番外話① 愛することは、簡単なようで難しい

 愛することは、簡単なようで難しい。心のままに素直にぶつかるというのは、どうしたって恥ずかしくなってしまうもの。

 薄皮一枚すらない真心は、傷つきやすくって仕方ないから。


『光彦! オレ、お前のこと好きだぞー!』

『また唐突だね……そもそも、好きとか同性相手に言うもんじゃないよ?』

『なんでだ? 別に性別とかどうでもいいだろー、オレのお母もお父もオレがちっちゃい頃ベッドの中でちゅっちゅしながらよく言い合ってたぞ?』

『いやいや、なんで幼子を忘れてピロトークだか何だかカマしてたんだよ君んちの父さん母さん……亡き後でも子供に悪影響でちゃってるじゃないか』

『ピロ? よく分かんないけどさ、思ったことって直ぐに言わないと、忘れちゃうからもったいないだろ? だから言っただけだぞー』

『いやさ、気持ちは嬉しいよ? でも、こうタイミングを見計らって欲しかったな……』

『うん?』

『周りが黄色い声で騒いでんのわかんない? 今クリオと沙羅が付き合い出した、っていう話題の最中だったから、周りが勘違いしちゃってるんだよ……』

『え? あいつら前から付き合ってるだろ? 前も休み時間に隠れて沙羅ちゃん、クリオにおっぱい触らせてたぞ? ……あ、これ言っちゃダメだったんだっけ』

『そこんとこ、くわしく』


 しかし、僕の親友は痛みに怯えるなんて小賢しさを知らなかったようだった。

 口を開けば、本音本心の羅列。マトモでは隣り合うのが難しくなってしまうくらいに、彼は正直だったのだ。

 自分以外のことにも真剣で、どうしてだか筋肉に拘るそんな青年。彼に好きと言ってもらう以前から、ちょっとイカれてるところのある僕は、そんな純真がとんでもなく好きだった。


『筋肉には、プロテイン。これは真実だな!』

『はぁ、はぁ……かもしれない。だからって、インドア派な僕に、プロテインの味を好ませるためにと、過度な運動を強いるのは……はぁ、どうかな』

『ぷはー……過度? そんなに大したことしてないだろ。腕立て背筋腹筋、スクワットに鉄棒、あとはランニング程度だ』

『あのね、キミには大したものではないのかもしんないけど、部活すら入っていない僕にはそれでも重労働なの』

『んー……えっちなゲーム借りるためなら、隣町のおじさんのとこまで平気でノンストップで駆けてく奴のセリフには思えないな!』

『疲労もスパイス。追い込んでこそ、エロ。それこそこの世の真実だよ……』

『あはは! 相変わらず光彦は意味分かんないな! ……って、プロテインイチゴ味に、はちみつ振りかけるなよー! カロリーとんでもないことになるぞ!』

『ふぅ。カロリーってエッチな響きだよね……』

『思春期こじらせすぎて、最早イミフだ! 光彦、お前きっと糖分過多で脳やられてるぞー!』

『失礼な』


 突っ込んで、突っ込まれる。そうして下らないを続けて笑顔になっていく。ああ、仮面が要らないというのは、どれだけ素晴らしいことか。

 本心。特に己の中のエロなんて隠すものだと、思っていた。しかし、コイツのバカの前では、僕の性癖すら霞む……霞んでくれてたよね、きっと。

 まあ、とりあえずは僕の面構えの良さに期待される下心の無さを、そんなものくそったれと本音を受け止めてくれる彼を僕は大切に思っていたに違いない。


『あー……あのさ』

『んー? なんだ?』

『僕もさ、キミのことが……す』

『す? なんだー?』

『す、す……スケベだな、キミは』

『わわ、変態にスケベと言われたぞ! オレ、いつの間にか光彦が感染っちゃったのか?』

『キミの中で僕は変態性病原菌なのか……』


 でも、大切なものを大切にするって、やっぱり意外と難しかった。それこそ、本心すら伝え難い。

 好きだからこそ、安心できる。でも、好きと伝えられないじれったさ。それが、友愛でも存在するとは僕は知らなかった。


 しかし、それでも僕には明日があると思えたのだ。彼との絆が強くつながっているのは間違いなくて、ならば何時だって想いは伝えられる。

 そう。僕は彼を信じているから。


『それじゃ、またな!』

『うん、また明日』


 宵の前、赤く赤く染まった地平に影は長く。

 そんな全てを呑み込む黒を前にして、僕らは手を振って明日の再会を約束する。

 またバカをやろう。それだけの約定は、果たしてどれだけの強さで結ばれていたのだろうか。




 それは、通りすがっただけ。ただお腹が空いたからと、近くで一口つまんだばかり。

 でも、その食事の対象が僕の身近であったとしたら。


『えっ――――』


 ああ、惨たらしいとは、このことか。

 生きていただろう赤は、最早黒く黒く壁に散らばって死んでいる。

 そして、その中心の開かれた二人は。よく見覚えのある、大切は。白く、青くて、中に何もなかった。


『お母さん? お父さん?』

『ん? ああ、なるほどお前がここの……』


 闇の中、紅く死が、見つめてくる。



――

――――

――――――――――




『それで?』


『光彦……』


『お前が、大切だ』


『――を、返せ!』



――――――――――

――――

――



 そして僕はその夜、全てを失った。





 ふわりふわり、白が青い空に飲み込まれて消えていく。まるで、全てが無意味であったかのように。

 果たして、この煙に魂は確かに乗っかっているのだろうか。彼らの命が、どうか天で安らいで欲しいと思うくらいは、許して欲しい。

 僕は遠く、火葬の煙を望みながら、そう思った。しかし、そう思っただけ。

 あとに繋がる想いも沸かず、黒衣の大小誰もかもが僕に触れるのを戸惑う中で、孤独の中に思わずこぼしてしまう。


『……死ねばいいのに』


 それは、自分に向けたもの。もう、僕に生きている意味なんてないのに、どうして生きてしまっているのか。

 大切は全て死んだ。あとは、よく分からない、わかってくれない有象無象。そんな中で、どうやって活きられるだろう。


『でも』


 だが、本当に死ねばいいのは誰だったか。僕の両親と、親友を殺した存在は、人知れずに消えた。

 裁かれず、化け物だからと。そんなこと、許されるのか。


『許すわけ、無いだろっ』


 確かにアレは、どうしようもない。格が違うのは分かった。赤いだけで、全てを敷いている。

 でも、たとえどうしようもないからって、諦めてなるものか。そんなに、僕の想いは易くはない。


 そう、きっとたとえ一人でも、僕は否定し続けるだろう。


『ああ』


 だから、僕は。

 最後にただ一度だけ、肯定をしたくて。


『本当に―――好きだった』


 本心を、彼らの煙が溶けた空に告げるのだった。




 そして復讐心だけを基にして、僕は約束した、彼のいない明日を生きていた。

 最中、吸血鬼を知る。そして、それを求めて自分を殺して殺して、やがて彼らを殺し始める。それからずっと殺して、殺した。

 それを続けて、僕はとうとう彼女と知り合う。


『あらあら。凄腕の葬儀屋と聞いたから見に来たら、全くどうして愛らしいものね』

『お前は……』

『ワタクシは、イクス・クルスよ? 迷い子さん?』


 そして、極東にバカンスに来たのだという吸血姫と僕は殺し合った。

 斬って、斬られて、血に塗れて。たとえ微塵にしたところですら斃せずに。

 でも、僕が諦めずに刀を振るい続けたところ。


『あは』


 そんな僕の姿は偶に彼女の胸元に刺さったようで。実際に、串刺しになったまま。


『良いわね……良いわ! 愛してあげましょう!』


 音すら殺す緊張の中、あっけらかんとイクスは、笑顔でこう言った。


『その復讐心をいただきましょう――――ワタクシは貴方に恋をあげるわ』


 それが、魅力的に思えたのはどうしてだろう。

 きっと、一人が辛過ぎたせいかもしれなかった。あいつも、あの人たちも居ない、痛いだけの今は嫌だった。


 知らず、復讐に疲れに疲れていた僕は、云とだけ返して。


『……ありがとう、光彦』


 そっと、きっと僕より孤独だった彼女に抱かれる。



『ワタクシも、貴方の復讐を手伝うわ。この身、朽ち果てるまで、ずっと、ワタクシは不死者の死であり続ける』

『ああ、僕もイクス、君の恋に応え続けよう。この生命尽き果てるまで、ね』


 そして僕らは互いの命で契ったのだった。




 また、殺して、殺して、しかしその間に生きることを挟むことが次第に出来るようになっていった。

 一人が二人になれば、まがい物でも情が通うようになれば、それだけで世界は変わるものだから。


『だから私は、貴方達に傅きます』


 そして、沙織が家に居着くようになってからは、もう復讐に明け暮れてばかりではいられなくなった。

 定職に就いた僕は、吸血鬼なんてバケモノのことばかりを考えられないくらいに仕事に明け暮れだす。

 やがて、僕らから十分な金銭を得たイクスは漫画の山を作り、そして沙織はメイド服を着込んで給仕などを始めだす。


 吸血鬼の姫と、元いいところのオジョウサマがやることが、それだ。どう考えても、おかしい。


「はは」


 そう。おかしかったのだ。だから、僕は笑えた。笑えるようになったのだ。


 そして。


「白河光彦さん、ですよね。オ……いや、ワタシのこと、覚えていません?」


 彼そっくりな、彼女とした。




 大ぶりのツインテールが愛らしい、美少女ではある。だが、違和感だらけの少女、かさねちゃん。

 僕は彼女の話を聞き続けるに、どうにも見た目の年齢が想定される年と合っていないことに気づく。

 ああ、これは。どうして向こうからやってきたのかはしれないけれど、彼女も吸血鬼なのだろうと僕は思った。


「いや、だってキミ。きっと百年クラスの吸血鬼だろう?」


 だから、そう言う。でも、本当は違うと返して欲しかった。

 これだけ似た感じなのだ、この子は憎い吸血鬼なんかじゃなくて、むしろ約束を守ってアイツが帰ってくれたのだと、そう思い込みたい。

 好きが、続けて返ってきた。そんな理想を求めて。

 けれども、かさねちゃんは、曖昧に頷くのだった。


「えと、ハイ」


 ああ、ならこの彼と似た吸血鬼も殺さなければいけないんだ。

 善良にも見える。だがどんな吸血鬼なのか、どう殺せばいいのか様子を見るためにも仮面を被って会話を続けながら、僕は久しぶりに、悲しく思うのだった。





「カサネ、どうしましょうか?」

「ああ……かさねちゃんは、凄いね。光に凄まじい耐性がある上に、精神性が殆ど人間のそれだ。更には、封印されているのか完全に牙が折れていて人と見分けもつかないくらいだし……」

「とはいえ、あのムサシミヤモトばりの完成された脱力、四方に対する準備振りを見るに、只者でないのは間違いないわね」

「最初はただの無警戒にも見えたけれど、自称通り、吸血鬼、なのかな……」


 かさねちゃんが帰った後に、僕らは密かな会話をする。

 いつの間にか置かれたティーカップの中の紅茶をいただきながら、そういえば自分は何時から砂糖いらずに渋みをいただけるようになったのだろうと思った。

 だが、そんなのは、ただの現実逃避。温かいものを差し出してくれた、無感情にメイド服を着ているばかりの冷たい彼女は呟くように、言うのだった。


「だとしたら、殺さなければなりませんね」

「そう、だね……」


 そう。だったら、殺さなければならないはずだ。それは、契約からも、そうでなくたって燻り続ける復讐心からも。

 だが、どうしたところで、彼女を前にそんな気持ちは起きない。なぜなら。


「ねえ、光彦。貴方あの子のこと、好きでしょ?」

「ああ」

「ふうん」


 そう、好きだからだ。

 あの、純真さが好ましい。その、笑顔に心温められてしまう。

 だって、彼女は見れば見るほど、触れれば触れるほどに、彼そっくりだったから。


 でも、そんな浮ついた気持ちを見た彼女は、不安げに言うのだ。


「……ワタクシよりも?」


 僕は、はっとする。イクスの長い金のまつげは揃って下を向いていた。

 そう、契約して、恋して、愛し合った彼女を不安にしてしまうのは良くない。


「そんなことは、ないさ」


 だから、それだけは言えた。でも、言えただけだったのだ。


 本当に、僕はあの子に害意を持てるのか、恋する定期的に人を殺しているバケモノの方を優先していいのか。

 分からない。


 でも、心配げに、冷たいばかりのはずの彼女がホワイトブリムを揺らして見つめている。

 そして、恋を受け止めて混じり合ったイクスは変わらず不安げなままだ。


 過去の約束。また明日。でも、それを忘れて今を生きてしまっても、そろそろ良いんじゃないだろうか。

 そう。もう、未だに取り戻したくてたまらないあいつのことなんて。


「もう、どうでもいいんだ」


 それにもしかしたら、があることだしと苦笑し、僕は嘘を吐いたのだった。





『ふふふ』



 そう、僕は本気じゃなかった。きっと、だから大切を守れないのだろう。


 愛することは、簡単なようで難しい。

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