第16話 魔神王エンバージュ
数日間歩き、霧の廃墟を抜けた先は今まで感じたこのない魔力を放つ城だった。
「あれが…魔王城…?」
崖の上に高くそびえ立つ石造りの要塞。人の気配を感じない。
「結界を越えなければ視認できない魔法か。どうりで見つからないわけだ。…急ごう。あの魔王の動向が一切分からない今、我々の目で何が起こっているのか確かめなければ」
「ほっといたら大変なことになるのが目に見えてるからね…それにしても、大変だったには大変だったんだけど…なんて言うか、思ったより呆気ないね」
リンの言葉はまさに俺が気にかけていたことだった。ここまでの障壁はエルフの森と霧の廃墟のみ。エルフの長は何故か通してくれたし、霧の騎士は予想外の援護により不戦勝となった。…あまりにも上手くいきすぎている。
「用心してかかろう。城内に戦力を集中させていると見ていいだろう。何なら引き返してナターシャとマキナの到着を待ってもいいが…」
俺は考えた。今グロウタウンに戻って安全であるという保証はない。ゼロの足留めも流石に限界だろう。どれだけ懸念点があろうと退くことはできない。
「…行こう。旅の答えを見つけるんだ」
「だね。どれだけこの地の支配者が強かったとしても、叛逆者の血を継いだ私達3人なら平気だよ」
道中にもほとんど魔物はおらず、最短でここまで来ることができた。それ故の不気味さは拭えないが、皆やる気のようだ。
……………………………………………………
かくして三人の勇者が魔王の元を訪れる。城の扉は既に開かれ、まるで三人を誘っているかのようだ。それでも三人は入っていった。扉が閉まり、中は闇に包まれた。
「…気をつけろ…何が来るか分からない」
ゼノが二人にそう言った。彼の額には冷や汗が浮かんでいる。それもそのはず、ほとんど成長を遂げないままここまで来てしまった。実力不足もいいところだ。
「…何もない…?あんなに大きな城だったのに…どこにも道は繋がってない…」
この城の不可解な点の一つがそれだ。外から見た時は流石アグリーツァの王の住まう所だと思わせる荘厳な造りだったが、内部はたった一つの大きな部屋のみだった。廊下も階段もない。玉座には誰も座っていない。もぬけの殻、というやつだ。
『やぁ、君たちの到着を待っていたよ』
「っ!誰だ!」
正面から聞こえる声、ゼノ達は玉座を注視した。誰も座っていなかったその玉座に、男が座っている。
「…父…さん…?」
三人は驚愕した。その男はゼノとよく似た顔、それ即ちゼロにもよく似た顔であるということだった。
「何をやって…」
言葉を言い終える間も無く、壁際の松明に炎が灯る。そしてその男の全貌が明らかになった。痩せた体、黒い髪に赤い瞳、ゼノとゼロによく似た顔…
「また会ったね、ゼロ。君ならここに辿り着くと…おや…?その眼…ゼロじゃないな?」
男もゼロを知っている。ゼノの頭には疑問がいくつもよぎった。この男は?父親と知り合いなのか?何故この男は自分とそっくりな顔なのか?
「ふむ…君の名前は?」
「…ゼノ・ルイス」
ゼノは警戒を緩めなかった。リンとローズは息を呑んで二人を見守る。
「聞いたことがないな。てっきりゼロだと思ったのに。まぁいい、僕も自己紹介しよう。初めまして異邦の者達、僕はエンバージュ。かのエンバージュ・ドラズィアスターだ。それとも…こう呼んでくれても構わないよ。…クロード・スティングレイ、とね」
雷が落ちたかのような衝撃が走る。言葉を先に発したのはローズだった。
「魔神王エンバージュ…!?リヴィドの魔神ではないのか!?いやそれ以前に…何故貴様がスティングレイの名を名乗る?」
「どうやら君達は僕のことを知っているみたいだ。嬉しいね。けど生憎、君には話す気にはなれないかな。そこの…ゼノと言ったか、君の質問なら答えてあげよう」
玉座で足を組むエンバージュはゼノを指差した。その指が酷く痩せ、指輪が少し浮いているのが分かった。そして、この異様な魔力の正体が彼から発せられるものであることも分かった。
「…ここで何をしている?」
「別に。ただ来客を待っているのさ」
「その来客っていうのはゼロ・スティングレイのことか?」
「そうだけど何か?」
「何故彼を待っている?」
「単純さ。彼と戦うためだ。そのためなら僕のアグリーツァも、リヴィドだって滅ぼしてみせるさ」
エンバージュの目に宿る狂気は、ゼロの深淵のような瞳とはまた違った。
「何故戦いたいんだ?」
「この命との決別の前に、諸悪の根源を断たねばと思い立ってね。生憎と探しに行くのは難儀だから、誘き寄せることにしたんだ。…レグーナの女王を使ってね」
「っ!どういうことだ」
何故ここでベルナデッタの名前が出てくるのか、とゼノは訝しんだ。後ろの二人の呼吸のペースが速くなるのが分かる。
「ゼロの子を一人、誘拐して手の届かない場所まで持ってきたのさ。あの小娘が次の女王になることなんて僕はとっくに理解してたから、あとは二人が出会うように誘導した」
その子が自分だということなど一瞬で理解できてしまい、ゼノは更なる困惑に陥る。
「でも…!そんなのでゼロがアグリーツァまで来るわけないだろ」
嘘であってほしい、何の因果もあって欲しくないとばかりにゼノがとても小さな叫びをあげた。
「どこかの蝶が羽ばたくと、どこかに嵐がやってくる。僕は決まった運命を導くために、決まった行動をしただけさ」
「こうなる未来が見えてたって言うのか!」
「ああ。まぁ、一つ僕の見た未来と違っていたのは…ここにゼロ本人が来ていないことだが、ある意味では君が来た方がよかったかもしれないな」
エンバージュが玉座から立ち上がって剣を抜いた。
「さぁ、始めようか。叛逆者の代わりとして僕を糾弾する資格があるかどうか、その実力を僕に示してみせてくれ」
「……」
ゼノが黙って剣を抜く。それをローズが止めようとした。
「正気か?戦って勝てる相手では…!」
「行かせてくれ。もしかしたらこれは…俺の旅の目的の、核心なのかもしれないんだ」
「だが…」
渋るローズをリンが窘めようとした。ローズの意見は間違っていない。あれはリヴィドを守護し、それと同時に脅かす存在だ。
「ゼノにとって大事なことなんだと思う。だから…私たちも最大限協力しよう?」
「…分かった。絶対に無理はするなよ?」
「ありがとう。二人に会えて、俺は幸せだ」
ゼノが剣を構えてエンバージュの正面に立つ。もはや避けては通れぬ道だ。
「決心がついたか。では…愚者の共演を始めようか!」
そう言い終えた瞬間、エンバージュがゼノに急接近した。剣と剣が交錯する。
「いい眼をしている!僕とゼロには無い、生きる者の眼だ!」
「危ないっ!」
凄まじい力量だ。ゼノが一歩、また一歩と後退する。リンが鎌を持って援護しなかったらどうなっていたか。
「俺が何者か気付いてるな…!?」
「今更かい?最初から気づいていたとも。だが…少々受け入れられなかっただけさ。まさかゼロがここに来ないなんてね」
「俺じゃ力不足ってか?」
リンが作った隙にローズが弩で足を狙う。ゼノが踏み込み、また剣の舞踏が始まる。
「怒ったかい?だけど今の君じゃ、彼には到底及ばない!」
ゼノの足を払い、無様に転ばせる。
「ほう…『宵の明星』か。僕を殺しきるだけの武器は持ってきたみたいだ。宝の持ち腐れもいいところだけどね」
ゼノの黒い剣を見てエンバージュが呟いた。
「くっ…!まだッ!」
「ああ、まだ終わりじゃないだろ。こんなところで終わってちゃ世話無いってものだ」
剣が交錯し、火花を散らす。エンバージュの底無しの魔力もさることながら、恐ろしいほどの剣の腕が強さを引き立てる。姿をくらまして奇習するリンに対応し、ローズの援護射撃を物ともしない。
「君がここに来る未来自体は見えていた。だから君がどんな行動をしようが、最終的には僕と戦うことになっていたわけだが…参考までに、何故あのレグーナの女王の元を離れてここに来たのか、教えてくれないかな」
「憧れだ。檻に囚われず、自由に生きたいから逃げ出した。あの生活に自由なんてない」
ゼノの糸がエンバージュの体を突き刺す。樹木の表面を這う蟲のようにかの魔王の体を泳いでいく。
「へぇ…これが君の魔法か。白と黒、相反する二色を制御する…確かに彼の子で間違いないらしい。惜しいかな、レグーナが君を戦士として育てていれば、君は僕をも越える真の魔法使いになれたのに」
「そんなものはいらない。俺は今に満足してるさ。ようやく家族が見つかった。ようやく自由になれた。…ようやく幸せになれる!」
糸を締め上げ、エンバージュの心臓を断ち切る。彼は血を吐いて倒れた。
「…これで終わりだ。魔神王!」
倒れたエンバージュの首に剣を当て、思い切り振りかぶった。切断された首が宙を舞い、部屋の隅へと消えていった。
「やった!私達勝ったんだ!お姉ちゃん、私達やったよ!」
リンが飛び跳ねてローズとゼノに抱きついた。
「…本当にこれで終わりなのか?なんというかその…」
「…気にしたって仕方がない。血湧き肉躍る戦いは後世の創作だ。本当の戦いに、劇的な展開も幕切れもない。生死を決めるのはほんの一瞬のことだ」
ローズも気に留めるところがありつつ、静かな幕切れを受け入れたようだった。三人は扉に振り返り、外に出ようとした。
『そこの嬢さんは戦いをよく分かっているじゃないか』
背後からの声、エンバージュのものだ。
「何…!?」
ゼノが咄嗟に振り向く。エンバージュの剣がローズに迫っているのが見えた。そこからは思考よりも先に体が動いた。
-姉さんを…やらせるか!
言葉にしたかしていないかは本人には分からなかったが確かなことは、少なくともこれでローズは助かるということだ。
「がはッ…!あ…!」
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