水切りワタル!!!
小鷹 纏
序投 水切りワタル!
二〇××年、七月下旬。雑木林に挟まれた山道をひたすら登る路線バスが一台。貸し切りと間違うほどガラガラの車内に、緑豊かな風景と似つかわしくないオフィスワーカー然とした眼鏡の男が座っていた。
カッチリとした紺色のスラックスに、白い半袖カッターシャツ。荷物は黒のビジネス用バックパックと、手提げの紙袋。足元には磨かれた黒の革靴が光っている。
男の名は保坂優一、三十歳男性。文部科学大臣臨時補佐官を務めている。保坂は、一人の少年を訪ねるためにこの、太平洋に面した本州中西部の町に来ていた。
「(立派な河川ですね。なるほど、水切りに親しむには良い環境です)」
車窓から景色を眺めると、やや下方に大きな河川が見える。自然豊かなこの土地には立派な河川と落差百メートルを越える大滝があり、町の観光名所になっていた。
このバスが向かう先は、その滝だ。
「(東京よりは暑くありませんが……)」
七月ながらも日中の気温は三〇度を超えている。そのせいか、バスを降りて少し歩いただけなのに、汗が吹き出して半袖のカッターシャツが肌に張り付いた。
山道を登ること数分、目的の大滝に到着。観光地とは言え、平日の午後ではさすがに人は少なく、滝を斜め前に見渡せる展望エリアには他に誰もいない。
視界に飛び込んできた大滝は、頂上から二股に割れて降り注いできており、佇まいは勇壮。落差も大きく、圧倒されるような迫力がある。
「(ここに居るとのことですが、どの子でしょう)」
展望エリアから十数メートル下の滝つぼを見下ろすと、数人の子どもが水遊びをしているのが見えた。各々の持つ【ストーン】を滝つぼから滝に投じ、昇らせようとしている。どの子のストーンも、少し昇っては滝の勢いにチカラ負けして落下してしまっているが、何度も挑戦している様子は微笑ましい。
保坂は、バックパックから写真を一つ取り出して眺めた。写真には、ストーンを小脇に抱え、にっこり笑ってVサインする、ツンツン黒髪の少年が写っている。
「(水切(みずきり)ワタル君、十二歳。史上最年少の国内大会優勝者。僅か二度目の挑戦で、一万キロメートルの耐久レースを制した天才少年──)」
思い起こされる、日本代表決定戦。写真の少年【ワタル】が覇者であり、世界大会への切符を得た。一般的に十八歳~三十歳くらいが競技者の年齢層であることを考えると、圧倒的に若い。
単なる偶然や幸運が疑われるところではあるが、ワタルは真っ当に実力で強豪を下し優勝を掴み取っている。
長距離水切りで世界二十八位の記録を持つベテラン長瀬や、バトル水切りで世界十八位の若手ホープ間島、スプリント水切りで世界三十四位の試合巧者早川など。ワタルが戦った相手は、いずれも日本代表経験のある猛者達だった。
「(──ギリギリの勝利もありましたが……。粘り強さとピンチを跳ね除ける柔軟な発想には、目を見張るものがあります。……あっ、あの子ですね)」
ストーン投げている子ども達から少し離れて、滝つぼを眺めるように座っている半袖短パンの少年を見つけた。ワタルだ。写真を見比べて確認した後、大きく手を振って声をかける。
「おーい、ワタルくーん! 電話していた、保坂です! お迎えに上がりました!」
声が聞こえたのか、ワタルは保坂に気が付いて手を振り返した。……のだが。何か様子がおかしい。保坂の少し上を指差して、慌てた顔で何か言っている。
『保坂さ……、上から……、岩……』
「(何でしょう、良く聞こえませんね。岩?)」
意味がわからず不思議に思っていると、保坂の左肩にパラパラと小石が降ってきた。そこでようやく、ワタルの伝えようとしたことに気が付く。
「まさか、落石?!」
左斜め後方を高く見上げた先。切り立った岩肌に、今にも砕けて落ちてきそうな巨岩が見える。大きさが人の上半身ほどもあるそれは、退避しようとした瞬間に砕け、崩れ落ちてくる。
「(まずい、間に合わな──)」
『──【大和錦(やまとにしき)】っ! 【突っ張り】!!!』
身をかがめる保坂の視界に、白いストーンが一つ。展望エリアの欄干に飛び乗って一度跳ねたストーンは、保坂の頭上二メートルくらいで落石に体当たり。激しい衝突音が辺りに響いた。
「助かっ、た……?」
顔を上げる。シャツの肩に小石や土埃はついたが、一切怪我はない。ホッと胸を撫でおろしていると、下からワタルが上がってきた。
「保坂さん、大丈夫?!」
心配そうに尋ねるワタルの手に、白いストーン【大和錦】が戻ってきている。ソフトボールより一回りくらい大きい大和錦のボディには、傷一つついていない。
「はい、お蔭様で無傷です。本当に助かりました。ありがとうございます」
保坂が言うと、ワタルはにっこり笑った。
「助けられて、良かった! おととい台風が来てて、落石とかあるかもってうわさになってたんだ!」
あっけらかんとして言うところを見て、保坂は今さら、ワタルの実力を理解した。
「(下からここまで、二十メートルくらいでしょうか。パワーもさることながら、落石に当てるコントロールも素晴らしいですね)」
「どうかしたの?」
「いえ。あまり時間もありませんので、出発の準備を済ませましょう」
「! そうだった! うわー、もう出発時間になっちゃうよ!! もしかしてオレが遊んでたから、ここまで来たの?」
「まぁ、そうですね。お母様から、ここに居ると伺いましたから。あぁでも、先に寄ろうと思っていましたよ? ワタル君の育った環境を見ておきたかったので」
急いで準備しても東京への出発時刻には遅れてしまうのだが、保坂はワタルが気にしないように取り繕った。ワタルはもの凄く申し訳なさそうにしながら、一緒に遊んでいた友達に別れの挨拶をして、家に戻った。
保坂も同行してワタル宅に行き、手土産を渡したり、出発準備を手伝ったりした。
これから二人は、この地を出発して東京で代表出陣式に出席。翌日には飛行機で、東京から北米ロサンゼルスを経由して、第三十一回水切り世界大会の出発地点である、チリ・カルデラへと向かう。
──
《~~人間の運動能力には動物よりも部分的に勝っているものがある。一定速度で走ったり歩き続けたりする持久力や、道具を使えるほどの手先の器用さなどが一例だが、物を遠くに正確に投げる力、投擲能力もそのうちの一つだ。
古来より人間の投擲能力は優れていた。投擲できるサイズや重量では野生動物に劣るが、投げるという行為の正確性については人間の右に出る種は無い。筋力や運動能力で圧倒的に勝るチンパンジーなどの動物よりも速く、正確に、人間は物を投げることができる。
それに加えて人間は発達した脳により、強い精神力──【意思】──を持っている。これは自然物の【石】、つまり岩石や鉱石と反応し、石の持つ力を引き出したり、コントロールしたりできる。これこそ、人間が地球に広がることができた要因の一つで~~》
「──へぇ~。この番組面白いね、保坂さん」
イヤホンを片方だけ外して、ワタルは保坂の袖を引っ張った。保坂も同じくイヤホンを片方外して、穏やかに小声で返事をする。
「僕も好きです。この回は昔の再放送ですね。他の回も見られるみたいですよ」
「飛行機の中でテレビが見られるなんて、驚きだよ!」
前の座席の背面についた小さなモニターを見て、ワタルは喜んだ。東京を出発してから数時間経ったが、長いフライト時間にも関わらずワタルは元気だ。
「国際線は移動時間が長いですから、退屈しのぎは大切です。適度に眠ることもおすすめしますよ。それとワタル君、寝ている方も居ますから、『しーっ』です」
「!」
人差し指を唇の前に立てるゼスチャーを保坂がすると、ワタルはハッとして肩をすぼめた。申し訳なさそうに他の乗客に頭を下げてから、保坂にも頭を下げる。
「ごめんなさい。ありがとう、保坂さん」
「いえいえ。初めての長距離フライトですから、楽しくなるのは仕方ありません」
保坂が笑顔を見せたことで気を取り直したのか、ワタルは再びモニタに興味を戻した。今度は小声で何やら言っている。
「……次はどれを見ようかなぁ。『意思の力』にしよ。なになに、エジプトのピラミッド建設やイースター島のモアイなどの石を使った建築物は、意思で動かして作られいると言われており……って、すごーい、昔の人はこんな大きなストーンを動かせたんだ~」
その後もワタルは動画を見たり、眠ったりしながら移動し、無事チリに到着。三十時間近い移動の疲れを感じさせず、チリに着くなりイースター島のモアイ像を見に行って、モアイ像を意思で動かしてみたり、アタカマ砂漠でストーンを投げたり楽しんだ。
当然、試合までの調整練習を行いつつの観光であり、保坂はワタルの驚異的な体力に驚くばかりなのだった。
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