第20話 糸子さん 🕊️




 戦国時代から江戸初期にかけての知識はある方かなと思っていたのは、以前は歴史小説ばかり書いていたからで、幾多の資料に接するうちに付いたシミのようなもの。


 そのシミがごく上澄み、表層の一部に偏っていたことをある本で思い知らされた。

 たまたま書店で手にしたのは、近代まで疎まれた双子の行方を追うドキュメント。



 ――徳川二代将軍秀忠は娘の和子を入内じゅだいさせたが、その腹に皇子ができるまでの五年間というもの、京都所司代に命じ、他のお局が懐妊すると片端から処置させた。

        (河原敏明著『昭和天皇の妹君――謎につつまれた悲劇の皇女』)



 第一級史料ともいうべき『細川家記』にも「お局衆の腹に、宮さまたちいかほどに出来申し候を、圧し殺し、また流し申し候……」とあるというから、恐ろしい。💦


 天皇家の皇子を産むべく育てた和子が入内する直前に皇子を出産したお与津御寮人を徹底的に弾劾した事実は承知していたが、入内後も苛烈な排斥を行ったとは……。




      🎎




 表題の皇女、その名も可憐な糸子さんは大正天皇と貞明皇后の嫡子でありながら、前世の情死の生まれ変わりと疎まれた男女の双子だったがゆえに、生誕を秘された。


 当夜のうちにおくるみに包まれて里子に出され、物心がつくと仏門に入れられた。

 八歳で得度したときは、あまりにも小さな尼僧姿に参列者がすすり泣いたという。


 学校へ行くことも適わず、戒律きびしい明け暮れに否応なく馴染んで成長すると、清らかな花のような美貌にストイックなほど清廉な心根を宿す円照寺門跡に就いた。


 幸いなことにと言っていいだろう、実の母親や双子の一方の実兄との交流は、その生涯にわたり秘密裏に深く行われたというから、ほっと胸を撫でおろす思いになる。


 門跡に就任した時期が時代の狭間となり、寺の経営のために出張教授を行った山村御流の「花は野にあるように」の、技巧よりあるがままを尊ぶ教えの清らかさ……。


 なにかと多事多端な大正天皇妃となった貞明皇后のひそかな歌「いかにせむ ああいかにせむ くるしさの やるせなきだに わが思ひの川」には胸が詰まるが……。


 


      🎑




 それにしても、無教養の罪を思わざるを得ないのは、双子を誕生させた父親は屋根にのぼり「双子の父はここにいる」と叫ぶ風習の地方が存在したという残酷な史実。


 天皇家から一般民衆にいたるまで迷信を疑わなかった時代背景を思うと、いくばくのぎくしゃくはあるにせよ、やはり文化は進化していることに安堵と感銘を受ける。




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