第31話 2040年 事件再び
2040年。グラウンド・オルタナス歴でR・J828年。
世界は、この100年で急激な進化を遂げた。歴史上で最も変遷した100年と言っても過言ではないだろう。
100年前は1940年。第二次世界大戦の最中で、日本が日独伊三国軍事同盟を結んだ年である。
その5年後に世界大戦は終結し、アメリカとソ連による冷戦が始まる。資本主義と社会主義の対立だった。アメリカやヨーロッパを中心とする資本主義国と、ソ連・中国・北朝鮮・インドなどの社会主義国。一国の在り方を競い合った。
半世紀近い冷戦の中で、代理戦争が多発した。1950年勃発の朝鮮戦争では北朝鮮をソ連と中国が、韓国をアメリカやイギリスが支援する。1975年まで続いたベトナム戦争では北ベトナムをソ連・中国・北朝鮮が、南ベトナムをアメリカ・オーストラリア・韓国が支援した。79年から10年間続いたアフガニスタン侵攻では共産主義政権をソ連や東インドが、対抗勢力をアメリカやイギリスが支援。こうした代理戦争が幾つも起こった。
冷戦当初は二分していた勢力だったが、その差は経済力に表れていく。社会主義ではどれだけ価値を生んでも、全員一律で給与や物資が提供される。そのせいで労働者のモチベーションが下がり、衰退する国が出てきた。資本主義は能力の差から生まれる貧富の差などが問題視されたが、国全体の経済力という観点では社会主義より優れていた。
結果、89年のベルリンの壁崩壊から東西ドイツの統一、91年のソ連解体と続き、欧米側が主導する世界が出来上がった。
その後アメリカ主導の世界で21世紀に突入し、世界同時多発テロ、リーマン・ショック、ロシアによるクリミア併合、コロナウイルス、タリバンのアフガニスタン制圧、ロシアのウクライナ侵攻を経て、現在に至る。
人々の生活も大きく変化した。
100年前の1940年代には日本の家庭に白黒テレビも洗濯機も冷蔵庫も無かった。これら「3種の神器」が普及するのは、50年代後半からの高度経済成長期だ。戦後GHQの指導で国民の所得が上昇したのを機に、普及していった。また、乗用車の所有率が伸びたのは60年代に入ってからだった。
80年代に入り、ゲームやパソコンが世に出回るようになる。特にパソコン・インターネットは人々の生活を変えた。90年代以降各企業・家庭で所有されるようになり、世界の人々と容易に交信出来る環境が整った。
携帯電話の登場も大きかった。何処に居ても連絡が取れるのは非常に画期的で、ビジネス面にも大きな変革をもたらした。その後スマートフォンが登場し、携帯電話はインターネットとの融合を果たす。
現在ではスマートフォンは財布・鍵・通帳・防犯・個人情報としての役割を持ち、人々の生活に欠かせない生活用品になっている。世界の貧しい人々でテレビや冷蔵庫を持たず、電気や水道が通っていない地域だが、スマートフォンだけは持っている人も少なくない。
エネルギーも変化した。世界大戦前後は火力発電が主力で、主力燃料は石炭だった。50年代近辺で石油が中東を中心に発見され、需要が増す。20世紀は「石油の世紀」と呼ばれた。石炭・石油に天然ガスを加えた化石燃料が、長きに渡り第一次エネルギーの中心となった。
状況が一変したのは地球温暖化の影響だった。気温の上昇が国際社会で危惧され、再生可能エネルギーが促進されるようになる。太陽光・水力・風力・潮力など。これに伴い、自動車や鉄道の燃料が電気や水素に変化していった。
世界はこの100年で著しく変化していた。
「母さん」
サルマの任務を終え、大和は現実世界に戻ってきた。
すぐさま礼子の安否を確認する。大和の寝室と礼子の寝室は1部屋挟んだ場所にあり、薄暗い廊下を跳ねるように進む。
礼子の部屋は暗かった。照明は点いておらず、月明かりが窓から漏れている。2人が住んでいるのは高層階で礼子はいつもカーテンを開けたまま寝る癖があった。薄いレースカーテンが微かに揺れていた。
「母さん?」
大和は電気を点けてベッドに近寄る。嫌な予感がした。布団に膨らみが無い。布団を捲っても、案の定礼子は居なかった。
「嘘だろ」
辺りを見渡しても礼子は見当たらない。それから大和は家中の灯かりを点け、全体をくまなく探す。しかし礼子は何処にも居ない。大和はスマートデバイスを取り出し礼子に電話を掛けた。
「出てくれ」
5秒、10秒、20秒。
いくら待っても電話は繋がらない。大和は背中に嫌な汗を感じる。そこで呼び出し音が止まった。
「母さん、俺だけど今何処、」
《お客様のお掛けになって電話番号は、現在使われて――》
「くそ」
大和は画面を叩くように押した。
山形はもう動いたのか。グラウンド・オルタナスで戦ってまだ1日も経っていないのに。居ても立っても居られず、リビングを歩き回る。
まさかもうそんなに監視されているのか。これではまるで賞金首かブラックリストだ。「ヤマト・アストラル」の現実の情報を掴んだ山形らは、すぐさま礼子の拉致に動いた。
非常に危険な状況だった。グラウンド・オルタナスでは随一の力を誇る大和。しかしその力は現実世界では効果を示さず、現実世界が安定している上に成り立っている。現実世界の大和の動きを封じれば「ヤマト・アストラル」は居なくなったも同然だ。
グラウンド・オルタナスで命を落としても現実世界に支障は無いが、現実世界の動きを封じられればグラウンド・オルタナスで活動は出来ない。だから身分がバレてはいけなかった。かといって途中でプレイヤー名を変更するのも変だ。それこそプレイヤー名に秘密があると言っているようなものだからだ。
あの時、山形(ネビン)の揺さぶりに反応を示したのが過ちだった。
「どうする。どうする」
今更そんなことを悔やんでも仕方がない。今は礼子の安全が第一だ。
とは言え、礼子が何処に行ったのか全く判断材料は無い。現在の時刻は深夜2時過ぎ。よもや単なる外出ではあるまい。礼子は返るのが遅くなる時必ず連絡を入れる。だからこそ大和の心配は膨らんでいた。
まずは警察に報告すべきだろうか。自分の推理では限界がある。いや、待て。警察は掛け合ってくれるのか。これが拉致だった場合、その警察の人間が行った可能性が高いのだ。
でも警察全体がグラウンド・オルタナスの工作に関わっている訳ではないだろう。ならばやはり通報すべきか。
悩んだ末、大和は110番を押そうとする。1・1・0と押し、あとは掛けるボタンを押すだけ。
その時、着信があった。電話帳に入っていない番号だった。
「出る、か?」
タイミング的にも時間帯からしても、明らかに怪しい。礼子が攫われているなら、それに関する人間と見て間違いない。肝心なのはこの相手が「味方」なのか「敵」なのかだ。まだ警察に通報していない手前、「敵」である確率が断然高い。が。
「引き延ばしたところで、だろうな――」
大和は「出る」を選んだ。通話ボタンを押し、低い、動揺していない声を出そうとした。
「はい」
「新 大和だな」
男の声だった。年齢は3~40代。低く、渋味のある声。知らない相手だった。
「そうですが。どちら様ですか」
「お前の『味方』だよ」
「……こんな時間に掛けてきて第一声がそれですか。信じられると思いますか」
電話の男が薄く笑う。
「だよな。だが信じろ、母親が拉致されたんだろ」
何処から情報を得たのかは不明だが、男は既に礼子の事件を把握している。
「今俺の仲間がその犯人を追っている」
この言葉を信じていいものか、大和は悩む。
「疑っているな? じゃあ信じさせてやる。話を長引かせても無駄だからな。俺達の――――は、――――だ」
大和は納得する。完全に信用は出来ないにしても、それを言えるのはかなり信憑性があった。
「では拉致したのは貴方方ではないんですね」
「そうだ。その理由が無いだろ」
理由が最もあるのが貴方達では――、とは大和は言わない。
「それで、これから僕はどうすれば」
「家を出ろ。マンションを出た所に黒のハイエースが停まってる」
「分かりました」
電話を切った。
Tシャツの上から無地の黒のパーカーを羽織る。必要最低限の荷物だけ持って、大和は自宅を出た。
タワーマンション内は静かだった。フロアの踊り場には誰も居ない。深夜だから当然かもしれない。
エントランスを抜け、外へ。暦は4月。外は空気が冷んやりとして肌寒い。
パーカーを羽織ってきたのは正解だった。何処からか沈丁花(ジンチョウゲ)の香りがして、春の訪れを仄めかしている。こんな事態で無ければ春の訪れを楽しめたのに。
沈丁花の淡くノスタルジーな香りと相反する香りが、黒の車体から漂っている。夜に紛れた黒いボディは、マンションの斜め前に停まっていた。大和の姿を確認するなりスライド式のドアが開く。
黒のスーツを着用した男が1人出て来た。40代、黒髪、肩までのロン毛、夜なのにサングラスを着用し、無精ひげを生やしており、口元はややニヤついてる。男は日本人だった。
「よう。こっちだ」
ポケットに両手を突っ込んだまま、男は喋る。その声から電話の男だと判別する。
「ボスの所に案内してやる。乗れ」
会話はそれだけで、大和は如何わしい車に乗り込んだ。
車内の内側にカーテンが付いていて、景色は見えないようにしてあった。運転席と助手席に1人ずつ、2列目に男が1人、3列目に1人の男が乗っている。揃って黒スーツを着用している。いかにも怪しい男達だ。
白人が2人、黒人1人、アラブ人1人、そして日本人。全員表情が硬いが、日本人の男だけはニヤついている。男はどうやらその表情がデフォルトになっているようだった。
「良いぞ。出せ」
日本人の男の指示で、ハイエースが走り出す。寝静まった街を漆黒の車体が滑っていく。
男達の会話は英語で繰り広げられた。大和は言語を読み取るゴーグルを装着していないので、会話が理解できない。だが、雰囲気からして深刻さは無かった。時折笑いすら漏れる。
「お前が『ヤマト・アストラル』なのか」
日本人の男がふいに話し掛けて来る。
「はい、そうです。もう知っているんでしょう」
「ああ。ボスから聞いている。大よそ分析通りだったな」
「分析?」
「そうだ。グラウンド・オルタナスでの行動・言葉遣い・性格から、AIで現実世界の人格を推量するんだよ。よほど訓練を積んでいなければ隠し切れない。お前の場合変化は全く無かった。つまり元の人格で過ごしていたということだ」
「……僕はこの後何処へ。母は、母は無事なんですか」
今大和には自分の話も男達がどういった組織なのかも興味が無かった。礼子はどんな状況なのか。安全なのか。それだけが重要だった。
「そうだったな。今から説明してやる。お前が察しているように、お前の母ちゃんはある組織に拉致された。詳細はまだ不明だが、恐らく夕方頃だ。
現在はまだその組織に捕まっている。それでその組織を俺達の仲間が追跡している」
まだ母は危険な状況下に居る。そう思うと大和の動悸は激しくなった。
「母は何処に居るんですか」
「安心しろ、危害は加えられていないみたいだ。まあ本人は気が気じゃないだろうがな。場所は沖縄。敵さんは自家用ジェットでお前の母ちゃんを運んだ。それが誰かと言われると、そうだな、「とある国』としか答えられんな」
「とある国? 日本じゃないんですか」
「違う。……ああ、山形とかいう刑事か? そうだよ、アイツも組織の一員だ」
「でも日本じゃない……」
「そうだ。工作員なんてそんなもんだろ。韓国人が北朝鮮の工作員として韓国から情報を流してたって話くらい聞いたことあるだろ。大体だ、今周りを見てみろよ。なら俺達は何処の国の組織なんだって話だろ」
周囲からの男達は少しも笑っていなかった。
「貴方達は何処の組織なんですか」
「はっ。言う訳ねえだろ。自分で考えろ。まあ当たりゃしないだろうがな」
「……。1つ疑問があるんですけど良いですか?」
「良いだろう。悪人の中でも俺は寛容な方だ。言ってみろ」
「何故母さんが拉致されたってすぐに分かったんですか」
男のニヤつきが大きくなる。
「そりゃあ前々からお前を監視してたから、だろ」
「何の為に」
男の声が一気に低くなる。
「そりゃあ何かあったらすぐに殺せるように、だろ」
大和の心中は乱れていた。突然起きた拉致事件に。突然現れた謎の組織。それもその組織は、相手と同等以上に危険な香りを漂わせている。これでは礼子を救出して貰った後、穏便に済むかどうか――。
「深く考えるな、お前だけじゃない。向こうの世界で戦っても勝てないから現実世界で圧を掛けようってな。こりゃ今後世界は荒れるぜえ」
男は意気揚々としている。
大和は仲間を心配していた。皆は大丈夫なのか。エリザは、ギランは、ウォードは。彼らの現実の生活は守られているのだろうか。大和は彼らが何処に住んでいるか知らないが、国の力を使えばすぐに見つかるのではないか。
「母を、無事に取り返して貰えますか」
「ああ。お前の母ちゃんは俺達にとって無益だが、お前の母ちゃんを大切にしているお前は俺達にとって有益だ。どんな手段を使ってでも助けてみせるさ――。なにせ俺達は犯罪のプロだからな」
平然と言う男が頼もしいと同時に恐ろしい。この男達が敵に回る可能性も、大いにあるのだ。
「お前は大船に乗ったつもりでじっとしてりゃあいい」
男と話している間に、車は高速に乗っていた。西日本方面に進んでいる。
何処に行くのか尋ねると、男はすんなり「大阪だ」と答えた。隠すつもりはないようだった。
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