木霊の国のジェサーレ
津多 時ロウ
第一部 第一章 旅立ち
第一話 弱虫ジェサーレ
「――二人だけで俺たちオオカミ盗賊団三十人に勝てると思っているのか! お前ら、やっちまいな!」
リーダーらしき男が命令すると、それまで取り囲むようにしていた盗賊たちが、一斉に二人に向けて剣を振り上げ、襲い掛かってくるではありませんか。
それでもマリクは
そうして残り半分ほどになり、マリクが肩で息をし始めた頃、ジャナンが大きな声で魔法の呪文を唱えました。
「炎よ
すると、ジャナンの頭の上に現れた何本もの炎の槍が盗賊たちにどんどん飛んでいき、ついにウチアーチ村を襲った盗賊団は降伏したのでした。
〔英雄王マリクの冒険・第3章より〕
「ジェサーレ、朝ご飯できたわよー。起きなさーい」
「うう、うーん。……起きなきゃ」
茶色いつぶらな瞳を手でこすりながら、ジェサーレはベッドからポテンと出て、大きく身体をのばした。
ジェサーレと呼ばれたこの十四歳の少年は、つい先ほどまでいい夢を見ていたようで、とても清々しい表情をしており、簡単な身支度を済ませると、すぐに家族が集う食卓に向かった。
「お父さん、お母さん、お姉ちゃん、おはよう」
ジェサーレが食卓にいた家族に朝の挨拶をすると、同じように爽やかな朝の挨拶が返ってきた。そして、鼻をクンクンと動かして辺りに漂う匂いを嗅ぐと、ジェサーレは途端に、その愛嬌のある顔を輝かせた。
「朝ご飯は僕の好きなスープだね」
ジェサーレは母の作る肉とひよこ豆のスープが大好きだった。隠し味に入れているという唐辛子で、ほんの少しだけ辛くなっているのがお気に入りだったのだ。
夢心地で椅子に座ると、母のシーラが魔法の呪文を唱え、指先から水を出して木のコップに注ぎ、ジェサーレの前に置く。
その様子をチラッと眺めた後、食いしん坊の少年はスプーンを使い、さも幸せそうに次々とスープを口の中に運び入れた。
「ジェサーレ、お前、またケンカに負けたんだってな。そんなんじゃマリクにはなれないぞ」
「あんたにケンカを吹っ掛ける馬鹿はどこのどいつだい? お姉ちゃんがとっちめてきてやるから、相手の名前を教えな」
しかし少年の小さな幸福は、父コライの、本人にしてみれば悪気の無い一言で壊され、続くお姉ちゃんの言葉では、胸がキュッと締め付けられた。
「メルテム、あなた女の子なんだからそんな乱暴なことをしちゃだめよ。それにあなたも。ジェサーレは気にしてるんだから」
母シーラに、お姉ちゃんは、はーい、と気の無い返事をし、父は気まずそうな表情になって、家族は食事を再開する。
本当はケンカではない。
ジェサーレはいつの頃からか同い年の悪ガキに目を付けられ、たまにいじめられていたのだ。最初はささいな子供のいたずらだったが、最近は殴る蹴るの暴力を振るわれるようになってきている。
だから、それを思い出すと胸が苦しくなってしまうのだ。
「ジェサーレはケンカなんかできなくても、今のままでいいのよ」
コライやメルテムがケンカの話をするたびに、シーラはそう言って慰め、それで少しはジェサーレの心も軽くなっていた。
途中で気分が落ち込んだ朝食も、ごちそうさまでしたと食べ終われば、ジェサーレは学校に行かなければならない。
自分のベッドに戻って姉からプレゼントされたカバンを肩から掛け、母に持たされたお弁当をその中にしまい込む。
そして、大きな鏡の前に立ち、羊のようにフワフワでモコモコしていて、耳が隠れる明るい茶色の髪の毛に寝ぐせがついてないか確認したら、出発の準備が完了するのだ。
ジェサーレが玄関を開けると、頭の上には真っ青な空が広がっていた。眩しさのあまり坂の下を見れば、真っ白な壁にカラフルな屋根の建物が並び、海の上には入道雲が浮かんでいる。
ここはアイナという名前の港町である。
海に向かって下っているこの町は、当然、坂が多く、丁度、坂のてっぺんと海との中間に少年とその家族は住んでいた。
ジェサーレが通う学校は、やや登ったところにあり、今度は視線を上にして歩き始める。足取りはやや重いがトボトボと歩いているわけではない。ジェサーレには登下校の楽しみがあるからだ。
「ジャナン!」
その楽しみはすぐにやってきた。ジェサーレが嬉しそうに声を掛けたのは、近所をねぐらにしている野良犬である。
その毛は白くて短いが、なぜか頭の毛だけはジェサーレのようにフワフワモコモコとしていて、おまけに目の上には眉毛のような模様まであるのだ。野良犬ではあるが、その愛嬌のある見た目と人懐っこい性格で、近所の住民から可愛がられ、それぞれが勝手に名前を付けている。
ジェサーレが付けた名前は、もちろん、彼の大好きな小説『英雄王マリクの冒険』の登場人物から拝借した。
ジャナンとは、主人公の英雄王マリクと一緒に各地を旅した
もっとも、鏡花の魔女のように、悪者を打ち倒せるような魔法を操ることが出来る人間の話をジェサーレは聞いたことがなく、普段の生活の中で少しの水やロウソクくらいの火を出したりすることができるくらいで、犬が魔法を使えるという話もなおさら聞いたことはない。
それでも、嬉しそうに近づいてくるジャナンに、ジェサーレは肩掛け鞄から取り出した干し肉を少し分け与える。すると、ジャナンはいっそう尻尾を振り回して干し肉に噛り付き、それを見たジェサーレは、なんだかとても嬉しい気持ちになるのだ。
「じゃあ、またね。学校から帰ったら遊ぼうね」
人間の言葉が分かるようにジャナンが「わん!」と返事をすれば、今日はとてもいい日になりそうな予感がしていた。
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