第十九話 女子会

 ジェサーレは、すぐに悪しき霧フェナリクのことを思い浮かべて、恐ろしくなってしまった。

 だから慌ててセダとジャナンを探すのだが、すぐ隣にいたはずなのに、見つけることができない。

 

「セダ! ジャナン! バイラムさん!」


 大きな声を出してみるが、皆の声は帰ってこない。それどころか、自分の足音さえ聞こえないことにも気が付いた。

 ジェサーレはいよいよ不安と恐怖に包まれて、他の皆の名前を泣くように叫びながら、ただ、模様のある床の上を右往左往するだけだった。


 一方その頃、セダはジャナンと向き合っていた。

 しかし、セダの目に映っているのは、いつもの白い毛並みが愛らしいジャナンではない。

 白いとんがり帽子に白いローブ、そして木霊こだまの国では珍しい長いマント。

 どこからどうみても、セダの目から見ても、目の前にいるのは魔女である。

 長く黒い髪の毛は三つ編みで、優しそうな瞳は青かった。


 セダは、その人物が鏡花きょうかの魔女ジャナンだとは、全く思わなかった。

 ジェサーレから聞いている限り、彼女は大変に勝ち気な性格で、マリクをこき使っているようなイメージだったから。


「こんにちは、セダちゃん」

「えーっと、初めまして? 魔女様?」

「うふふ。そんなにおびえなくてもいいのよ。いつも遊んでくれているようにしてくれれば」


 そう言われても、セダにはなんのことだかさっぱり分からない。

 向こうもそれを察したのか、ぱんっと手を合わせてにこやかに、そしておっとりと言う。


「あらあら、ごめんなさいねー。何の説明もしなかったら分からないわよね。私ったらおっちょこちょいなんだから」

「は、はぁ」

「私の名前はジャナン。今は鏡花の魔女って言った方が分かりやすいかしらね。犬のジャナンの中に住んでいるのよ。いつもありがとうね、セダちゃん」

「じゃじゃじゃじゃ、犬、犬……犬? 魔女で犬で住んでる? 犬のジャナンが魔女だったの?」


 濃霧の中で突然そのような告白をされたところで、セダに飲み込めるはずもなく、どうも理解が追い付いていないようだ。


「あらあら、混乱しちゃってるわねー。私はジャナンだけど、犬のジャナンとは別の生き物なの」

「はい、分かりました。魔女様」


 理解しているかは疑わしいが、ともかくセダははきはきとし始めた。


「それでね、私たち、月の魔女ヌライを〝杭〟で封印したでしょ。そしたらヌライったらね、何年かしたら勝手に出てきちゃって、それで慌てて杭を直しにいったらね、直すのはうまくいったんだけど、なんと! 私も犬に封印されちゃったのよー。面白いでしょー」

「はい、魔女様。……ええ!? その犬がもしかして」

「そうよ、ジェサーレちゃんがジャナンって名付けたワンちゃんのことよ」

「え? 犬のジャナンって、犬ですよね? 寿命とかないんですか?」

「そうよねー、不思議よねー。私が封印された影響を受けてしまったのかも知れないわね」


 もう二百年も三百年も前の話のはずで、セダは少なくとも、犬がそんなに長生きするという話は聞いたことがない。

 しかし、思い当たることはあった。目の前の鏡花の魔女ジャナンと、大灯台で出会った灯火ともしびの魔女イシクの存在だ。

 イシクは、ジャナンとマリクの話を、まるで実際に会ったことがあるように話していた。

 セダはあのとき疑問に思わなかったが、こうしてジャナンと話をしてみれば、魔女に寿命があるのかどうかという疑問に辿たどり着くものである。


「あの、魔女様、質問です」

「あ、いっけなーい。そろそろ時間になっちゃうから、残りの用事を済ませちゃうわね。質問は、また今度私が出てこれたときにでも受け付けるから」

「は、はい。大丈夫です。ところでどんな用事ですか?」

「簡単なことよー。少しの間だけじっとしててね」

「はい」

「では! 汝の魂の語りかけん。ピリリス・アンティシ。……むむむむむむむむー。はい、終わり―」


 ジャナンは難しそうな顔をしてセダに両手をかざし、呪文を唱えていたが、特に変化があったわけでもなく、セダはきょとんとするしかなかった。


「時間もないから、簡単に説明しちゃうわね。まず、あなたは月の魔女ヌライの子孫よ。そしてあなたの母親はヌライが化けた偽物で、本物の居場所は私には分からないわ」

「……は?」

「それからさっきのは、あなたの才能が開花するようかけた、ちょっとしたおまじないなの。お祈りみたいなものだから、必ず成功するわけじゃないのだけどね。マギサになれたらいいわね」

「ありがとうございます?」

「それじゃ、私はまた犬の中に戻らないといけないから、またね。今度会ったときはイシクちゃんと一緒に女子会しましょうね。……あ、そうそう、この霧だけどー、まどろみの賢者さんのちょっとしたいたずらだから問題ないわよ。そろそろ消えるしね」

「はい、あの、ありがとうございました」


 ジャナンが言った通り、じきに霧は晴れ、ジェサーレ、セダ、犬のジャナン、バイラムは霧が立ち込める前と寸分たがわぬ場所に現れた。


「あ!」


 霧の中ではあんなに怯えていたジェサーレも、戻った途端に何かを閃いたのか声を出し、ぽてぽてとバイラムに近寄って、セダとジャナンに手招きする。

 セダはジャナンをじっと見るが、ジャナンはやはりいつも通りのふわふわもこもことした毛並みの犬で、鏡花の魔女ジャナンの欠片も見えなかった。

 そうして、セダとジャナンがバイラムの近くまで戻ったところで、ジェサーレが「答えはイビキです」と得意満面な顔で答え、バイラムは「正解じゃ」と、こちらも嬉しそうに答えたのだった。しかし、「模様のある床の上で答えるように」とも言われてしまい、二人と一匹は少し恥ずかしい気分で先ほどの床の上に戻った。

 そうしてジェサーレがありったけの大きな声で「イビキ!」と答えると、他の杭と同じようにほんのり光る魔法陣がいくつも浮かび上がった。しかしその綺麗な魔法陣はジェサーレにしか見ることができず、ジェサーレは杭を観察しながら、セダやバイラムが見られないことを寂しくも思うのだった。


 そして、セダの頭の中には自分が月の魔女ヌライの子孫であるという事実が、その間ずっとこびりついてはなれなかった。



   *  *  *



「杭の管理を儂にやれだなんて、まったく冗談じゃないわい。そんな面倒なことは誰かに任せて、儂は昼寝を思う存分楽しむとするよ」

〔絶版・まどろみの賢者の独り言〕

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