第37話 皇との訓練

 皐月との食事会から数日後。

 俺と皇は今、道場で木刀を持って構えている。。


 なぜこんなことになっているのか?

 事の経緯は、少し前に遡ることになる──


 俺は風呂上りに全裸で牛乳を飲んでいた。

 マイスイートドリンクだ。やはり牛乳は良い。

 甘くて美味しい。それにカルシウムも摂れる。


「っか~! たまんねえな、おい!」


 牛乳を完飲し、まるでオッサンのようなセリフが出る。

 ま、ほんとはオレンジジュースが好きなんですけどね。

 はいはい手のひらドリル手のひらドリル。


 服を着てドライヤーで髪を乾かしていると、スマホに着信があった。


 その相手は、皇 大我。まさか電話がかかってくるとは思っていなかった俺は、少し驚きながらも電話にでる。一体、どんな要件なのだろうか。


「……もしもし」

「あ、東雲さん! こんばんは! 今お時間大丈夫ですか?」

「ああ。風呂から上がって髪も乾かしたからな。で、要件は?」


 一瞬の沈黙。


 きっと、どう言うべきか悩み、あれこれ考えているんだろう。

 何を言うつもりなのか、皆目見当もつかないため放置。


 ちなみに、皇に指摘されて敬語はやめることにしたんだ。


 皇はようやく決心したかのように深呼吸したあと、言った。


「僕に稽古をつけてください!」

「いやだ、断る」

「即答ッ!?」


 電話の向こうから思いっきり落胆し、盛大に溜息を吐いているのがわかる。


「そうですか。でもまぁ、そうですよね。僕みたな半端者が稽古をつけてもらったとしても、どうせ使いこなせる気がしないし……」


 その卑屈っぷりに、俺は自分自身のことを連想してしまった。


 なるほど。リスナーの煽りが面白くてネタ半分でやってただけだけど、こうも鬱陶しいならこれからは気をつけよう。


 なんせ、カルシウムをたっぷり摂った俺に死角はないッ!


「やっぱり良いぞ。その相談、乗ってやる。ただし、週に一回だけだ」

「本当ですか!?」


 皇はキラキラとした声で嬉しそうにそう言ってくる。


 それから日時や場所の打ち合わせをして、通話は終了した。


「しかし、早速明日か……ふあ~あ、めんどくせ」


 俺はベッドに身を預けると、そのまま微睡の中に落ちていった。


 目を覚ますと、時刻は既に翌日の朝10時。約束していたのは11時だから、急がないとまずい。俺は準備もそこそこに、外へ出て鍵を閉めると、マンション5階から跳躍した・・・・・・・・・・


 そのまま猫のようにくるくると回り、ちょうどあった一軒家の屋根に回転して着地。

 衝撃も痛みもなかった。そしてまた走りだす。


「ままー、あれなぁに?」

「しっ、見ちゃ駄目よ!」


 屋根の上をつぎつぎと飛び移りながら走っているからなのか、子供にまで変な人を見る目をされてしまった。べ、別に気にしてないんだけどねっ!


 それから俺たちが合流したのは、かなりギリギリだった。

 でもそんなものよりビックリするものが、俺の目の前に広がってた。


 大豪邸だ。


「ささっ、東雲さん、あがってください」

「ああ、おう、お……お邪魔します」


 屋敷の中に入ると、たくさんの給仕さん達が出迎えてくれた。


「「「お帰りなさいせ、おぼっちゃま」」」

「お、おお、おぼっちゃま!?」


 慌てて隣にいる皇を見ると、気恥ずかしそうに頬を掻いた。


「ええ、まぁ一応は……」

「へぇ、皇って凄い奴だったんだな」

「そんなことないですよ。頑張っているのは両親や給仕さんであって、僕自身はなにもできてないですからね……」


 若干微妙な空気になってしまった辺りを紛らわすべく、皇は手をパンと叩いて合図を鳴らした。途端にどこかへ移動していく給仕さんたち。

 俺は皇に先導されるままに、ある部屋に通された。


 適当に座るよう促されたので、近くにあった座布団に座った。


 それから程なくして、給仕さんがお茶と茶菓子を持ってきてくれた。

 俺と皇が口々に感謝を告げると、給仕さんは綺麗なお辞儀をしながら去っていった。


「……っ!? この茶、美味いな」

「でしょう、良い茶葉が手に入ったので、最近はもっぱらこれなんですよ」


 気まずい。何か、何かを喋らなければ……。


「あの──」

「えっと──」


 最悪だ。喋るタイミングが被ってしまった。


「どうぞどうぞ」

「や、俺の話なんてつまらんもんだから」

「そ、そうですか? では……どうして東雲さんは、そんなに強いんですか?

「それはないよ、俺より遥かに強い人がいるんだ」

「東雲さんより、強い人……!?」


 皇は驚きに目を真ん丸に開く。


「ああ、俺の師匠だった人だ」


 俺は胸元からロケットを取り出ししばしの間見つめる

 紫色の長髪をした、艶やかな女性だ。女性はこちらに向かって柔らかい笑顔を浮かべている。彼女はもう、この世にはいない。デスペラード・パレード殺戮者の行進と言われる日本でもっと悲惨な結果をもたらしたスタンピードの中で、俺を庇って死んだのだ。


 この後悔は、いつになっても消えない。


 もしあの時俺が強ければ。

 もしあの時俺に度胸があれば。

 もしあの時俺がすぐに逃げ出すことができていたら。


 頭の中では分かっている。いくら悔やんでも、彼女はもう戻ってないのだと。

全てを察した皇は、優しい表情で一言。


「……大切なひとだったんですね」

「……ああ」


 俺にとって彼女は、家族と同等──いや、それ以上に大切な相手だったんだろう。

 余計な慰めをしてこなかった皇に、俺は感謝した。


 パチンと音を立ててロケットをしまうと、皇の方を見る。


「それじゃあ、やるか」

「はい、お願いします!」


 そして話は冒頭に戻る。

 さっきの部屋から移動した道場は広く、大勢の観客が俺と皇……いや、特にほとんどの者が皇の方を注視している。

 さらにその先頭には、ワインレッドのスーツを着た初老の男性が俺を見ていた。

 目が合うと、ニコリと微笑んでくれる。恐らく、皇の父だろう。


 俺は軽く会釈を返し、腕をぐるぐると回した。

 もうウォーミングアップは済んでいるが、最後の仕上げというやつだ。


 審判の執事が,赤い旗を掲げる。


 静まりかえる道場。誰かが唾をのみ込む音が聞こえるほどの極限の集中。



 そして──


「始めッ!」


 傍が振り下ろされた瞬間に、皇が俺の前まで長接近していた。

 猫のように身を低くして走ることで、相手の認識を崩す戦法だろう。

 悪くはない。だが、同じような攻撃を過去に受けたことがあるからな。


 それに、今回の得物は槍じゃない。木刀だ。

 ならばと宙返りをしながら皇の背後に周りこむ。


「な……ッ!?」

「リーチの短い武器を持っていると、こうやって裏をかかれることもあるんだ。気をつけな」


 顎を強かに打ち付けられた皇は少しよろめくが、まだその目から闘志の炎は消え去っていない。


「はああああああああっ!!」


 皇は右へ薙ぎ払う。だがそれはフェイント。

 手で木刀を弾き返すと、その勢いを利用で次は回転切り。ジャンプして攻撃を回避したところに、突きを放ってくる。が、これに木刀の切っ先を合わせていなし、その軌道を変える。


「うん。動き事態は悪くない。けど、余計な力がはいりすぎてるな。もっとリラックスするんだ。リラックス」


「なんということだ……」

「あの坊ちゃんが、苦戦なされている……?」

「それよりも、あの男の動きの方が恐ろしい」

「まさか、魔法で身体強化を?」

「いや、彼は魔法を使ってはいないようだ」


 皇は何度も打ちのめされ、全身に青い痣ができている。

 相当痛むだろう。だというのに、皇は先程までと同じ勢いでこちらへ向かってくる。


「そろそろやめにしたらどうだ?」

「嫌だ……僕は絶対に諦めない! 僕は……は大切な人を守れるような自分になるんだあああッ!!


 途端、皇の体が白い光に包まれていく。ああ、この光景は見たことがあるな。


 懐かしいな。俺も師匠が魔物に殺されそうになったとき、絶対に勝てないとわかっていながらも怒りのままに突進した結果、目覚めた・・・・のだ。


 やがて光が晴れていくと、そこには相変わらず満身創痍の皇が立っていた。

 だが、感じられる圧は先程とは比べ物にならないくらい成長している。


 一体、何がここまで彼の覚悟を高めているんだろう。


 だが、今は気にしている場合じゃない。

 大上段の振り下ろし、腹を狙った突き、首筋への的確な打撃。

 避けきれず、防御も間に合わないことがある怒涛 の攻撃。


 俺の体も、着実にダメージを受け始めていた。

 このまま長期戦を続けるのは億劫だ。


 だから俺は、ギア・・を上げることにした。

 途端、全身の血管がドクンと動き、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


 苦しいが、大丈夫。我慢できる範疇だ。

 それにこうなった以上、今の皇は──敵にもならない。


 俺は攻撃の嵐を完璧な歩調、歩幅で避けながら皇に近付き、木刀を無造作に振るった。


 コン、と軽い音がして木刀が落ち、皇の首先に俺の木刀が突きつけられ、皇がしゃがみ込むと、道場が歓声に包まれた。


 見れば、皇の父も拍手してくれている。

 だが諸君、忘れないで欲しい。俺は重度のコミュ障キャなのだということを。


 そりゃあ、慣れている相手とか小さい子どもには普通に話せるが、他の人物……とくに大人は苦手なのだ。そこで俺はそろりと皇の方へと戻り、ポーションを彼の前に置いた。


「え? 東雲さん、これは……?」

「迷惑料だ。あとの場は頼んだ」

「え、あ、ちょっと!」

「?」


 呼び止められ一瞬だけ振り返る。


「また、僕と手合わしてくれませんか?」


 俺は参ったなといわんばかりに頬を掻いて、答えた。


「ああ、いいぞ。たまになら付き合ってやる」

「ありがとうございます!!」


 そこには、満足したような表情の皇の笑顔があった。

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