最終投:軽やかな気持ちで
建物まばらな山間の町にある、比較的新しい二階建て一軒家。その壁のベージュ色を、紺色スーツを身に纏った細身の中年男性が見つめる。黒色のビジネス用バックパックを背負い、片手には白色の紙袋を下げていた。
「(……壁の色が変わっていますね。塗り直すには早いでしょうに)」
念のため腕時計で時間を確認。
咳払いをして、男は玄関横のインターホンを押した。
「ごめんください。水切り担当大臣の保坂です。ワタル君はご在宅ですか?」
少し経って、インターホンから女性の声が返ってくる。
『はいはーい。さすが保坂さん、時間ぴったりねぇ。すぐ開けるわ』
玄関を開けてでてきたのは、地味な服装をした、ふくよかな体型の女性。
「ご無沙汰しています。ミキリさん。少しは落ち着きましたか?」
「今となっては穏やかなものよ。謹慎明けは落書きされちゃったけど。それでも最初の一、二年みたく、文句を言いにくる人はいないわ。報道の人だって、もう忘れた顔をしているし。……って、暑いのにごめんなさいね。さ、どうぞ」
「失礼いたします。良かったらこちら、皆さんで」
「あら、ありがとう。そんなに気を遣ってもらわなくても良かったのに。ワタルが行くべきところを、わざわざ来ていただいているんだから」
体裁としての断り言葉がありつつも、紙袋に入った菓子折りは家の奥へと運ばれていく。
「いえいえ、僕が来たかったものですから。大滝も見てきました」
「良くも悪くも有名になっちゃったアレね」
「悪いことはありません。今は色々言われてしまっていますが、僕は良い思い出にしたいと思っています」
「保坂さんが担当で本当に良かったわ。ワタル呼んでくるから、ソファに座って待っていてちょうだい。……『ワタル! いつまでストーンいじってるの! 保坂さんいらっしゃってるわよ!』」
母親の呼び声に返ってくるのは、元気で爽やかながらしっかり低音の声。
『え?! もうそんな時間?! ……保坂さーん、今降りまーす!』
ドタドタと階段を降りる足音。廊下とリビングを繋ぐ扉が開き、こんがり日焼けした半袖半ズボンでツンツン黒髪の、長身ガッシリ体型が現れた。六年も経てば、少年は青年に。十八歳の水切ワタルだ。
「こんにちは、保坂さん!」
「こんにちは、ワタル君。コンディションはバッチリみたいですね」
立ち上がり挨拶を交わす。Tシャツがピッチリするほど厚い胸板に太い腕。重すぎないギリギリの鍛え上げられた体。若さを伝えるハリのある肌。保坂としてはワタルの肉体の仕上がりに対する言葉だったのだが、ワタルは手にしたストーンのことだと思ったらしい。
「わかりますか?! ギリギリのギリまで、バッチリ磨き上げたんですよ!」
自信に溢れた様子で、片手持ちにストーンを見せつけるワタル。ゴツゴツした無骨な焦げ茶色ボディは、元々には無い艶を放っている。
「え、あぁ、バッチリですね、さすがです!」
「でしょー? ……って、出発には早いけど、用事があるんだったよね?」
「はい! ワタル君に見ていただきたい映像があるんですよ」
「映像?」
保坂はバックパックからタブレット端末を取り出し、操作。動画を再生しワタルに見せた。
黒い背景に白文字で出てきたタイトルを、ワタルは不思議そうに読み上げる。
「『水切ワタル激闘のキセキ』……? なんですか、これ」
「ワタル君を主役した、ドキュメンタリー映像です。前のグレートジャーニーの映像や、関係者へのインタビューで構成されています」
「オレを、主役に? ……あっ、前に色々聞かれたのって、コレのためだったんですか?!」
何かを思い出し驚くワタル。およそ一年前、ワタルは保坂から前回出場したグレートジャーニーについて、根掘り葉掘りインタビューを受けた。当時の映像や音声を確認しながら、当時何を思っていたのか、どういう状況だったのかを事細かに。
「えぇ、そうです。タイトルやデザインは仮ですが、映像の中身はほぼ決定稿。出来栄えを確認してもらいたいんですよ」
「へぇー、すっごい。関係者っていうと、石渡総理とかですか?」
「総理は……短いですが、まぁ。ほとんどは、あの時の上位選手の皆さんですよ。お忙しいところ、ご協力いただきました」
「皆! それは楽しみです! 元気してるかなー」
保坂と並んでソファに座り、二人で映像を見る。落ち着いた声のナレーションが、グレートジャーニーやワタルについて説明。
ワタルははしゃいだ。
「本格的! スポーツ庁の宣伝に?」
「今のところは未定です。僕の自主製作映像なので」
「自主製作ぅ?! インタビューもあって、お金かかるんじゃないですか???」
驚くワタルに、保坂はあっさり返す。
「海外旅行ついでに作ってみたんですよ。皆さんお優しいので、取材に応じてくださったばかりか、取材料も出演料も不要と言ってくださって……。もちろん、公式として扱うことがあれば、きちんと費用をお支払いするつもりです。そうならなければ、インターネットの動画サイトで公開しようと考えています」
「う、インターネット……」
頭を抱えるワタル。ワタルにとってインターネットは、そこそこ印象の悪い存在。
「あぁ、ごめんなさい。ワタル君はインターネット、良い思い出ないですよね」
「うん……。今でもオレの名前調べると『水切ワタル 税金泥棒』とか出てくるから……」
「存じています。でも、僕はその評価を変えたいんです。あ、始まりますよ」
画面に映る、青々と澄んだチリの空。
前回大会当時の映像に、ワタルは喜んだ。
「わぁ、懐かしいなぁー。日本と同じで暑いと思ってたのに寒くて~~」
楽しむ横顔を見て、保坂は安堵する。映像を作ったのは、過去の大会結果によりワタルが、世間から強烈なバッシングを受けたから。酷い時にはこの家にも暴徒と化した人々が来て、壁に落書きしたり、窓に石を投げつけたりした。ミキリの言の通り今は落ち着いているが、いつ再燃してもおかしくない。
バッシングした人々は、レースを良く知らぬまま行動していた。保坂はそんな人々に当時の事情、他の選手とのやり取りを伝えるため映像を作ったのだった。
「~~あっ、シブシソさんのインタビュー! 今は国連にいるんでしたっけ?」
映像には、スーツと民族衣装を合わせて着るシブシソの姿。
「そうですね。先住民族の権利を守る団体です。忙しくてワタル君に会えないことを、残念そうにしてらっしゃいましたよ」
「一緒に水切りできるの、まだまだ先になるかなぁ……」
「いつか勝負できますよ。……あっ、そうだ。ロトスさんもインタビューを受けてくださったんです。御覧になりますか?」
「取材嫌いのロトスさんが?!」
ロトスの名前が出て、ワタルが今日一番の驚きの声を上げた。
保坂は映像を早送り、バックパックから便箋を取り出す。
「ええ。メッセージも預かっています。読み上げますね。……『島の事も俺自身の事も片付けた。ワタル、勝負するぞ』~~」
──
─
『さぁ、今回のグレートジャーニーも大詰め! ここまで試合を引っ張ってきた二名の選手と相棒のストーンが、デッドヒートを繰り広げるゥゥゥゥ!』
未だ現役の実況が、海上を横並びに進む二人の青年選手とストーンを盛り立てる。
白コートに白髪の美丈夫が、半袖半ズボンに黒髪の若武者に言った。
「とんでもないしぶとさだね、ワタル! さすが姉さんが見込んだだけあるよ」
「マルクこそ! 変幻自在のボディと戦術に翻弄されっぱなしだよ」
互いに視線をぶつけ合う
二人の足元で、白と透明の輝くストーンと、無骨な焦げ茶色ストーンが火花を散らした。
『隻腕の貴公子マルク選手が駆るストーンは、姉から引き継いだ【ダイヤモンドダスト】! 戦況に合わせ姿と戦術を変え、ここまで数多のストーンを氷漬けにしてきたぞォ! バミューダトライアングルの攻防では、ロトス選手の操る【チャコール】を氷のオブジェにし雪辱を~~』
「~~ロトスさん、めちゃくちゃ怒ってたなぁ……『勝負の邪魔するな!』って」
「スタートから散々ワタルを独占していたんだから、邪魔もするよ。やられっぱなしじゃ、姉さんも悔しいだろうし」
マルクは不敵に笑う。
「うー、マルクの笑みはなんだか肝が冷えるよ。寒いのはもうコリゴリだなぁー」
ワタルは苦笑いでぼやいた。
『前々回ぶり出場のワタル選手が駆るストーンは、雌伏の時に出会ったという【沖ノ鳥】! 幾度となくピンチに陥りながらも耐え続け、ルーカス選手の狙撃をも凌いだその姿は、まさに不沈艦!!』
実況の紹介を聞き、マルクはワタルのストーンに目を向けた。
「随分とタフだよね、そのストーン。『絶対沈まないぞ』ってオーラが感じられるよ。どこで見つけたんだい?」
「これはね、沖ノ鳥島に行った時に島が弾けて――」
答えるワタルの声を、通信の大音量が遮った。
石渡総理だ。
「〈――ワタル選手!! その話はマジか!?!? 保坂! すぐに画像を……って、島が欠けとるんじゃが!〉」
「総理のじーちゃん、違うんだよ! 見学してただけなのに島が突然割れて手元に……」
「〈あぁ、なんてことじゃ……。このままでは我が国の領土領海が、水産資源がぁ……。……こりゃグローリーアイランドの益は、海面上昇対策に使わんといかんかなぁ〉」
「まぁまぁ、起こっちゃったことは仕方ないよ」
「仕方なくあるかい! これで負けようものならまた謹慎じゃ! 絶対勝つんじゃぞ、いいな!!」
「もっちろん、今度は負けないよ! いこう、沖ノ鳥っ!」
ワタルは気合を入れなおし、目でストーンに合図を送る。
そうしているうちに、ワタルとマルクの二人ともに通信が入った。女性のとても綺麗な声。マリーナだ。
「〈ワタルは相変わらず元気だな。だが、うちのマルクは強い。なんたって私に勝ったんだからね〉」
「あ、マリーナさん。久しぶり」
ワタルが反応すると、マリーナは声を弾ませた。
「〈久しぶり、ワタル! 今回はマルクに譲ったが、今度こっちに来てくれ。実家近くの川で勝負しよう、自然がとても素敵な場所なんだ〉」
通信機の画面はワタルに見えていないのに、マリーナはワタルにウインクまでしている。
「いいなー、どんなとこなんだろー」
「〈案内する。その時はついでに実家の父母を――〉」
「――姉さん! ナンパは後にして!! こっちは真剣勝負中!!!」
「〈う、ごめんよマルク。……では、二人ともがんばれ! ワタル、チケットはこちらで用意するから――〉」
話の途中だったが、マルクは容赦なく通信機の電源を切った。
その様子にワタルは少し笑って、すぐに真剣な顔に戻る。
「ワタル! ここからは恨みっこなしだ!」
「もちろん! 負けないよ、マルク!」
前方に見え始めたゴール会場を、真っすぐ見つめる二人。……と、視界に見つけた光にワタルは反応した。
「あっ!」
金色に煌めく、まるで粒子のような光だった。輝きはゴールまで続き、やがて空へと広がり見えなくなる。
「(ねぇ、大和錦。あの時一緒に走ったおかげで、多分オレ、世界で一番楽しく水切りできる選手になれたよ! だから、これからも見ていて。絶対退屈させないから!)」
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