第32話

家に着くとどっと疲れた果歩は、

ソファでゆっくりくつろいだ。


比奈子は、お人形遊びに夢中になっていた。


軽く昼寝をしようと思っていたら、

スマホの通知音が鳴った。


実母の紗からだった。


『今日はお世話さま。

 比奈子ちゃんの件で、

 晃くんが悪影響なら

 いつでも、我が家で育てるのは

 歓迎するからね。

 果歩は、どうするか

 真剣に考えておいたらいいわ。

 ま、子どもは晃くんに任せて、

 離婚してもどっちでも

 構わないのよ?

 受け継ぐのは、長男の大輔で

 間に合っているんだから。』


 かなり毒のあるメッセージだった。

 そもそも、果歩は、婿養子を取る必要の

 ない家系だ。

 長男である大輔がいるため、

 嫁に行っても十分だったが。


 晃が榊原を名乗ることに抵抗を

 感じていたためだ。


 結局は世間体が気になるのだ。


 そのまま、小松の名を名乗り続けるのは

 難しくなりそうだ。


 悪運が近づいている気がする。


 果歩は、苦虫を潰したような顔をした。


 頭の髪をかきむしって、狂ったように

 洗面所へ駆け出した。


 バシャバシャと、顔を洗う。


 どこで、何を間違った。


 結婚相手か結婚する時期か。


 子どもを産むことになった

 ターニングポイントか。


 うまくいかないことが多い。


 想像と違う今を生きている。


 体は痩せ細り、ご飯をろくに

 食べられない。


 鏡を見つめると自分が自分ではない。

 30代というのにどこか老婆にも

 見れなくもない。


 影から、比奈子は果歩を覗いて見ていた。


 夫を盗んだ気持ちあったのなら、

 今の不幸はそこから来たのではないかと

 思う。


 前世の記憶を持つ比奈子は、

 つくづく、晃という男は

 女の幸せを考えてあげられない人だと

 感じた。 


 自分自身も幸せの持続はしていなかった。


 嫁を変えても何かしらの不運というか

 不幸というか。


 結婚は不向きではないかと思う。



 洗面所で膝から顔をおさえて

 泣き崩れた。



 比奈子は、後退りして

 見えないように隠れた。


 

 廊下の壁に背中をつけて、

 ただ待っていた。



 玄関のドアが開く。



「ただいま。」


 小さな声で晃が帰ってきた。

 いつもより早い帰宅だった。


 果歩は、泣き崩れたまま、

 晃の声は聞こえていないようだ。


 声を聞いた晃は、洗面所に駆け寄った。



「果歩、どうした?」



「……。」



 晃は、見上げる果歩の顔を見た。

 髪も化粧していた顔も

 ぐちゃぐちゃの果歩を見るのは

 初めてだった。


 果歩は、晃の顔を見て、冷静になった。


 深呼吸してから。



「離婚してください。」


果歩は、バサバサな髪のまま、土下座した。


呆然と立ち尽くす晃は、一瞬、固まった。


近くにいた比奈子は、晃のスーツのズボンを

しっかり握っていた。



「ごめん、状況が見えないんだけど…。」


果歩の言葉を信じることができなかった。


果歩は、繰り返し、もう一度


「離婚…してください。

 お願いします。」


顔を見ることはなく、ずっと顔を埋めたまま

話した。


晃は、さっきと同じセリフで変更がないことに信じられなかった。


ただただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

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