいのだが……


「……そんな時に森の中にあったこの扉を見つけたんだ。表に書いてあった条件を見たら、なんと休日をもらえるという話じゃないか! それに週のうちに2日も休みがもらえるなんて天国かとも思ったよ。だから僕は今の仕事を辞めてここで働こうと決心したんだ!」


 いや休みがあるとかそれ普通だから! 今時休みのないブラック企業なんか誰も入らないからな!


 どうやらこの勇者さん、あまりにもブラックな環境にいすぎて、だいぶ精神的に病んでいるようだ。こんなに強ければ働ける場所はいくらでもあるだろうし、今まで稼いできたお金でしばらく働かずにゆっくりと過ごすという発想すら出てこないらしい。


 とはいえ、うちの温泉宿にとっては願ってもいない最高の人材だ。強さは申し分ないみたいだし、それだけヤバい職場で今までずっと耐えて働き続けたというだけで評価できる。この勇者さんには悪いが、ありがたくうちの温泉宿で働いてもらうとしよう。


「わかりました、あなたを採用します」


「本当ですか!」


「今までいろいろと大変だったみたいだね。うちの温泉宿はちゃんと休みを取れるし、おいしい食事もあるし温泉にも入れるから、きっと楽しく働けると思うよ。当温泉宿はあなたを歓迎します!」


「うう……ありがとうございます……」


(……なんだか弱っている人につけ込む詐欺師みたいですね)


(しー!)


 自分でも少しそう思っているんだから、改めて口にしないで!


 だって普通に勇者みたいな強い人を雇おうと思ったら、いくらかかるかわかんないよ。


「それじゃあ改めて、この温泉宿の主人をしているヒトヨシだ」


「私はポエルと申します」


「元勇者のフィアナだ。呼び捨てで呼んでくれ。どうか、よろしく頼む!」


「フィアナ、よろしくな……んん?」


「どうかしたか、ヒトヨシさん?」


「……いや、なんでもないよ」


 フィアナ……フィアナか……


 改めてフィアナの顔をよく見てみる。ボサボサの髪に血や泥だらけだが、とても整った顔立ち……


 うん、勇者さんは女性だったわ。






「まさか女勇者だったとは……」


「さすがにそれは気付きましょうよ」


「いやだって、あそこまで泥だらけだったら男か女なのか分からなくない?」


「まあ確かに身体全体が汚れていましたからね。私も声でギリギリ分かりました」


  防具も完全に男物だったし、身長も俺と同じくらいの高さだったから完全に気付かなかった。そしてなにより言いづらいのだが……


「それに胸が完全に絶壁でしたからね」


「………………」


 言いやがった! この天使、あえて俺が言わないようにしていたことをあっさりと言い切りやがった!


「ま、まあ、防具で抑えつけられていたから、そう言えなくもなかったかな……」


「いえ、あれは完全に断崖絶壁でした。正直に言って、同じ女性として同情を禁じ得ないです」


 ご丁寧に断崖までつけて言い直しやがった……


「……フィアナの前では絶対に言うなよ」


 ちなみに当のフィアナは温泉に入ったあとで、すでに客室でぐっすりと眠っている。かなり疲れていたようで、食事もいらないようだったが、さすがに血と泥だらけの姿でこの温泉宿を歩き回るのは好ましくないため、この温泉宿自慢の温泉に入ってもらった。


 念のためにポエルにも一緒に入ってもらったが、案の定と言うべきか湯舟で眠ってしまったらしい。見た目通り肉体的にも精神的にもかなり疲れ切っていたようだな。


「さすがに言って良いことと悪いことはわきまえているつもりですよ」


「……ならいいけど」


 というか、別にポエルもそこまで胸が大きいというわけではない。むしろどちらかというと貧……


「セクハラです」


「っ!? いや俺は何にも言ってないぞ!」


「何を考えているか丸わかりです。心の中で思うだけでもセクハラですよ」


「理不尽すぎる!」


 この天使さん、たまに心の中を読めるのではと思うくらい鋭いんだよな……

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