第3話 赤い瞳は夜に輝く

 律とひなたの親子は夜通し駆けた。光徳は「二人を処刑した」と報告してくれるだろうが、厳康がそれを鵜呑みにするかどうかはわからない。何しろ用心深い人物である。勘づいて追手を差し向けて来る可能性は大いにあった。もしくは領内に「二人の姿を見たら即刻捕えよ」と命令を出しているかもしれない。なので、律とひなたは人目の多い往来を可能な限り避けて進んだ。幸い、途中で捕まるような事は無く、数日をかけて氷陣家の領内を脱出した。


(追手が来るような様子は無かった。もしかしたら本当に私達が死んだと信じたのかもしれない)


 律はひとまず安堵したが、本当に大変なのはこれからだという事も分かっていた。現在の二人には頼れる相手も場所も無いのだ。律の両親は子供の頃に亡くなっており、実家と呼べるものは既にない。


「・・・・・・かあさま?」

「大丈夫ですよ、ひなた」


 不安そうな表情を浮かべる息子の顔を見て、律は己を心の中で「弱気になるな」と叱咤する。まずは光徳に提案された通り、別の四雄家の治める土地に逃げるの最善手だろう。

 八百年前に妖神を討った伝説の四人の武士「四雄」は互いに深い信頼と絆で結ばれていたというが、彼らの子孫は違った。帝によってさまざまな特権を得た四雄の子孫達は、次第に権力を巡って相争うようになったのである。時には子飼いの兵による軍事的な衝突さえ起きた。近代に入ってからは様々な政治的改革によって四雄家と言えども私兵を持つことは禁じられた事もあり、表立った殺し合いこそしなくなった物の政治的な争いや暗闘は未だに続いているのだ。


天楼院てんろういん家か、紅連こうれん家か。それとも野津地のづち家か。 あの人が一番警戒していたのは紅連家だった筈)


 紅連家の現当主、紅連開斗は相当な変わり者らしいが、同時に政治的手腕は凄まじく稀代の傑物だともっぱらの評判だ。それに彼の領地なら決して近くは無いが何とか徒歩でも行ける距離だろう。 天楼院家はかつては四雄家の中では一番の影響力を持っていたが、現在は没落の一途を辿っている。野津地家は氷陣家と仲が良い。下手に逃げこめば捕まった上に氷陣家へと送り返されるかもしれない。


(紅連家の領地に向かおう。まずは落ち着く先を見つけないと)


 律とひなたの道中は決して楽なものでは無かった。光徳が授けてくれた金銭も元々多くは無い。いくら倹約しても瞬く間に路銀は尽きた。食べ物を確保するのも苦労する有様で、道中で木の実や野草などを採って飢えを凌いでいた。

 しかし、そんな中でも一つわかった事がある。それは、ひなたの身体能力が異様に発達している事であった。 同年代の子供に比べても、ひたなの体格は寧ろ小さい位なのだが、木の実を取るために大人ですら登るのを躊躇うような高い樹木にまるで猿のように容易く登っていくし、川で泳いでいる魚に石や銛のように削った木の枝を投げて仕留めることもあった。氷陣家に居た頃は屋内で本を読んだりして過ごすことが殆どであったにも関わらず、この様な芸当をやってのけたのだ。その度に律はひなたの頭を撫でて褒めていたが、内心は不思議で仕方がなかった。

 そして更に律を驚愕させる出来事が発生する。


 その日、道中で日が暮れて辺りはすっかり暗くなった。日天国はこの半世紀ほどの間に帝の意向もあり、西方地域の国々の先進技術を積極的に取り入れて近代化に勤しんでいた。全国のあちこちで山を切り開いては道路を作り、街灯を設置して真夜中でも光が絶えぬようにして来た。しかし、律達が現在いる場所は開発が遅れているらしく街灯はおろか周囲には民家も無く、やむ無く野宿をする事になる。

 獣を避ける為には木の上などに移動するのが一番良いのだが、律は木登りが不得手であった。ひなた一人なら問題なく登れるが、律と離れることを嫌がったので、二人で地面に筵を敷いて休む事にした。

 ひなたはすぐに寝息を立て始め、律自身も意識が落ち始めた頃に、暗闇から奇妙な声が聞こえ始めた。


 クケケケ······。


 まるで人を嘲笑うような不快な声である。だが、どこかおかしい。


(この声は・・・・・・人の声では無い?)


「かあさま?」


 眠っていたひなたも目を覚まし、瞼を擦っている。


(まさか・・・・・・ばけもの?)


 律はひなたの身体を抱き寄せて、光徳から受け取った太刀、白光を抜いた。闇夜の中でもはっきりと見える刀身の輝きが頼もしい。光徳には「路銀に困ったらこの太刀を質屋に預けるように」と勧められてはいたが、結局手放さずに居た。

 剣など持った事すら殆どない律であったが、見よう見まねで声をした方向に向けて太刀を構える。

 ガサガサと茂みが揺れると、複数の人の様な形をした影が姿を現した。大きさは人間の子供程度だが、手足が枯れ枝の様に細く下腹が異様に膨れ上がり、顔は醜悪で人間の子供の様な愛らしさは微塵も感じられない。肌の色は見るからに不健康な青白で、口元からは牙が覗き、涎をだらしなく垂らしていた。


(これは、餓鬼がき!)


 餓鬼とは日天国を含む東方地域に多く生息する妖である。常に飢餓状態にあり、四六時中口にできる物を求めてあらゆる場所を徘徊している。餓鬼その物の力は非力であるが、常に集団で行動しているのが厄介な点であった。村や町の中に侵入した餓鬼が、親が目を離した隙に赤子を攫って食い殺す事件が定期的に発生している。

 妖退治に慣れた武士もののふや、退魔師ならば餓鬼程度なら瞬く間に追い払うか退治してしまうだろうが、律にはそんな能力は無い。手にしている刀こそ業物であるが、所詮は素人である。


 クケケケケケ!


 不快な声が鳴り響く。容易く仕留められそうな獲物を見つけた歓喜の声だろうか。抜き身の太刀を持った律の姿を見ても、ゆっくりと歩きながら距離を詰めて来る。

 律の視界には五体の餓鬼が確認できるが、見えていないだけでもっと居るか、最悪囲まれている可能性もある。荒事には慣れな律ではどうあがこうと勝てる相手ではない。しかし、逃げようにもこの状況でひなたを連れた状態では不可能に等しい。 


(ひなただけならば逃がせるかも・・・・・・)


 この歳で驚異的な身体能力を持つひなたである。この状況で足手まといになっているのはむしろ母親である自分の方であると律は考えた。律さえ逃げきれればどうなっても構わない。 無論、ひなたは絶対に嫌がるだろうが、最早猶予は無い。


(私が食われている間に律が逃げてくれれば・・・・・・)


 そう思っていた矢先の事である。少しずつ近寄ってきていた餓鬼達が唐突に動きを止めた。彼らの視線がある一点を凝視している事に気づく。


(・・・・・・ひなた?)


 律は自分の脇に居るひなたへと視線を移した。


「・・・・・・・ッ!?」


 ひなたの視線もまた餓鬼達に向いていた。だが、その美しい赤い瞳が闇夜の中でもはっきりとわかるような、異様な輝きを放っている事に律は気づく。 

 再び餓鬼の群れへと視線を戻す。餓鬼達の身体が小刻みに震えているのが見えた。


(怯えている・・・・・・?)


 まるで天敵を前にした小動物の様に、餓鬼達には明らかな動揺が見えた。互いに顔を見合わせたあと、後ずさりをしながら、やがて人には理解出来ない何かを喚きながら再び闇夜へと消えた。

 緊張感から開放された律はその場にへたり込む。

 

「かあさま、だいじょうぶ?」

 

 ひなたの顔を見ると、先程まで異様な輝きを放っていた瞳はいつも通りに戻っていた。


「ええ、大丈夫ですよ」

 

 微笑みつつ、ひなたを抱きしめる律の脳裏に厳康の口にしたあの単語が蘇る。


(呪子······妖神の生まれ変わり······)


 妖神。名の通り妖の神であると当時の人々は呼んだ。もしもひなたが本当に妖神の生まれ変わりであるならば、常人離れした身体能力や、餓鬼のあの怯えた反応も頷ける。


(しかし、だから何だというのです?)


 何と言われようと律にとってはひなたは可愛い息子である。今後周囲からどんな扱いを受けようと、母親である自分は絶対に味方で居ようと改めて心に決めたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る