【今日も今日とて】

空川陽樹

【今日も今日とて】①

3月にしては暖かい風が吹いている。私は『かも川』の河川敷に座っている。澄んだ空気にラッパの音が響く。私はゆっくりと瞳を閉じる。

 

 

 

昨日、私は京都に降り立った。高校時代の友人と1年ぶりに再会するためである。

京都駅周辺は混み合うため、稲荷駅で合流することになっていた。稲荷駅を出た私は三重に驚く。まず、人の多さである。平日にも関わらず、異常な人で溢れていた。次に、駅を出た瞬間に目に入る、巨大な鳥居である。私はその荘厳さに、京都を実感する。そして、聞こえてくる言語である。少し耳をそばだてると、英語はもちろん、聞き取れない言語もいくつか飛び込んでくる。

私は以前にもこの伏見稲荷大社を訪れたことがあった。しかし今感じるのは、懐かしさや安心感ではなく、何とも言い表せぬ違和感であった。


しばらくすると電話がかかってきた。彼からだ。電話で少し声を聞いただけでも、なぜか安堵が染み渡る。

電話を切り、ここでは人が多すぎるため、少し離れた市街地へと向かう。しかし、私は不慣れな街で焦り、彼も思いがけぬ渋滞に巻き込まれたこともあり、行き違いが生じた。結局、元の伏見稲荷で待ち合わせることに決め、何とか合流できた。私を見つけ、向こうから彼が駆けてくる。もちろん、髪型や服装など、変化した部分もあるが、彼を包む優しい雰囲気は私の記憶通りで、心が落ち着く。


伏見稲荷を一周した後、彼の運転で様々な所に行った。一応私も免許は持っていたが、運転をするには少なくともヘルメットや胸部プロテクターなどが必須である。故に、彼に頼る他なかった。彼の車は、優しさという燃料と、安定感という車輪で走っていた。おかげで、非常に快適で、円滑な旅路となった。嵐山で食べ歩きをし、龍安寺で石庭の侘び寂びに浸り、貴船神社へと向かう。


道中、ふと、カーナビに表示された文字に違和感を覚える。『賀茂川』。私の知っている『鴨川』とは、少し異なっている。友人に尋ねるが、彼もまた知らないらしい。気になり、検索してみると、上流を賀茂川、下流を鴨川と云うらしい。なるほど。まるで私たちのようではないか。近いうちに、私たちは大人というラベルを貼られる。しかし、それはただの呼称に過ぎない。つまり、それは実体を伴うわけではないのである。

私たちは依然として、この川のようにただ流れゆくのみである。どこかで急激に変わることはなく、ゆっくりと様々な経験を通して、いわゆる大人というものに近づいてゆく。にも関わらず、賀茂川と鴨川の分岐点のように、私たちにも境界が訪れる。きっとそれは、そう遠くない未来のことなのだろうが、やはりまだ実感は湧かない。


気づけば貴船神社が近づいていた。細い道を進んでゆく彼の丁寧な運転は、私に安心感を与えると同時に、彼との間に少し距離を感じさせる。きっと彼はもう、境界に臆することなく、流れ過ぎたのだろう。私はそう悟る。若干の、羨ましさと焦り。私の水流は、少し濁っている。


貴船神社には、水占みくじという一風変わったものがあった。普段は神など信じない私であるが、興味には勝てはしない。2人で息を揃え、水に浮かべる。途端、


「旅行:乗り物に注意」


水に浮かぶ文字は、不吉な予言を示していた。文字通り、楽しい旅行に水を差したのである。


その後、美味しい和物の定食を食べ、綺麗な夜景の見える場所へ連れて行ってくれたが、私の不安は幸いなことに裏切られ、何事もなくドライブは終わった。

彼は借りていたレンタカーを返す前に、私を彼の家まで先に送り届けてくれた。彼は、「車を返した後は自転車に乗って帰って来るから、そうしたら銭湯に行こう」と告げ、車を発進させる。彼の部屋で待っている間、安心すると共に、疲労が姿を露わにした。しかし、私以上に彼の方が疲れていることは明白である。一日中運転をしてくれたのだから。しかし、そんな様子を見せない彼は、きっともう大人という河川を流れているのだろう。彼には感謝しかない。

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