コーヒーにはお砂糖をひとつ、紅茶にはミルク

ねじまきねずみ

4年振りの再会

第1話 藤村 水惟

——— これ…キミの作品?

——— すごく良い作品だね、なんていうか—


***



デザイン事務所・リバースデザイン

「シャルドンエトワールのポスターの件、3校提出しました。簡単な修正だけだったので、デザイン的には多分これで校了になると思います。」

藤村 水惟ふじむら すい・30歳。デザイナー歴8年、リバースデザインに勤務して4年のグラフィックデザイナー。

クールそうと言われる落ち着いた顔立ちで、暗めのブラウンのミディアムロングヘアーに、さりげなくベージュでインナーカラーを入れている。

グラフィックデザイナーという職業柄、服装は日によってオフィスカジュアルの日もあれば、外部との打ち合わせがなければ今日のようにTシャツの日もあるなど自由だ。

「おつかれ。じゃあ今から新規案件の打ち合わせしてもいいか?」

リバースデザイン代表の生川 洸うぶかわ こうが言った。

リバースデザインは大手広告代理店から独立した洸が6年前に設立した会社だ。従業員数は洸と水惟を含めたデザイナー6名とライター1名、営業2名、経理事務が1名の合計10名。リバースデザイン名義の仕事として、広告やお菓子のパッケージ、フリーペーパーのデザインなども手がけるが、洸が所属していた広告代理店からの下請けの仕事なども請けている。

洸自身はデザイン系の雑誌にも特集が組まれるなど、KOH UBUKAWAとして注目されているデザイナーだ。黒縁メガネにガッシリした熊のような体型で、キャラクター的にも人気があり、会社でも上司としての信頼は厚い。

水惟は洸の広告代理店時代の部下だった縁で4年前にこの事務所に入社した。


恵比寿に居を構えるリバースデザインは、コンクリート造りのビルと木の生い茂る庭を持つ建物の2階の1フロアを間借りしている。庭の深緑が見える開放的な大きな窓に背を向けるような配置で、コの字型にデザイン用のパソコンがズラリと並んだ広めのメインルームが一つと、商談や打ち合わせで使う小さなミーティングルームが2つある。メインルームにはいつも洋楽中心のFMラジオが流れている。

水惟はいつものようにミーティングルームで洸から新規案件の説明を受けていた。

「今回の件、深端みはしなんだけど…いけるか?」

洸がどこか心配そうな顔で言った。

「やだな、洸さん。まだそんなこと気にしてるの?深端の案件なんて今までだって何回もやってるじゃないですか。」

水惟は落ち着いた表情のまま、「ふっ」と静かに笑って答えた。

深端とは、株式会社 深端グラフィックス。洸と水惟がかつて働いていた、業界で三本の指に入る大手広告代理店だ。

「今まで深端の案件はデザインの実作業だけ水惟にお願いしてただろ?今回は深端に打ち合わせにも行ってほしいんだ。担当者との打ち合わせも一度じゃなくて何度かあると思う。」

「え…」

水惟の表情が一瞬曇る。

「やっぱり難しいか?」

洸が訊ねた。

「今回の件は青山にリニューアルオープンするカフェ併設のアートギャラリーの案件で、イラストを使った女性的なデザインを希望されてる。それに深端の名前だけじゃなくて、うちとのコラボでダブルネームみたいな扱いでできる仕事だ。まずはメインビジュアルを決めてポスターを作って、そこからフライヤーとかパンフレットに展開していく予定らしい。」

(…注目されやすくて、条件の良い案件…)

「水惟が広告賞もとったタイミングだし、俺としては水惟が適任だと思ってるけど…深端に行かなきゃならない案件だから無理にとは言わない。」

(………)

水惟は少しだけ考えた。

「やります。やりたいです。」

洸の心配を払拭しようと、キリッとした目つきで答えた。

「あれから…リバースに入って4年も経ってるし、私は大丈夫です。でも…あちらの…深端の方こそ大丈夫なんですか?私が担当するって…」

水惟は今度は少し不安そうな表情と声色で言った。

「…俺が水惟に依頼するつもりだってことは、深端側にも伝えてあるから心配はいらないよ。」

「そうですか…。」

水惟は少しホッとした。


水惟は美術系の大学のグラフィックデザイン科時代にデザイン事務所にインターンに行ったり、さまざまなコンクールで入賞するなど、実務でも賞歴でも実績を上げていた優秀な学生だった。それでもさらに必死に努力して就職活動をし、大手の深端グラフィックスに入社した。

憧れの会社で最初は営業の研修なども受け、第一希望のクリエイティブチームに正式に配属されることとなった。

学生の頃とは違い、クライアントの要望や予算など多くの制約の中で行うデザインは難しくもあり、学びも多く何もかもが新鮮だった。

水惟はめきめきと実力をつけ、相応の評価も獲得していた。洸をはじめとした先輩や同僚にも恵まれ、深端で働くのはとても楽しかった。


あんなことがなければ、きっと今でも深端グラフィックスのクリエイティブチームで第一線のデザイナーとして活躍していただろう。


それは洸が、そして水惟自身も時々想像してしまうことだ。

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