第5話 エドガーは推せる
「今日は行商が来たらしいな」
「あぁ、はい」
お散歩から帰ったら、部屋にドレスやら宝石やらが沢山運ばれていてギョッとした。
しかも、「この中から好きな物をおとりください」とか髭のおじさんに言われて、アレやコレや薦められてかなりひいた。どう見ても高そうなドレスに、偽物には見えない宝石の数々。すでにドレスや宝石は、衣装部屋とやらに沢山用意されていて、着てない物の方が多いのに、さらに買う意味がわからない。
エマはいらないと言ったのだが、アンに最低限(すでにいっぱいあるのに?)のドレスとそれに合う宝石やアクセサリーは大事だと言われ、アンに適当に選んでもらった。他にもエマの下着や化粧品なども買っていたようで、その中でエマが選んだのはたった一着。着やすそうなシャツとズボンだった。
もちろん、運動する為にである。
「やっぱり買い過ぎだったかな」
「いや、全部買い取るつもりで呼んだんだから、少ないくらいだ」
エドガーは綺麗な所作で食事を取りながら、そら恐ろしいことをサラッと言う。貴族の金銭感覚って恐ろしい。
夫婦になったとはいえ、寝室も別にしているから、そんなに頻繁にエドガーに会えるわけじゃない。朝はエドガーの方が早く、帰りは深夜になることもあるようだから、夕食を一緒にとれたのもほんの数回だ。今日はそんな数少ない一日である。
「何か困ったことはないか?」
毎回会うと、困ってないか?足りない物はないかと、エドガーは聞いてくれる。その気遣いは嬉しいが、ただの無駄飯食いとしては、ああだこうだ文句は言える立場にない。文句自体もないのだが、あえて言うなら、エドガーの躍動する筋肉を愛でたい。お仕事するカッコイイエドガーが見たい。もう少しエドガーと話をする時間が欲しい。
……なんて、言える訳がない。
「特にないかな」
この世界で初めてエマの居場所を提供してくれたエドガー。推せる筋肉を持ち、硬派な厳つい顔立ちもエマのタイプのド真ん中で、しかもエドガーのことを話す領民は皆がエドガーを素晴らしい領主だと称えるくらい人格的にも素敵な人だ。
そんな人に気遣われ、話しかけられたりなんかしたら、そりゃ好きにもなってしまうだろう。
しかし!エマは自分を知っている。自分を貶めている訳でもなんでもなく、実際にエマは平民でしかも孤児らしいし、何よりも魔力なし(能無しは獣人を馬鹿にする言葉みたいなので使うのを止めた)だし、第三王子の元婚約者で婚約破棄された経歴を持つ傷物(経験のある無しは不明)だ。
王命でエドガーのお嫁さんにはなれたが、五年後の婚姻解消を目指されている名前だけの嫁である。
まさか、エドガーに好かれるなんて思っていないし、そんなのおこがましいって知っている。
なら、せつない片想いに身を焦がすよりも、この際楽しく推してしまえ!というのがエマの結論だった。
「そうか?エマは欲がないな。女子はたいていドレスや宝石を沢山欲しがると思っていたが……」
(それは、どこのどちら様でしょうかね!)
今までの彼女達を思い出しているのか、エドガーが思い出すような遠い目をする。
エドガーだって三十歳、今まで恋人の一人や二人……三人や四人……十人くらい?いたって不思議ではない。エマと結婚したということは、未婚ではあったんだろうが、年齢的に☓があってもおかしくはない。
「私は、そういうのはあまり。堅苦しいドレスよりも、動きやすい格好のが好きだし、宝石は落としたらって思うと気が気じゃないから、できるだけつけたくない」
「そうか。辺境は王都ほど娯楽が多くないから、買い物くらいしかすることがないかと……。いや、もちろん自然は厳しいが美しく、けして悪い場所ではないんだが」
エマは小さくため息を漏らした。
(誰だよ?!エドガーさんにくだらないこと言って散財させた馬鹿は。そんな物欲の権化みたいな女と一緒にされたくないんだけど)
「やはり、若いエマには辺境は苦痛でしかないか?」
エマのため息を悪い意味で受け取ったのか、エドガーは強面の顔をシュンとさせた。
(何それ!ギャップ可愛いんだけど)
「逆です。どっちかというと、ゴチャゴチャした場所は苦手なんです。女子がみんなウィンドウショッピングが好きで、トレンドを追いかけてる訳じゃないから」
「そうなのか?」
「そうなの!全く、エドガーさんはどんな物欲の塊みたいな女とばかり付き合ってきたんですか?エドガーさんのお金は領民の税金でしょ?無駄遣いは駄目」
無駄飯食いが何を言うって感じだけど、そこは棚の上に思い切り放り投げとく。
(今は無駄飯食いだけど、騎士団に入ったら、バリバリ働いて役に立つからね)
エマは入団テストに受かる気満々である。形ばかりのとはいえ、一応辺境伯夫人であるという自覚は皆無だった。
辺境伯夫人には辺境伯夫人の仕事が本来あるのだが、エドガーもそんなものをエマに求めてないし、エマは端からそれに思い当たってすらいない。行商からドレス類を購入する時、アンが必要最低限のドレスや宝石が必要だと言ったのは、辺境伯夫人として社交する上で……という枕詞がつくし、辺境伯夫人の衣装代は無駄遣いではなく必要経費であることを、この時のエマは知る由もなかった。
ただ無知から出た言葉だったのだが、エドガーはそれを違った風に受け取った。
エマの噂は辺境にも届いており、貴賤を問わずに聖女エマは誰にでもその聖なる魔法を惜しみなく使ったと言われていた。それこそ、魔力が枯渇するギリギリまで人を助け続けた為、最上位魔法である蘇生が使えるようになった……慈愛の聖女。
実際はただの噂で、ただたんに痛がり怖がりが酷過ぎるだけで、「イヤーッ痛そう!」と魔法を使いまくっていただけだし、今目の前いるのはエマの姿をした脳筋少女キララなのだが、そんなことを知らないエドガーは、さすが慈愛の聖女とひたすら感心する。
辺境伯家の根本的な財政の振り分けを考え直し、領民主体な体制にするべきだと言われたんだと……エドガーは壮大な勘違いをした。
「そうか……いや、確かにそうかもしれんな」
「そうだよ。私のドレスや宝石なんか買うお金があるなら、第二鍛錬場をもっと整備したり、設備を整えたりした方がいいよ」
(いずれ私が使うかもしれないしさ)
「第二?エマは第二鍛錬場を知っているのか?」
「ちょっと散歩で見ただけ」
エドガーの眉が寄り、厳しい顔がより厳つくなる。
「うちの規律は厳しく、婦女子に良からぬことをする団員はいないとは思いたいが、どんな集団にもはみ出し者はいる。特に騎士団に入るような奴等は、血の気が多い奴が多くて……。騎士団は女子が少ないこともあるからな、騎士団の寮や鍛錬場にはあまり近づかない方がいい」
「了解です、善処します」
近づかないどころか、入団するつもりのエマは、良い笑顔で適当に返事をする。
「まぁ、気をつけてくれれば良い。さて、食事も終わったし、部屋まで送ろう」
「もう迷わないですってば」
屋敷に来てすぐ、エマは屋敷で遭難しかけたことがあった。
アンがちょっと目を離した隙に、エマは屋敷探検をしに一人で部屋を抜け出してしまい、五時間屋敷をさ迷ったのだ。最初は迷路のような屋敷の作りにワクワクしていたが、次第に方向感覚がわからなくなり、はめ殺しの窓は外が見えても出れないし、外だと思って開けた扉が次の部屋だったりと、さすがに最後は半泣き状態でアンの名前を叫ぶ……という醜態をさらした。
そのおかげで、大分屋敷の造りを理解する手助けにはなったのだが。
「ハハハ、できれば次は俺の名前を叫んでくれよ。すぐに迎えに行くから」
「もう!迷子になんかなりません」
さすが貴族、エスコートの姿勢もきまっていて、エマは差し出されたエドガーの腕を力いっぱいベチンッと叩くと、そっぽを向きながらその腕を取って部屋へ戻った。
エスコートに対する照れ隠しなのはエドガーもわかっているようで、いつもはキリッと引き締まった目元も少し柔らかくなる。
エドガーにとって、気安く話しかけてくるのは、他に家族がいない今になってはエマだけだった。
二十歳の時に大スタンピードが発生し、魔獣討伐に行った前辺境伯、エドガーの父親が死亡した。
エドガーもその時に顔面を負傷、魔獣の爪痕が二本、醜い傷として残ってしまった。毒があった為にエドガー自身も死にかけたが、王都に緊急搬送され、その時治療院で働いていた治療士が魔力が枯渇する寸前まで治癒魔法をかけてくれて、なんとか生還できたのだが……。
母親はその傷跡を見ると夫の死を思い出すし、夫のいない辺境の生活にはもう耐えられないと辺境の地を捨てて実家に帰ってしまった。
それを見たエドガーの婚約者も、そんな醜い傷跡のある夫は嫌だ、辺境にもウンザリだと、まるでエドガーに非があるかのように責め立て、さっさと婚約破棄して子爵家に戻ってしまった。エドガーにプレゼントさせた宝石やドレスを全て持って。
母親にも婚約者にも捨てられたエドガーは、大スタンピードで荒れた辺境の立て直しと、二度と同じことが起きないようにと、騎士団の再編成などに尽力した。
気がつけば婚期を逃した三十歳、周りには部下はいるが、楽しく会話する友人も恋人もいなかった。
そんなエドガーに王命によりあてがわれた妻は、エドガーの傷跡を見てもひきつけを起こすことなく笑顔を向けてくれ、エドガーのことを恐れることもない。
辛い思いをしてきた筈なのに、そんな悲壮さは微塵もなく、快活で表情がクルクル動いてまるで仔リスのような少女だった。
(第三王子は、よくこんなに愛らしい娘を手放せたものだな)
エドガーはエマに歩幅を合わせてゆっくり歩いているようで、本当はできるだけ長くエマの話すのを聞いていたくて、ゆっくりと部屋に向かっていた。肘に添えられた手に手を重ねたい衝動に駆られながら、彼女は五年後にはここを出て行く人間だと、自分に言い聞かせる。
まさか、十も年下の少女をこんなに好ましいと思うとは思いもしなかった。
だからこそ、五年後ちゃんと手放してあげなければと、エドガーは自分の欲を抑え込んだ。
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