第34話 風邪

「ちょっとみんな集まって。」

氷見がクリエイティブチームのメンバーをミーティングルームに招集した。

輝星堂きせいどうの新しいコスメシリーズの広告の話があって、今回はまず企画の社内コンペからやることになりました。だからできるだけみんなに参加して欲しいの。」

“輝星堂”と聞いて、デザイナーたちの目の色が変わる。化粧品大手のキャンペーンは名を上げる絶好の機会だ。

水惟は洸のアシスタントとして何度か輝星堂の広告案件には関わったことがあり、よく褒めてもらえた得意分野だ。

「はい」

乾が手を挙げた。

「これって公平に審査されるんですか?社内コンペって人によっては超有利じゃないですか?」

それが暗に水惟のことを言っているのは、その場にいた全員がわかっていた。

———はぁ…

氷見はうんざりした表情で軽く溜息をいてから話し始めた。

「プレゼン力も見たいから名前を隠して審査することはできないけど…営業部からは鷺沼さぎぬま部長と橋本部長が審査に出るし、社長は最終決定したものを確認するだけだから。私も審査側に回るけど誰かを贔屓するなんてことは絶対にしない。信用できないならそれまでだけどね。」

蒼士と、蒼士の父で水惟の義父である社長が審査に参加しないことが明言された。

それでも“深山 水惟”が贔屓されないという保証はどこにもない。

「だいたいね、この業界はコネなんて珍しくないの。それでも本当に良い企画は選ばれる。みんなそこを目指して欲しい。」

「はーい。」

乾は不貞腐れたような、つまらなそうな声色で返事をした。


「水惟、気にすることないからね。」

ミーティングの後で氷見に声をかけられた水惟は、つい周りの目を気にしてしまう。

「…ありがとうございます。」

近くに誰もいないことを確認して、お礼を言った。

氷見から見た水惟はだんだんと自信のないおどおどとした態度になっていっているようだった。

それでも水惟は、輝星堂のコンペを楽しみにしていた。


コンペに参加するにはコンペまでの3週間で企画を練り、プレゼンシートを作らなければならない。


「深山さーん、この案件のラフできてます?」

「あ、はい!PDFはメールで送ったので、出力しますね。」

「これ、次の提出もスケジュールタイトなんで、そのつもりでお願いします。」


「深山さん、これの修正至急お願いします!」

「了解です。」


「水惟、この件どうなってる?」

「えっと、今先方の回答待ちです。」

「じゃあ回答あり次第教えてくれる?」


水惟は相変わらず細かい案件を引き受け続けていた。バタバタとした業務の合間に企画の構想をあれこれと考えてはボツにし、徐々に形にしていった。



「ただいま。」

土曜日、休日出勤していた蒼士が帰宅すると、水惟はまたリビングで寝てしまっていた。

「水惟。」

「ん〜……」

水惟は蒼士が帰って来たことに気づきハッと飛び起きる。

「ごめん!すぐにご飯の準備するから…」

「いいよ、水惟も疲れてるんだから。デリバリーか…たまには俺が何か作ろうか?」

蒼士が笑って言った。

「でも昨日もできなかったし…他のことも全然ちゃんとできてないし…」

蒼士はしゅんとする水惟の頭を撫でた。

「水惟はちゃんとやってくれてるよ。本当はハウスキーパーとか使ったって良いんだから。」

「…でも…」

「簡単なパスタくらいならできそうだね。」

蒼士が冷蔵庫の中を見て言った。

「じゃあ私が作るよ。」

「いいから水惟は休んでて。俺だって一人暮らししてたんだよ?」

「でも…」

「じゃあ皿とか用意してもらえる?」

蒼士は困ったように笑って言った。

「…はい…」

休日出勤から帰ってきた蒼士に料理をさせてしまうことに、水惟は罪悪感を感じてしまった。蒼士が出張でない日は料理を作るつもりでいたが、昨日も寝落ちしてしまっていた。

「それ、コンペ用のスケッチ?」

食事をしながら、蒼士が水惟のそばに置いてあったクロッキー帳を指して言った。

「輝星堂の、まずは企画の社内コンペなんだけど。」

「ふーん…。水惟、忙しそうだけど大丈夫?」

「うん。忙しいけど、企画考えるのはすっごく楽しい!あのね—」

蒼士が審査側にいないと言われているので、水惟は今考えている内容を蒼士に話して聞かせた。楽しそうに話す水惟に、蒼士も微笑む。

「水惟の企画はいつも水惟らしいけど、ちゃんとユーザーの気持ちに寄り添ってるところが良いと思うよ。良い企画だから選ばれるといいね。」

「うん!」



社内コンペ・プレゼンの5日前

———コホッ…

水惟はベッドで寝たまま小さく咳をした。

「何度?」

「…37.1℃…」

ベッドに腰掛けた蒼士に促され、体温計を差し出した。

「じゃあ今日は会社休んだ方がいいな。」

「大丈夫だよ、微熱だから会社行く!」

水惟は蒼士の言葉にガバッと飛び起きた。

———コホッゴホ…

「ほら、咳も出てるしダメだよ。熱だってこれから上がるかもしれないだろ?」

「でも今いっぱい仕事が…コホッ…それにコンペの準備もあとちょっと…」

「水惟。仕事が忙しいって責任感があるのは悪いことじゃないけど、咳も出てる状態で出社して、他の人にうつしたらどうなる?」

「………」

「忙しい時ほどちゃんと休んではやく元気になるのが正しい責任感だよ。」

「…でも…」

「氷見さんに電話してきちんと引き継ぎすれば大丈夫だよ。」

「………」

水惟は申し訳なさそうな表情で頷くと、また横になった。

「帰りに水惟の好きな物買ってきてあげるよ。フルーツ?アイス?ゼリー?何がいい?」

「…ゼリー…フルーツが入ってるやつ…」

子どものように言った水惟にクスッと笑うと、蒼士は水惟の頬に指の背を当てた。

「水惟、ちょっと痩せた?」

「……病気だからそう見えるだけだよ。蒼士も早く行かないとうつっちゃうし、遅刻するよ…」

「本当は行きたくないけど、行ってきます。」

蒼士は名残惜しそうに寝室から出て行った。


深端グラフィックス・クリエイティブチーム

「水惟、今日は休みだって。あの子の案件で何かあったらみんなフォローしてあげて。」

水惟から電話を受けた氷見が言った。

「ポスターのラフ提出しなきゃいけないみたいですけど、フォントが水惟のパソコンにしか入ってないんで、水惟のパソコン開いて作業していいですか?」

乾が言った。

「ああ、うん。お願い。」

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