第95話 異常が常識が塗り替えた時

「がは……っ!?」


 血飛沫がわずかに舞い、甲高い嗄声させいが上がる。

 カエルの鋭い舌が胸を容赦なく貫いた事によって。


 あろう事か、つくしをかばった遥の胸を。


「ふ、ふふ……ギリギリセーフ、でしたわ、ね」

「あ、ああ、遥なんでえ!?」


 遥が寸前でつくしを突き飛ばしたのだ。

 そしてその身代わりとなってしまった。


「がふっ!?」

「は、遥ーーーっ!!!」

「よ、良かった」

「――え!?」

「あなたが無事で本当に良かった……わたくしの、親友……」

「遥……」


 しかしこの時、遥はなぜか笑っていた。

 一切曇らない澄んだ笑顔を、つくしに向ける事もなく。


 それでいてその手がとカエルの舌や腕を掴んでいて。


「ゴゴゴッゲェ!?」

「無粋なお前は、このままで、よろしくてよ……!」


 そのせいでカエルも離れられずにいる。

 それだけ遥の力も強いのか……軒下で鍛えたから。


 だけどいくら鍛えていたって胸を貫かれれば死ぬ。

 そこにはレベルも何も関係無い。

 だからこのままでは遥は……!


「でも遥ぁ!!!」

「ふふ、嬉しい」

「な、何を言って……」

「そうやって心配、してくれたのは、あなた達と、お父さまくらい、だったから」

「そんなのっ! 心配くらいするよ! だってあたし達はあっ!!」

「そう言ってくれる、あなただからこそ、わたくしも素直に、やっと心から、素直に礼が言える」

「う、うう~~~!」

「あ、ああ、つくし、わたくしの友達に、なってくれて、ありがとう……!」


 どうしてそんな事を今言うんだ。なぜっ!?

 蘇生魔法があるからここでお別れって事でもないだろうに!


 くっ、こうなったらカエルを強引に引き離してやるッ!


「待っていろ遥! 今すぐコイツを引き離す!」

「……いいえぇ、このままで、いいのですわぁ~……」

「なっ!? 何を言って!?」


 でも遥がなぜか俺を止めた。


 すると遥が再び吐血し、カエルの体をも真っ赤に染める。

 肺を貫かれたんだ。ならこうやって喋る事さえ本来は叶わないだろうに!


 なのになぜ、どうして!?


「あ、あ、あは、あははは」

「え、は、遥……?」

「お前、何を笑って――」

「あはあははひひひキヒヒヒヒヒッ!!!」

「「「なッ!?」」」


 だがなんだ!? 何か様子がおかしい!

 さっきまでの澄んでいた笑顔が徐々に歪み、いびつな笑みに変わっていく!

 それどころか奇声のような笑い声まで上げ始めただと!?


「お、おっ、ごれでいいのでずわ! だっでえ、ごのガエルぢゃんわぁ、わだぐじが喰っぢゃうんでずものぉ!!!」


 しかもその途端、遥が舌を取っていた左手をズルリッと一気に喉へと押し込む。

 なんとカエルの口の中へと腕を突っ込んだのだ。


 そのせいでカエルが「キューキュー」と悲鳴を上げている。

 喉元を強引に締め付けられたから鳴く事さえできないんだ。


「あっはあああ!!!」

「ギィィィィィ!!!?」


 それどころか、遥が容赦なく奴の舌を引き抜いてしまった。

 そのせいでたちまち遥が青い血まみれに。


 でも彼女の鬼気はまだ収まと所を知らない!


「キュエエエエッ!!!」 

「ッ!?」


 直後、今度はなんと遥の右腕が肩から千切れ跳んでしまった。

 あまりも無造作に、唐突に、俺が反応さえする間も無く。


 だけど。


 この時誰よりも何よりも恐怖を感じていたのは、他でもないカエルだったのだ。

 奴が肥大化させた左腕で突いて吹き飛ばしたのにもかかわらず。


「ギ!? ギョエエエエエ!!!?」


 なのになんだ、何が起きている!?

 奴が突き出した左腕がそのまま動かない!?


 それどころか奴の左肩が膨れて――ひとりでに千切れ跳んだだとぉ!?


「あは、あははぁぁぁ! だめでずわぁ! そう暴れちゃあああ!!!」

「ギョ!? ギィィィィィ!!!??」


 そんな奴の左腕は、なぜか浮いていた。

 いや違う、遥の右肩にくっついている、のか……?


 待て、どういう事だ!?

 奴の取れた腕の根本が、皮がうねって、指みたいになっていくぞ!?


 しかもそんな指モドキがカエルの体をガシリと掴む。

 さらには舌を引き千切った左手もが、カエルを逃がさないと言わんがごとく。


 そして一気に走り込んだのだ。

 ダンジョンコアのすぐ傍、部屋の奥の壁へとまっしぐらに。


 たちまち壁に叩きつけられるカエル。

 その拍子に体全体でぶつかる遥。


 だがまだ様子が何か変だ。

 遥がそのままカエルに覆いかぶさって何かをしている。


「う、嘘でしょ」「そんな事って」

「どうしてここまでできるんだ……」


 でもすぐわかった。わかってしまった。

 遥が頭を跳ねるようにして上げた事によって。


 千切れた肉片が遥に咥えられたまま宙を跳ねていたのだ。

 青い血飛沫を荒々しく撒き散らしながらに。

 それも間も無く、ズルズルとその口の中へと飲み込まれていく。


 まぎれもなく、喰っているのだ。

 あのカエルを、生きたまま、何の抵抗もなく。


「ギョエエエエエ!!! ギィエエエエエ!!!」

「うわ、えっぐ……」

「もう見てられねぇよ!」

「なんなんだよアイツ……」


 もう意味がわからない。

 何が起きているのか理解できない。

 俺だけじゃなくつくしも先輩達も、匠美さん達でさえ立ち尽くすばかりで。


 その中でとうとうカエルの悲鳴が聞こえなくなった。

 遥の背に隠れたその先で、異常な事が起きているのだろう。


 俺達はその様子をただ眺める事しかできなかったのだ。

 止める事さえはばかれてしまうほどに一心不乱で、それでいてどう止めたらいいかもわからなかったから。


「お、おい見ろ、動きが止まったぞ」

「どうしたの……?」


 ……もう咀嚼音も止まった。

 そうなるとおそらく、のだろう。


 だったらどうなる遥?

 お前は一体、これからどう出るんだ……?


「ンッフゥゥゥゥ~~~……美味ですわぁ!!」

「「「ッ!?」」」


 その時上がったのは、以前と同じような嬌声。

 魔物肉を嗜んだ時によく上げる悦びの声だった。


 だったのだが。


 振り向いた彼女はもはや以前とは比べ物にならないくらいに酷かった。

 青い血やどこのかもわからない肉片にまみれていたのだから。


 それに下腹部が妊婦だと思えるほどにでっぷりと膨らんでいる。

 小さかったとはいえ、あのカエルを丸ごと喰ってしまえばそうもなるか。


 だけどそんな大量の肉や骨をも一気に喰えるなんて、とても普通じゃない……!


「ああ、あ、とても心地よいですわぁ。サイッコウの気分ですのよぉ~」

「そ、それはわかった。だから今は落ち着くんだ」

「いいえぇ、まだですわぁ」

「え?」

「まだまだ満たされませんのぉ! もっともっともぉ~~~っと食べたいですのぉ!」


 そしてそれでもまだ暴挙は止まらなかったのだ。

 なんと今度は、あろう事かダンジョンコアへと飛びついたのである。


 どこまでいくつもりなんだ、遥は!?

 常識なんてもうとっくに通用しないってのに……!

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