第十四話 信じたいってなんですかい?
授業、というのは中々に面白い時間だとオレは思う。
イミフが先生の説明によってなるほどに変わっていくのはかなり面白いし、そもそもカツカツ黒板に叩き込まれるチョークの音が結構好きだったりもする。
そもそも、先生方って結構年取っているのもあって個性的というか書き込みが確りしていて見ていて楽しげでもあるしなあ。
現代社会の髭面見た目熊さんな先生なんて、オレが調子乗ってくまさんだー、って言ってみたらぎゃおーって返してくれるノリの良さがあったりするし、人格的にもやっぱり年上って豊かだよな。
「でも、終わった後の宿題は面白くないな……」
そして、オレは配られた数枚のプリントにげっそり。記憶力良すぎなばかさねちゃんは、あまりに先に先に記憶しすぎてちょっと前のことを忘れがちなのが玉に瑕なんだ。
だから、ぶっちゃけ過去の記憶をほじくり返すなんて面倒なことをしなけりゃなんない宿題は苦手分野だった。
オレの意気消沈ぶりに、繋がっているツインまでげっそりしていないか、心配になる。
「ん……大丈夫そうだな」
そうしてオレは試しにふわっふわに仕上げた両ツインテールをむにむに。ああ、悪くない。むしろこれは中々心地良い感触だ。
こりゃ、女の頭をいたずらに撫でてぽっとさせがちな恋愛系主人公の気持ちも分かるというもんだな。ただ了承もなしに人のものを弄るのは礼節に欠けるので、オレは自前で我慢だが。
野球部の奴らの坊主頭のごそごそもいいけど、指に回せるするするも悪くないな。けどまあ、この程度でオレの心のもやもやは紛れてくれやしないんだけど。
あれだな、こうなったら。
「後で三咲先生に宿題写させてもらうか」
「あー……それ、先生が居る前で言っちゃダメな奴だからな、双葉。そして、それって結構バレてこっそり減点されるもんだから、止めといた方がいい」
「そうなのかー……って、あれ、熊先生。どうして休み時間の教室に?」
「いや、なんか双葉は髪の毛ずっと弄ってたみたいだけど普通にもう少しで授業始まるからな。英語のプリントは仕舞って、早く現社の準備してくれよ?」
「なんと」
すると、何故か目の前にずんぐりむっくりな熊さん先生こと大野先生が。薄めな短め髪の毛より濃い顎髭がキュートなおじさんな彼は、そこそこ話がわかるいい人である。
指示通りにオレは宿題を仕舞って、資料がやたら分厚い教科書セットを取り出す。そうしてから、後は授業のはじまりまで暇だ。
なんと一番前の席であるオレは、暇を潰すのに隣のクラスメートを使うわけにもいかない。見つかりやすいし、そして先生に怒られちゃったら可愛そうだからな。
だから、オレは熊さん先生が何やら手作りっぽい資料を教卓に広げているのを見つめるようになる。
そうしてその黒く日焼けした太い腕が、パツパツの丸い大きな背中がオレのパジャマにパンツにプリントされたアレを思い出させて、次第にたまらなくなったオレは叫ぶように言った。
「……くまさんだ!」
「ぎゃおー! ……って、教壇の上でやらすなよ」
「おー。やる先生もすごいノリの良さだなー」
授業直前に先生の熊さんぶりにきゃっきゃするオレ。ちょっと不真面目でばかさねちゃんっぽくないかもしれないが、こういう緩みもまあいいもんだろう。
後ろで癒やし、だのここに動物園を建てようだの言っている男子達の言葉はよく分かんないが、まあそれほど先生の熊さんぶりが迫真だったってことだろ。
でも。ふとオレは顎に指を当てて考える。そういえば熊さんって。
「先生、熊さんってぐわーじゃないのか?」
「ん? 先生はぎゃおーだと思っていたが……」
「はい! 私はがおーだと思います!」
「いやいや、ぐおーだろ!」
「……がーが鉄板」
「先生の顎ヒゲで大根おろしたい」
「ぎゃーじゃない?」
「ここはあえて、わんとかどうだ?」
「いや、お前らどうしてこんなに熊の鳴き声に対する熱意が……っ何か変なこと言った奴が居なかったか?」
「おー」
オレが思ったことを口にすると、今度は意見が出るわ出るわ、その中に熊先生のヒゲに対して並々ならぬ執着を持っているさとしの言葉も混じって実にカオスだ。
しかし、なるほどこれほどくまさんというものに対する印象は違うのか。そう思うと、人を一面で見てしまうというのは危険なことかもしれないな、とも考えちゃうな。
例えば、サッカーが好きだという男が実は野球センス抜群な可能性だってあるだろう。ならば、例えばがーぎゃー言い合うこのクラスの馬鹿騒ぎぶりを見ながら取り敢えず。
「でも……うさぎさんはぴょんだよな?」
それだけは信じたいのだった。
「ふぁ……今日もありきたりな一日だったなぁ」
「いや、熊さん先生とか結構授業どころじゃなかったんだけど……重ちゃんのありきたりないち日ってワンダー過ぎると思うの……」
「そうか?」
オレは、帰り道をいつも通り三咲と一緒しながら、そんな会話をする。
あの後の授業は結局、熊から発展して話題になった今川焼き対大判焼きの争いと現代社会の対比を上手く絡めてノルマをこなした熊さん先生の辣腕が確かに目立ったが、それくらいだ。
別に窓からケツアルコアトルスが飛び込んできたりなんてしなかったし、地下からチョコレートが噴火したりしなかったのだから、大概大丈夫だろう。
「うーん……命の危機とかあったら普通じゃないと思うが、オレ別に元気だしなあ」
「命に迫る刺激とか、それは確かに普通じゃないけど……それって、最近別れたっていうあの男関連のこと?」
「まあ、そうだなー」
「重ちゃんをそれほどもて遊んだのね……会ったこともないけど、もし見えたら覚えてなさい、白河ナントカ……!」
「うん?」
オレの隣で三咲がなにか燃えているが、それこそ、オレにとっての特別なんて、前世を思い出してから光彦たちと過ごしたあのような日々くらいだ。
それだって、大体終わってしまっている。まあ、最強だけれど平々凡々一般人なばかさねちゃんでは、特筆すべきことなんてそう起こらないということだろう。
そう、右も左も普通に流れていく人ばかりで、オレに気をつけて留まる人間なんてそうはない。
だから、ばかさねちゃんの最強パワーは、もったいないしてばっかりなんだな。でも、世の中それで良いのだろうが。
「ん?」
「どうしたの?」
そんな、当たり前の中で、しかし止まれの赤信号。オレは、嫌いな赤色を、地面に見つける。
アスファルトに乗っかった、少し空気に錆びついたその紅は正しく。オレは、思わず眉根を寄せるのだった。
「これ、血だな……」
「え? ホント? ……うわ、そうかも……って重ちゃん?」
「こっちに続いてるな」
「ま、待って!」
オレは、三咲の言葉を聞かずに血が点々と続く細道を急いだ。
血は、命。それは先に読んだ本を思い起こさなくてもよく分かる。
赤は、止まれ。いいや止まらない。だからこそ、オレは急いでこの血――だんだん血痕が明らかにな程大きいものになってきた――を追いかける。
そして。
「くっ……ここまでか」
「そうですね。ここが貴女の終着点。正義の終焉といったところでしょうか」
「おー?」
よくこんなところに通りがあったなというくらいに狭い路地裏にて、血溜まりに倒れていたのはどうも女子のようだった。血であんまりよくわかんないな。ただ、胸はない。
そして、その前には謎の黒い悪漢が。そう黒い。アレはきっとゴキブリよりも黒いな。思わずオレは声を上げてしまった。
「ん? 闖入者でしょうか。まあ、先に貴女を仕留めた次に……」
「や、止め……」
「ばかさねちゃんキック!」
「ぬぁっ!」
何やらよく分からないが、傷だらけの相手に仕留めるだの大人げない言葉を垂れ流す大人ってのはあんまり許せない。
だから、今回は最初から強めにばかさねちゃんキック(飛び蹴り)をオレは放ったのだった。
「ぐっ、なんて威力だ……な!」
「そして、ばかさねちゃん回し蹴りっ!」
「がっ」
飛び込み現場に入って女の子の様子を見たオレは、その全身の斬られっぷりに下手人に対する怒りを覚え、やっただろう黒い影みたいなのに思いっきり回し蹴りを入れてしまう。
あれ、これ大丈夫だろうか。手応え的にスカスカで肋骨とかなさそうだけど、あったら完全にバラバラだったろう威力だったな。
そうして、壁にべしゃんとなった真っ黒の。まあ、コイツはもう戦闘不能だろうと判断し、オレは倒れ伏していた女の子へと向かう。
「大丈夫かー?」
「あ、き、キミは……」
「あれ?」
まず、覚えたのは全身の赤の嫌な感じ。これだけ血が抜けていると、大変だろうと俺も思う。
そして、次に覚えたのはこの顔かたちに関する見覚え。どうにも整ったそれが、赤に染まっているのはなんとも色っぽくもある。
また、ずたずたになった衣類のフリフリぶりも、気にはなった。一帯のパステルカラーが、どうにも子供っぽい。全体的に、ちぐはぐだ。
つい、オレは唖然としてしまう。取り敢えず助け起こそうと頬に触れるオレ。すると。
「あ、重ちゃん、そ、その人……」
「三咲」
そこにやっと追いついた三咲が、赤い人影を見つける。あまりの血の匂いのリアルに顔色を青から白に変えた彼女は。
「その子って……一ケ谷さん?」
「なんだって?」
血溜まりの上でそんなことを言うのだった。
オレは、振り返り彼女を見る。この少女的フリフリを纏った胸のない人物が、まさか。
ふと見てみると、いつの間にか壁のヒビに埋もれていたはずの黒いなにかは消え去っていた。
「正解」
それこそオレよりも普通一般であったはずの、ただのTS少女だったはずの彼女は端正なメガネなしの愛らしい顔を上げて、そんな風に応え。そして。
「あはは……後、よろしく」
ぱたり、と笑顔でそれだけ言って今度は気を失ったのだった。長いまつげが閉じるまでを認めて、そうしてオレはぽつりと呟く。
「え、これ全部オレたちが片付けんの?」
そうして警察救急車と叫びながら電話をかけんとしている三咲と共に、夜遅くまで多くの大人からの聴取などを受ける羽目になるのだった。
そして、その中で語った一言。
「んー。蘭とオレは友達だぞ?」
それだけは信じたいのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます