あんぽん譚
きさらぎ
第1話 耕太郎見参
耕太郎が生まれてしばらくの間、家族は町場で暮らしていたが、小学校に入る時分に母方の祖父母の家の離れに移り住んだ。横浜とは言うものの、それは名ばかりのひどい田舎で、あるとき祖母がこんな話を見参聞かせた。
「この辺りは今だって大して拓けちゃいないが、おばあちゃんが嫁いできた頃は家も数えるきりしかなくてね。街灯なんてものもないから夜になると真っ暗で、外に出るのが本当に怖かったよ。それでも用があるときは空を見上げて歩いたもんさ。」
耕太郎の眉間にしわが寄るのを見逃さず、祖母はすぐに話を続けた。
「それ、道の上には木が生えないだろう。頭の上も枝葉が案外疎らなんだよ。だから、月があるときはそれを目印に歩いたのさ。」
そんな田舎で暮らしていながら案外退屈せずに済んだのは、テレビが一般の家庭にもすっかり普及して、子供向けの番組にも事欠かなかったからだ。飽きることなく何時間でもブラウン管の前に座を占めて悪いやつらをバッタバッタとなぎ倒す主人公の姿に心躍らせた。誕生日に買ってもらった変身ベルトを腰に巻き、補助輪のついた自転車の前かごはヒーロー仕様にデコレートされていた。敬意は人一倍強い。しかし、将来、正義のために戦おうという子どもらしい気概を持つことはなかった。それはヒーローは孤独で、常に死と隣り合わせであることを見抜いていたからだ。幼い耕太郎は母が時として苛立たしく思うほど臆病で、意気地がなかった。
ある日、家族で遊園地に遊びに行くと、偶然にもその日のアトラクションの目玉は『快傑ライオン丸ショー』だった。耕太郎の胸はそれまでになく高鳴った。ライオン丸も憧れのヒーローの一人だったからだ。
「お父さん、ライオン丸いるの?」
「ああ。よかったな。」
「うん。会える?」
「そりゃ会えるよ。」
「探しにいこうよ。」
「そんなに慌てなくたって逃げやしないから大丈夫だ。」
父親は笑いながら答えた。
「いいから、早く!」
町へ出ると見るもの聞くもの何もかもが珍しく、刺激的だった。きょろきょろふらふらしているうちに決まって親からはぐれた。だが、この日ばかりは勝手がちがった。うれしさよりこみ上げてくる緊張に胸を押しつぶされそうになっていた。母親はまだ赤ん坊だった妹を抱きかかえ身動きが取れない。それで父の手を引いて必死でライオン丸を探し歩いた。これが迷子以上の不幸の始まりだった。
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