第8話 悪事の準備
「あ、あ、あなた、気は確か!?」
ガチャン!とテーブルを叩き、レティシアは椅子から立ち上がる。
まったく、行儀悪いぞ~?
「一体なにを考えてるの!? そんなことをしたら、マウロ公爵に目を付けられて……!」
「落ち着けって、レティシア」
俺は皿に盛られたカボチャのスープをスプーンで掬い、一口すする。
うん、美味い。
やっぱりウチの料理人はいい腕をしているなぁ。
「実はな、同時にもう一つ”別の噂”も流したんだ」
「別の噂……?」
「怒らないで聞いてくれるか?」
「怒らないから早く言って頂戴!」
「”アルバン・オードランは、レティシア嬢と大層仲が悪い。レティシアを秘密裏に葬るために、マウロへ大金を貢ごうとしている”――って噂」
「……??? なにそれ、さっきの噂と完全に矛盾してるじゃない」
「そうだ。で、質問」
カボチャのスープをゆっくりとかき混ぜる俺。
クリームが垂らされたスープを混ぜるのって、なんで微妙に楽しいんだろうな?
「もしレティシアがマウロの立場だったら、どっちの噂を信じる?」
「……後者かしら」
「理由は?」
「悪名高いアルバン・オードランが、レティシア・バロウと気が合うとは思えないもの」
「だよな」
世間的に、俺は性格最悪の男爵として知られている。
マウロ公爵もその認識を持っていると見て間違いない。
それに対して、レティシアの性格は至って生真面目。
今でこそ悪女呼ばわりされているけどな。
彼女の人柄を知るマウロ公爵は、まさか俺たちの気が合うとは想像もできないだろう。
「いくらか疑いはするだろうが、マウロ公爵は俺がキミを始末しようと企んでいると踏むはずだ」
俺の言葉に続くように、セーバスが一歩前に出る。
「調べたところ、マウロ公爵はレティシア様を未だに疎んじておられるご様子。報復を恐れているのでしょうな」
「そんな奴が噂を聞けば、十中八九こちらにコンタクトを取ってくる。狙いはそれだ」
ぶっちゃけ、後者の噂だけでもマウロ公爵を誘き出せるんだけどさ。
でもそれだと、今度はバロウ家を敵に回しちゃうし。
まあ幸いなことに、俺は実に様々な噂や悪評が流布されているから。
完全に矛盾する噂を同時に聞けば、無関係な人々は「どうせ誰かがまた適当な噂を流したんだろう」と思うはず。
所詮そんなものだ、噂なんてのは。
噂が効果的に心理を揺さぶるのは、あくまで内情を知る一部関係者に限るのである。
とはいえ、あと一手……
「レティシア……キミがやった悪事の真相は全部聞いたよ」
「……!」
「全てマウロと領地の民を助けるためだったんだな」
「……でも、悪事に手を染めたのは事実よ」
少しの沈黙の後に、彼女は言った。
「それで? 事の真相を知って後悔なさらないのかしら?」
「いいや、全然」
カチャリ、とスプーンを置く。
「むしろ逆だ。キミのことを知れて、心からよかったと思う」
「アルバン……」
「キミこそ俺の妻に相応しい。絶対に手放したりしない。迫害するなんて、天地がひっくり返ってもやるものか」
レティシアの瞳を見つめて言う。
俺は心に決めたよ。
一生涯、彼女のことを大事にするってな。
だって、レティシア・バロウなんて素敵な女性は他にいないから。
「……随分、大悪党らしくないことを言うのね」
「知らないのか? 大悪党こそ家族を大事にするんだ」
背後でセーバスがクスッと笑った気がするが、突っ込まないでおこう。
文句は後で言ってやる。
「だからこそ、俺はマウロを許さない。キミを不幸にしたアイツに、必ず報いを受けさせてやる」
「無理よ。逆にオードラン家が滅ぼされるだけだわ」
「無理じゃないさ。ただ、キミの助けが必要なんだ」
「私の……?」
「ああ――その
▲ ▲ ▲
(※レティシア・バロウ
オードラン家へ嫁いでから、今日で二十二日目。
私は今、オードラン領のとある食料倉庫の中にいる。
とても大きな倉庫で、そこかしこに木箱や樽が置かれている。
辺りは薄暗くシンと静まり返っており、人気は全くない。
「……」
倉庫の中で、私は一人の男を待つ。
すると、
「――待たせたなぁ、レティシア」
その男は現れた。
「……マウロ・ベルトーリ」
「様を付けろよ。相変わらず不遜な奴だな」
……かつての私の夫、マウロ。
歳は私より五つ年上。
体型は細身の長身。
鼻が高く端正な顔つきで、如何にも女に言い寄られそうな顔つきだ。
彼は三人の護衛を従え、さらに傍に金髪の女を侍らせている。
女の方は、あの舞踏会の夜にも見た顔だ。
「ね~マウロ様、ここ埃っぽい! お肌が汚れちゃうし、こんな場所に居たくないわ!」
「そう言うなニネット、帰ったら俺が直々に身体を洗ってやる」
「うふ、マウロ様ったらエッチ♪」
……はぁ。
それが人前でする会話なのかしら。
相も変わらず、低俗で呆れるわ。
「しかし驚いたぞ? まさかお前が俺に手紙を寄越すとはな」
マウロは懐から一枚の封筒を取り出してみせる。
私が彼に送った、直筆の手紙だ。
「ええ……もう限界なの」
一歩足を踏み出し、彼に近付く。
「アルバン・オードラン男爵は噂通り最低の男だわ。あんな男の妻だなんて、もう耐えられない」
「ほう……」
「彼なんかより、あなたの方がずっといい男だった。なにもかも謝るから……だから私をオードラン家から救い出して頂戴」
「ク……クックック……ハァーッハッハッハッ!!!」
大声を出して笑うマウロ。
もう可笑しくて可笑しくて堪らない――といった様子だ。
「そ、そうかそうか。アルバンは噂通りの男だったか、ククク」
「……ええ」
「――だ、そうだぞ? オードラン男爵よ」
「!」
マウロの背後、暗闇の中から現れる人影。
その手には、剣が握られている。
「……」
「アルバン……!?」
現れたのは私の現夫、アルバン・オードラン男爵。
彼は無言で剣を携えたまま、マウロの隣まで歩いてくる。
「レティシアよ、貴様は知らなかっただろうなぁ。俺もオードラン男爵に連絡を取っていたことなど」
「なんですって……!?」
「そもそも、色々な噂があちこちで流れていたのだぞ?」
「そうそう! ”レティシアがオードラン男爵とマウロ暗殺を企てている”とか、”やっぱりレティシアとオードラン男爵は不仲”とか本当に色々!」
「ニネットの言う通り。そしてお前から手紙が届いた俺は確信を持ち、彼と連絡を取り合った」
そこまで言って、マウロはニヤリと下卑た笑みを浮かべて見せる。
「その結果……オードラン男爵はお前の始末に快く協力してくれたよ」
「そん、な……!」
「もしもの時は、ベルトーリ家の権力で不祥事を揉み消すって手筈でな。オードラン男爵はとっくに俺の側にいるってことさ」
マウロはニネットを抱き寄せ、彼女の胸に手を伸ばす。
「あん♡」
「だいたい、俺はお前が大嫌いだった。身体も触らせてくれないくせに、口を開けば領地だ領民だのと……うざったくて仕方なかったよ」
いつまでもニネットの身体をまさぐり続けるマウロ。
……見ていて、不快極まりない。
「だがお前はバロウ公爵家の令嬢。いくら悪事を働いたとはいえ、あの時の俺では婚約破棄を突き付けるので精一杯だったが……今は違う」
アルバンが剣の切っ先を私に向ける。
尋常でない殺気を隠そうともせず。
「レティシア・バロウは今日を以て行方不明となる。捜索はすぐに打ち切られるだろう」
「……あなたは、私が夫に殺される様をむざむざ観に来たってことね」
「クックック、そういうことだ。こんなに愉快なショーはないからなぁ」
「……マウロ様、ご命令を」
アルバンがマウロに指示を乞う。
それを受け――
「……レティシア・バロウを、
ハッキリと、マウロが命を下した。
その刹那、
「――その言葉を待ってたんだ」
アルバンは、マウロを守っていた三人の護衛を斬り捨てた。
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