第157話 〝最高最悪の男爵〟


 レティシアは、細い指先でそっと俺の頬に触れる。


「アルバン……酷い怪我だわ……。それに、あなたが……っ」


「大丈夫だ。まだ左目が残ってる。キミのことはハッキリ見えてるよ」


 涙目になって心配をしてくれる妻に対して、俺は少しだけおどけて答える。


 あぁ……本当なら右目もしっかり見えて、両目でちゃんと彼女のことを見られたら、もっと最高だったのにな。


 でも、片目だけでも十分。

 彼女の姿が見えて、それにこうして触れることもできるんだから。


 だから贅沢言っちゃいけないだろうさ。


「それよりレティシア、一体どうやってここへ……?」


「バスラさんがあなたの居場所を教えてくれたの……。彼とパウラ先生に守ってもらいながら、どうにか辿り着けたわ」


 バスラ――って、カーラの親父さんのバスラ・フィダーイー・レクソン?


 そっか……いつか言ってた〝借り〟を返してくれたんだな。

 それにパウラ先生へも、来世があったら礼を言わないと。


 妻をここまで連れてきてくれて、最期・・に彼女と会わせてくれて、ありがとうってな。


「少し待って頂戴。今魔法で応急処置だけでも――!」


「レティシア」


 慌てて手当てしてくれようとする彼女を、俺は静かに止める。


「聞いたぞ? Aクラスとの期末試験に完勝したそうじゃないか……。流石は俺のレティシアだ」


「っ! こ、こんな時になにを言って……! あなたって人は、少しは自分の心配をしてよ……っ!」


 より一層眼を潤ませる我が妻。


 おっと、褒めたはずなのに、なんだか余計に心配させちゃったかな。

 でも――。


「……俺にとって、キミは全て・・なんだ。キミと触れられるなら、キミの声を聞けるなら、こんな怪我なんて痒くもない」


 俺はレティシアを抱き締める。

 もう――これが最後だと思って。


「レティシア……最後にキミに会えてよかった。俺は本当に嬉しい。でも……もう行く・・んだ」


「ア……アルバン……?」


「できるだけ遠くへ。奴らの手が及ばない場所まで逃げ延びて、キミだけでも幸せになってくれ」


 俺が言うと、レティシアは酷く驚いた様子でバッと抱擁を解く。


「なっ……なに言ってるの!? あなたを見捨てて逃げるなんて、できるワケないでしょう!? らしくないこと言わないで……!」


「アイツは……レオニールは、俺が最も恐れていたモノを手に入れた。レオニールは本当の〝主人公レオニール〟になったんだ。ここにいたら、確実にキミも殺される」


 ……こんなことを言っても、この世界がファンタジー小説の世界であることを知らないレティシアには、理解してもらえないかもしれない。


 だが確かに、レオニールは〝覚醒〟した。

 〝主人公レオニール・ハイラント〟として。


 俺の剣はもう、奴に届かない。


 今日この瞬間まで、今の今まで必死に足搔いてきたが――〝悪役アルバン・オードラン〟の命運は決したのだ。


 だが――。

 それでも――――。

 愛する妻レティシアの命運だけは、決めさせない。


 彼女を破滅させるなんて、絶対に許さない。絶対に認めない。


 俺の生きる意味――俺の生きた証――。

 この世界が俺を否定しようとも、それ・・だけは否定させない。

 絶対に――絶対に。


 たとえこの命と刺し違えてでも……妻だけは守ってみせる。


「だから、もう行ってくれ。キミさえ、レティシアさえ幸せでいてくれるなら、俺はそれで――」


 今生の別れと思って、彼女を行かせようとする。

 しかし、


「………………………………………………………………アルバン、私の目を見て」


 レティシアは両手で優しく俺の顔を抑え、穏やかな微笑を浮べると――。




「本当に……愛しいバカな人」


 柔らかな唇を――そっと、俺の唇へと重ね合わせた。




 ……それは、ほんの短い時間だった。

 温かな彼女の唇は、すぐに俺から離れる。


「レティ……シア……?」


「アルバン――勝って・・・


 さっきまでの優しい口調とは一転、意志のこもった声でレティシアは言う。


「諦めないで。立って。戦って。そして……私のために勝って」


 諭すように、励ますように、鼓舞するように――。

 愛する妻は、俺に語り掛けてくる。


「レティシアの……ために……?」


「そうよ。私のために――ううん、〝私たちの未来〟のために」


 レティシアはそう言って、剣を握る俺の右手に、自らの手を重ねた。


「あなたと私は二人で一つ。アルバンとレティシアは〝悪と悪との最凶夫婦〟。だから……こうして私が傍にいれば、あなたは絶対に負けないわ」


「――!」


 それは――懐かしい響きだった。


〝悪と悪との最凶夫婦〟。

 レティシアがオードラン家に嫁いできて、マウロへの復讐を終えた時、俺が彼女に送った言葉。


 俺たちは、最高の夫婦になれるって。

 〝最凶〟の夫婦になれるって。


 あ…………。

 ああ…………そうか…………。


 そうだよ……そうだよな。

 俺は、なにを弱気になってたんだ?


 俺とレティシアは〝大悪党〟と〝悪女〟の悪役夫婦。

 二人で手を取り合えば、最強を超えて最凶・・になれる。


 俺一人じゃ、ただの〝やられ役〟になっちまうのかもしれないが――彼女と一緒なら――――アルバン・オードランは、〝無敵の悪役〟だ。


「……ハ、ハハハ……。相変わらず、レティシアは強引だよなぁ」


「あら、そこは〝傲慢〟と言ってくださらない?」


「そんな言い方したら怒るだろ?」


「怒らないわ。だって私は〝最高最悪の男爵〟の妻ですもの」


 はにかんだ笑顔でそう言って、レティシアはスッと立ち上がる。

 そして俺に向けて、手を差し伸べてくれた。


「さあ、立って。全て終わらせましょう」


「――ああ、そうだな」


 妻の細く美しい手を取り、グッと立ち上がる。

 同時に、顔の右半分から滴り落ちる血を指先で軽く拭った。


「…………待たせたな、レオニール」


「……もういいのかい?」


「ああ、妻と話す時間をくれてありがとよ。お陰で――生まれ変わった・・・・・・・ような気分だ」




 ▲ ▲ ▲




《レオニール・ハイラント視点Side


 ――オードラン男爵の覇気オーラが変わった。


 さっきまでは肌を突き刺すような、激しく恐ろしい覇気を放っていたのに、それが完全に消えた。


 あれほどハッキリと感じられた闘志が、完璧に消え去ったのだ。


 ……もし、もしもオレが彼のことをよく知らず、今日が初めて立ち会った日だったなら、こんなオードラン男爵を見て落胆すらしたかもしれない。


 もはや戦う気がないのだと。

 敗北と死を悟り、諦めたのだと。


 けれど――オレにはわかる。

 オレには見える。


 あんなにも恐ろしく、ドロドロと煮え滾るマグマのような覇気オーラではなく――まるで透き通る〝空〟のようなオードラン男爵の覇気オーラが。


 どこまでも続く青空と白雲。

 それが足元の水に反射し、天地が青と白に染め上げられたような……彼を見ていると、そんな光景を想起させられる。


 〝怒り〟がない。

 〝憎しみ〟がない。

 〝殺意〟すらも感じられない。


 ――恐ろしい・・・・


 さっきまでのオードラン男爵よりもずっとずっと、比べ物にならないほどに恐ろしい。


 オレにはハッキリとわかる。

 彼はなにも諦めてなどいないと。


 彼は――オレが本当に決着を付けたかった〝アルバン・オードラン〟になってくれたのだと。


 嬉しいよ。

 嬉しくて堪らない。


 オレは、これ・・を望んでいたんだ。

 この・・オードラン男爵と戦いたかったんだ。


 お互い〝負けられない理由〟を背に、共に100%以上の力でぶつかり合って――本当の意味での決着を付けたかったんだよ。


 思わず、オレの口元に笑みが浮かぶ。

 そして歓喜に震えながら――再び剣を構えた。


「今度こそ……決着を付けようか、アルバン・オードラン男爵」



――――――――――

※お報せ

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なんと――!

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実は地味に小説(シリーズ)で3巻まで出せるのは、人生で初だったりします……!

なのでめっちゃ嬉しい……!🥹


これも本作を手に取って頂いた読者の皆様のお陰です!

この場をお借りしてお礼を申し上げさせて頂きます!

本当にありがとうございます!!!🥰


引き続き、最凶な悪役夫婦にお付き合い頂ければ幸いです……!


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