第26話 短詩型のはなし 🦗
俳句はもちろん、短歌のテレビ番組も観たり、ラジオ番組を聴いたり、よくする。
基礎を学んだり、句会で鍛えられたりしていない分だけ、短歌はハードルが高い。
観れば観るほど自信を失うが、一週につき数千件から一万件の応募があるそうで、そこからの選りすぐりの数首だから、素人の手には負えないといえばいえる。(笑)
短歌ブームを受けて今期から大幅に改変された番組は、司会もゲストも素人だが、さすがに選者には現代歌壇の精鋭を据え、誤った方に進まない工夫がなされている。
⌛
各界で活躍中の若手ゲストは、たいてい「わたし、短歌など詠んだことがなくて」面映ゆそうに弁解しつつも、どこか故なき自信をちらつかせる点、俳句も同様。💦
それぞれの専門分野ですでに一家を成しているという矜持がつい迸るのだろうが、ちょっと残念なのは、なんとなく短詩型への軽視が感じられること。((((oノ´3`)ノ
こんなに短いものならお茶の子さいさいという驕慢が隠しようもなく漂っている。
それがとんでもない思い上がりであること、あとになって分かるだろうが……。
〈もっとも、これはゲストの著名人に限らず、市井で詩歌を嗜む人たちにも見られる傾向で「俳句や短歌なんて」という謙遜まがい、何度聞かされたことだろう。('_')〉
ゆえに、余裕綽々で番組に持参した色紙の自作が子ども並みに稚拙なのも道理で、あまりのことに視聴する側の頬が赤くなる。まして鑑賞の稚さときたらそれはもう。
〈長い歴史ある番組にギャラをもらって出演するのだから、事前に知見ある人に見てもらうぐらいの努力を惜しんではアカンよね。第一、詩歌や芸能の神にご無礼だよ〉
もともとそういう人と思っていた場合はいいのだが、ひそかにリスペクトしていた人物が風船のごとく軽いことが判明したときのザンネンムネンといったらない。💧
🧩
ところで、ある俳句誌に「季語の力を信じた成果」という一文があったが、季語の集大成である歳時記ほど先達の智&情が詰まった読み物&資料は類を見ないだろう。
これまでに全五巻(春夏秋冬・新年)の角川版(文庫サイズ)を計四回(すなわち丸四年間)通読したが、そのつど新たな発見がいくつも出て来てなかなかに手強い。
弱輩ゆえ、もうそろそろと分不相応な思いを抱き、五回目の通読を放棄して無謀にも連作の挑戦を始めたが、当該季節ばかり詠むとどうしても選択季語が偏って来る。
で、このたび意を決して原点に還ることにした。数多の秀句が一堂に会する歳時記のさらなる味読の遠まわりこそ、深遠な俳句の世界への近道かも知れないので……。
ちなみに、連作の編み方がいまだに判然としないので、これと見当をつけた句誌を取り寄せてみたが、どこにも指南がない。つまりは自分で模索するしかないらしい。
👘
話は飛びますが、猛暑のせいか(笑)昨今の根気のなさにはわれながら呆れます。
せっかくの鉱脈と思われる樋口一葉日記にしても中途半端なままですし……。🙇
和歌から小説に移った一葉自身も「散文は長くて面倒」と思っていた節がありますから何をかいわんやですが(笑)この辺で小説に取り組み直さなきゃと猛省中。(^^;
手もとに歴史短編の下書きはありますが、これは家康がらみなので、現在進行中の大河ドラマがその時節に入ってから連載の予定、別の材料を模索中なのであります。
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