Call My Name

叶けい

1.それはお化けか幻か

―雅人―

撮影場所のフラワーショップ前に車を停め、運転席から降りると冷たい空気が頬を撫でた。

「さみいな…」

年末年始の浮かれた空気も落ち着き、街中には普段通りの景色が戻ってきている。平日の昼間だが、思ったより人通りは多めだ。

むき出しの手を擦り合わせながら、スライド式の後部座席のドアを開ける。

しゅん、着いたぞ」

「はあーい」

あくび交じりの返事をし、むくりと起き上がると、藍川あいかわ瞬は長い前髪を横に払った。

「外、人います?」

「いるけど。ま、ほとんどサラリーマンばっかだから大丈夫だろ」

周囲に視線を走らせながら答える。以前、今日みたいな雑誌撮影の日にファンに取り囲まれ、大変な騒ぎになってしまった事があった。

掛け布団代わりにしていたらしいロングのダウンコートを抱えて、瞬が車から降りてくる。軽く伸びをし、春物の衣装の上から素早くダウンコートを羽織った。さむ、と低い声で呟く唇から白い息が漏れる。

撮影準備中のカメラマンに声を掛けに行こうとしたところで、コートの胸ポケットが震えた。スマホを取り出し、着信相手を確かめる。

「悪い、先行ってて」

あーい、と緩い返事が返ってくるのを背中で聞きながら電話に出る。

「お世話になっております。Mスターマインプロダクションの石黒いしぐろです…ええ、はい。今から撮影で…」

人気のない脇道で話そうと視線を巡らせた、その時だった。

「…え」

見間違いかと思った。…いや、そんなわけない。こんなところに居るはずがない。

だけど。

『…もしもし、石黒さん』

「あ!はい、すみません…ええと、来週の火曜ですね」

必死で今月のスケジュールを頭の中に思い浮かべていたら、足が勝手に動き出した。

人々の行き交う雑踏の中、ついさっき確かに目に映った姿を探して、交差点まで走り出す。

「スケジュール!確認して、折り返し連絡しますんで」

走りながら通話口に向かって叫ぶ。いた―後姿。いや、本当にあいつだっただろうか。

『お待ちしております。それでは―』

「し…失礼します…あ」

通話が切れる。目の前の信号をみると、点滅が始まっていた。足が止まる。呼吸が苦しい。

日ごろの運動不足を後悔しながら、視線を走らせた。…いない。

見間違いだったのか、それだけでも確かめたかったのに。

「くそ…」

くしゃくしゃに乱れた前髪をかき上げる。忘れかけていたやるせない気持ちで、胸が詰まった。


釈然としない思いを抱えたまま撮影場所のフラワーショップまで戻ってくると、ウインドウの前に立って瞬が店の中を見ているのが目に入った。

「何にやにやしてんだよ」

「あ、やっと戻ってきた」

瞬は俺の方へ一瞬視線を寄越し、そっと店内を指さした。

「あの人、さっきからずっと花に話しかけてるんだよねえ」

「はあ?」

指さす方を見ると、撮影スタッフの姿に混じってエプロン姿の小柄な青年が、売り物の花に丁寧に水やりをしている様子が目に入った。

「バイトの子?」

「そうなんかな。あ、ほらまた喋ってる」

可愛い、と呟き、瞬は急に何か思いついたのか手を打った。

「良いこと考えた」

「何を」

「ちょっと行ってくるわ」

そう言うと、瞬は店の中に入ってカメラマンに何やら話し始めた。

その様子をぼんやり見ながら、知らずため息がこぼれ出る。

―俺は、お化けでも見たんだろうか。

雑踏の中に消えて行った後姿。もう、五年も前になるのか。

地元に帰ると言ったきり、音信不通になってしまった友人。

俺の―片思いの相手。

追いかけて、捕まえて…俺は、どうするつもりだったんだろう。

今更、あの日の答えを聞く勇気なんてないくせに。

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