【伺い】ブラックギルドのノンキャリ小役人がキャリア女剣士を激詰めしてよろしいか。
秋穂藍
プロローグ 夜の帳と燻る火種
『ぐぉぉぉぉぉぉぉー!』
手負いの暗黒竜が咆哮を上げて一回転すると、硬い鱗で覆われた尾が広範囲を薙ぎ払う。
尾の軌道を見定め、後方に飛び上がって躱す。
『うわぁーー!』
自分も含めて5人中4人は難を逃れたが、尾が後衛のヒーラーに掠る。
『大丈夫か』
もう一人の後衛の魔法使いがヒーラーに駆け寄る。
『だめだ。右腕の傷が深い。回復魔法が無いとジリ貧だ。ヨシノ、右腕の回復を頼む』
魔法使いが叫ぶ。
『ヨシノ抜きでは前衛が持たねえ。命に別状無いなら、速攻で竜を倒す方が早え。あと一歩だ。ヨシノ、俺が気を引くから大技で決めろ』
左の戦士が盾を構えながら言い返す。
『ヨシノ、大技じゃだめだ。竜の素材に傷がつく。最悪依頼が未達になるぞ。ただでさえここに辿り着くまでにアイテムの消費が多すぎる。赤字だ。足を削りながら倒して、首や尻尾は原形を残しておかないと」
右の斥候も珍しく大声を出す。
『ヨシノ!』
4人の呼び声が重なる。
『ぐぉぉぉぉぉぉぉー!』
再度、暗黒竜の咆哮が洞窟内に反響する。
目を開けると見慣れた天井だ。
薄手の布団にもかかわらず、全身が汗で濡れている。
一人であることに安堵しつつも、同時に寂しさを覚える。
「夢か……」
大学2年生時のパーティメンバーと久しぶりの再会だ。
他の皆は卒業後に何をしているだろう。
私とは違って冒険者を継続しているのだろうか。
「ぐぅおおおー、うぉぉー」
静寂を切り裂くように、遠くで何かの叫び声がする。
一瞬、夢と現の境目が曖昧になる。しかし、竜の咆哮とは似ても似つかない甲高い鳴き声だ。
シルバーウルフが町中に紛れ込んでしまったのか。
それとも近くの森の音が澄んだ空気を伝わってきたのか。
時計を見るとまだ夜の11時。しかし寝付けそうにもない。
明日は土曜日、明後日の日曜日に特に予定はない。
週明けの月曜日も新しい職場に挨拶に行くだけだ。
今夜は多少の夜更かしをしても、支障は無い。
昂ぶった気持ちを沈めるために少し鍛錬をしよう。
無心で剣を振りたい気分だが、さすがに近所迷惑なので、魔法が無難か。
胡座をかいて、両手を胸の前で合わせる。魔力を集中させると、掌から穏やかな魔力の流れを感じる。
「ぐぅおおおー、うぉぉー」
再度の叫び声に、一瞬、心がかき乱される。
目を閉じて視覚を遮断し、再度魔力の循環に没頭する。
−−−−−−−−−−−−−−−−
「ぐぅおおおー、うぉぉー」
どこかで獣の鳴き声がする。
うるさい。
集中させてくれ。
「くそ、数字が合わない」
俺はギルド支部から提出された書類を机に放り投げる。
「各週の新規の冒険者登録者数と1か月の合計人数が全く合わない」
おそらくどちらかにミスがある。しかし今日は金曜日。支部に確認できるのは、週明けになってしまう。
時計を見ると11時を回っている。
華金などという言葉は既に死語として広まっているものの、やはり金曜の夜はみんなが色めき立つ。
家族の待つ自宅に帰る者、颯爽と合コンに繰り出す者、彼氏彼女との逢瀬に赴く者。
彼ら彼女らを見送って、羨む気持ちが皆無ではないが、俺はその分残業代を稼がせてもらう。俺には金が必要だ。
まあ、家庭に居場所がない上司に誘われて飲みに行く者には同情を禁じえない。
そうやって強がってみたものの、やはり金曜日の深夜は仕事に適した時間帯ではない。
一週間の疲労とストレスも限界に近い。
最終の馬車の時間まではあと30分。
終馬車では家に帰るぞ。
そもそも各支部の数字の取りまとめは、担当業務ごとに各課がやれば良いんだ。効率化の名目で、接点の多い当課に押し付けられている事自体がおかしい。
とはいえ、今からデマケ(注:省庁や課といった組織ごとの役割分担)を協議する時間もないし、前例を覆す理屈も見当たらない。
俺は諦めてギルド支部に向けた問合せ用紙の準備に取り掛かる。
冒険者登録者数の数字の整合性の確認と、再度の精査を依頼する。
最後に『至急』と大きく右上に記す。
魔導通信で今夜中に支部に投げておけば、月曜朝一で確認してくれるだろう。
この支部には厄介事も多いが、窓口担当者自体は悪い人間では無い。直接の面識は無いが、魔導通信の文面から滲み出る人の良さがある。
予算要求用に、支部のセクハラやパワハラの内部処分の件数は提出した。
週明けの定例会議で使用する業務報告資料の印刷済みで、月曜朝に配布だ。
第2四半期の予算執行計画の取りまとめは課長に確認してもらう必要がある。
行政文書の存在の自己点検は終わった。
先月の支部ギルド統合報告書はこの支部の冒険者登録者数が確認できれば提出できる。
昨年度の政策評価書の原案の作成は残っているが、ひとまず締切が近いものには目処がついた。
「ぐぅおおおー、うぉぉー」
またどこかで獣の鳴き声がする。
終業のチャイムということにする。
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