第三話 催眠ってなんですかい?
「三番テーブル、天丼2!」
「はい!」
「カサネ、次はカウンター席にBセット持ってきなさい!」
「ほいなっ」
右手に丼ぶり二つ、そして左手におかず日替わり焼肉定食をお盆に持ってオレは指示通りに店内をすたすた。満席の合間を縫って、飯を運ぶ。
まあ、要は家のお手伝いってやつだな。よく駄賃もらうために家の風呂掃除を買って出る友達の話を聞いたりするが、そんなもんだ。大したことじゃない。
しかしそのテキパキ振りはなかなかのものと自負してる。クラス対抗リレーでもうばかさねちゃんだけでいいんじゃね、と言われた速度が火を吹くぜ。
ぱぱっとカウンター席に……えっと、なんだっけ。そうだ天丼二つだ。
「はい、おまち!」
「おお、ありがとう……ん? 僕が頼んだのは天丼じゃないよ? それも二つも……」
うん? ああ、間違っちまったか。
オレこれでも人を中身で判断するタイプだと思うんだが、今回はこのぷよぷよお兄さんなら二杯くらいぺろりとしてくれると期待しちまったんだ。
正直に、オレは口に出す。
「ありゃ、お客さんめっちゃ食いそうだから勘違いしちゃったな。 本当にBセットだけで足りるのかい?」
「うう、僕だって自分がメタボだとは分かってるけどさ……そんなに太って見える?」
「うん? 立派なお腹で健康的だな! オレとしちゃ悪くないぞ!」
「そ、そうかい?」
そりゃそうだ、ちょっと腹出てたって元気なら構わないだろ。お相撲さんのものと比べたらぺちゃんこなそれだって、健啖家の立派な証ってことで嫌いじゃない。
お客さんも顔を赤くしてなんだかちょっと照れてるみたいだが、もっと自信持ってほしいもんだな。オレなんていくら喰っても腹も胸もこれっぽっちも出てきやしないんだからな。
しかしオーダーミスか。これはヤバいな、と思っていたら当然のように影が。上背あるオレのお母が鬼の形相でオレを見下げていた。
「こらっ」
「げ、お母……ぐえ」
「カサネ、なにオーダー間違えてんだい! 謝んな! ……ウチのバカ娘が申し訳ありませんね、お客様」
「ごめんなさい」
そして、お母のその大きな手でオレは頭を無理やり下げられる。いや、自分で出来るんだがな。普通に悪かったとも思うし。
とはいえ、間違ったらごめんなさいは確かに当たり前だった。よくないな、とオレも反省する。
「いや、気にしないで下さい。はは、素直ないい子じゃないですか」
「それで済めば良いんですがねぇ……ほら、カサネ、ボサッとしてないで冷える前にそのお盆の上片付けちゃいな」
「うぇいっ! まずはお客さんにBセット!」
「はは、ありがとう」
そして、許されたならさっさと動くのは当たり前だ。気合の掛け声ひとつ、膳を渡してオレはまた足元をきゅっきゅいわせながら店内を歩く。
「天丼おまち!」
直ぐに三番、のテーブルにオレはやってきたオレは、今度こそ正しく天丼を渡せた。
座っているのはカップルなのだろうか、毎日のようにやってくる常連さんだ。確かサチさんにケイマさんとか言ったっけ。オレがお母に怒られた顛末を目にしたのか、ケイマさんは意地悪に微笑んで言った。
「おお、来た来た。カサネちゃん、遅いぞー?」
「すみません、間違えちゃいました。おふたりとも冷めてたらゴメンなさい!」
「あは。素直でいいなあ、カサネは……どう、あたしの妹にならない?」
「はは、そうしたらカサネちゃんがボクの未来の妹になるのかな? それはいい」
「はぁ。随分幸せな夢見ちゃってるねー、この三番テーブルの二番くんは……」
「三番テーブルの二番くん!?
「ああ、三番テーブルの三番くんだった」
「あっという間に、更なる番付け落ち!? テーブルと数字並んじゃったよ! これじゃゾロ目だ!」
返答する間もなく、何か盛り上がるカップル二人。
ケイマさんは青くなってるが、サチさんはにこにこ楽しそうに笑ってる。これはいちゃいちゃしてるんだな、とオレもなんとなく分かった。
でもしかし、妹か。前も今度も一人っ子だったし考えたことなかったな。お姉ちゃんとかいたらでも、楽しそうだ。
サチさんはちょっといじわるな感じだけど、時々頭なでてくれるいい人だし、悪くないよな。まあ実際は無理だろうけど、試してみよう。ええと、オレが妹ならサチさんは。
「お姉ちゃん?」
「……ぶはっ!」
「ぐはっ! これはヤバい! 可愛すぎる! もう何番でもいいや……結婚してくれ、幸」
「桂馬、あんた完全にカサネ狙いに切り替えたわね……お兄ちゃんって言われたいんでしょ。うう、でもその気持わかる……」
「うん? お兄ちゃん?」
「ごふっ! カサネちゃん、お、お兄ちゃんをそんな純な瞳で見ないでくれー!」
お姉ちゃん、お兄ちゃん、とかそんなはじめて口にする言葉を出してみたところ、二人は胸を押さえて変な様子をし始めた。
なんか言動が支離滅裂だ。萌えとか尊いとか、何のことなんだろうか。
まあよく分からないけど盛り上がってるならいいかな、とオレが思ってると。
「わ」
「……っ」
振り向けばまたそこに鬼の姿が。オレがまた怒られるのかとビクッとすると、お母は静かにオレの名前を呼んだ。
「カサネ」
「お母?」
「……あんたは、私の家の子だからね」
お母は何を言いたいんだろう。そんなの当たり前だろうに。でも、まあそんな当たり前がオレには嬉しいから。
「うん!」
ただ笑って、ぶんと頷くのだ。踊るツインテール。満足そうに、お母も笑い返してくれた。
「最高だな、この親子……」
「……女将さんもカサネちゃんもあったかい、あったかいよ、溶けちゃいそうだ」
「俺はこの店を守護るためならこの世界すべてを敵に回しても構わない……」
するとなんだか他の常連さん達がうるさくなったけど、そんなのどうでもいいや。
さて、次のオーダーは。っと。今行くぞー。
「うーん……」
客の入りが随分と落ち着いた店の中。手伝いを済ませたオレは今度カウンター席で宿題をこなす。
しかし、ちょっと進みが悪い。下手したら、店じまいまでに終わんないかも。お母にまた叱られるな。
「むむむ……」
ずっと、数字と式に悩むオレ。二回目だけど、ホントに勉強って慣れないもんだ。
あれだよな。学ぶのってなんでこんなに面倒なんだろうか。そんなことしなくたってオレは頭いいに決まってるんだがな。
頭をつかうというなら頭突きとか知恵の輪を外すのとかの方が楽でいいと思う。
頭突きはオレの得意技で語るまでもないだろうし、知恵の輪とかあれって思い切り引っ張り続けるとスポンと取れるから、授業それだけでいいのに。
「ふぅむ。お困りのようですね」
「ん? お客さん……わ」
そんなこんなを思っていると、なんか隣から声をかけられた。
そしてそれがホワイトブリムを載せたメイドさんだったからオレもびっくりだ。
こんな飯屋には場違いな白と黒のふりふり姿。更に直に見ても気配が薄い不思議。あまりのミスマッチにめまいすら覚えたオレに、彼女は言った。
「ふむ。なるほど、流石に隠形は通じませんか。ただの勘がいい素人か、はたまた本当に常識外のモノなのか……前者だったら楽だったのですがね」
「おんぎょー?」
「白河様から聞いていますが、なるほど白痴のように無知なのですね。とぼけている、とも見えませんし……よほど強い封印をかけられたのでしょうか」
「白河? ん、あんた光彦の知り合いなのか?」
「ええ。申し遅れました。私、白河様の契約者であるイクス様の従者である、
オレの周りの人間がよく分からないことを言うのはよくあることだ。だが、クウシキサオリさんとやらが言うことは現実離れしていた。
そして、そんなサオリさんが光彦と繋がっているのにびっくりだ。あいつはどこでこんな美人と仲良くなったんだろう。
眼前の客の目も気にせずあくびをするお父を尻目に、長髪黒髪メイドさんな彼女はメガネを正しながら、オレを見つめている。
「じゅうしゃ? 従者か。メイドじゃなくて?」
「ええ。この格好は、ただの趣味です」
「趣味なのか……なるほど」
しかし、実はサオリさんは職業メイドさんではないみたいだった。
イミテーションメイド。コスプレって奴だな。そりゃオタク趣味だった光彦と気が合うわけだ。
オレが納得を覚えていると、メイドではなかったサオリさんはむしろ視線を強くしてオレに尋ねる。
「それで、双葉様。貴女にひとつ質問があります。構いませんか?」
「うん? 光彦の知り合いみたいだし、オレが答えられることなら大丈夫だぞ?」
「では、一つ」
椅子を動かしきゅ、っとサオリさんはこちらへと向く。居住まいを正し、エプロンドレスの上に両手を置いてから、彼女は疑問を口にした。
「どうして貴女はそんなバカのふりをしていらっしゃるのですか?」
「ん?」
しかし、その言葉の意味がオレにはまるで分からない。
こんなクールなオレを捕まえて、バカとはなんだ。そもそもオレはありのまましてるだけで、バカだろうが何かの振りなんてすることはないのに。
何か誤解されている、と分かったオレは毅然と返した。
「オレは賢いぞ?」
「それは予想しています。記憶が封印されたとて、知恵まで悪化するとは考えにくいことですし。しかし、貴女がするそのまるで物知らずの人間の小娘のような立ち振る舞いはいささか……」
そうか。この人の瞳の灰色に似ているものがあったな、と思ったがそれは今分かった。鉄なんだ。
冷えた金属のようにオレを見つめるサオリさんの果実の唇は、ゆっくり動いた。
「気持ちが悪い」
気持ち悪い。なるほど、そう見えたか。ショックだ。とはいえ、初対面の人に言われたのだから、そこまでではないが。
オレは小さくつぶやく。
「そっか……」
「もっと傍若無人に振る舞うことこそ、らしいと思ってしまいます」
ぼうじゃくぶじん。ああ、それは確か勝手気ままにすることだったか。
いや、それはマズイ。そんなことをしたらお母に拳骨食らわされるのは間違いないし、それに。
「いや、飯食わして貰ってるんだから、礼儀ってのは必要だろう?」
そんな、当たり前のことをオレは言った。
「なるほど。貴女はそういう方、なのですね……」
そして、そんな名言を聞いたら、合点がいくのは当然。サオリさんも納得いったようだ。
しかし、ホワイトブリムを傾げさせ、彼女は思案顔を作る。そして、嘘っこメイドさんは言った。
「……記憶が封印されていて契約者なしでどうやって身体を維持していらっしゃるかどうか不思議でしたが、実は彼らに催眠をかけて意識的に吸血していた、と。そしてその駄賃代わりに人として振る舞っている、と」
「うん?」
オレはまたまた首をこてん。太い髪束のひとつがテーブルから落ちるのを感じるのだった。
また何か勘違いされているような。しかし、言ってることが契約とか封印とか、光彦にそっくりだ。案外この人、あいつの彼女さんだったりして。
オレがそんなことを考えていると知ってか知らでか腑に落として微笑んで、妙なことをサオリさんは言うのだった。
「貴女は酷いヒト、ね」
酷い、とはあんまりな言いようだと思う。思うけれど、まあ何だかこの人嬉しそうだから、それでもいいか。
「……せっかく来たんだから、何か頼んでいきなよ」
ただ、なんかこのまま帰っちゃいそうな雰囲気があったので、オレは公式に採用されているオレ手書きの店のメニューを渡すのだった。
すると、微笑んで彼女は言う。
「そうですね。なら……ここに載ってるお料理、全部いただきます」
「は?」
先も考えた気がするがこれまでオレは、自分を人を中身で判断するタイプだと思っていた。
でも、まさか目の前のつついたら折れちゃいそうなくらい細身の女性がそんな頼み方をするとは想像もしていない。流石にこれにはオレも目を丸くする。
「ひえー」
その後オレは、めちゃめちゃお手伝いした。
「ごちそうさまでした」
サオリさんはしっかりと全部キレイに食べてった。
実は彼女はフードファイターか何かだったのだろうか。すごい。
「すやぁ……」
そして、配膳に疲れたオレは、宿題するのを忘れて寝てしまう。
だから先生にまたかと怒られる未来を知らずに寝るオレは、今日はまあ大体大丈夫な一日だったと思い込んでいた。
『それで、カサネと言ったかしら。彼女はどんな子だった?』
『そうですね。あの方は……お嬢様と気が合うかもしれませんね』
『そう……うふふ。邂逅の日が楽しみだわ』
そう、オレは自分が相当にやらかしてしまっていたことなんて、まるで知らなかったのだった。
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