第44話
「ああすみません! キイ先輩のご友人の方ですよね!?」
全く知らない若い男の声が返って来てぎょっとする。歳は俺と近いだろうか? 先程から聞こえている何者かの声とは違い、はっきりと生きてる人間が発してる声だと分かって妙に安心した。だが何でこいつがキイのスマホを?
「突然ごめんなさい! 俺、キイ先輩と同じレストランでバイトしてる日高っていうんですけれど、キイ先輩がどこにいるか知りませんか!? どこかに行っちゃって見つからないんです!」
「見つからない……って、どういう事だよ!? あいつとはバイトの時間まで一緒にいたぞ!?」
日高と名乗った男は、歯痒そうに唸った。
「それが……。トイレに行くって言ったきり戻って来なくて、パートのおばちゃんが確認に行ったらいなくなってたんです! 店の中にも駐車場にもいなくて! 荷物も置きっ放しだし警察には連絡したんですけれど、誰か行き先知らないかと思って、キイ先輩がよく話に出してる人に連絡出来ないかなってお電話させていただいたんですけれど……。何か知りませんか!? まだそんなに遠くには行ってないと思うんですけれど……!」
「いや、俺も何が何だか……。バイトがあるからって、ホームで電車に乗る所までは見送ったんだけれど」
電話が切れた。
唖然とする。
「は……?」
誤操作したか? 俺からは切ってはないと確信しつつも、こちらからかけ直した。すぐに機械染みた女の声に挨拶され、「……おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為、かかりません……」と、日高との連絡を拒否される。スマホの電波状況を見ようと画面上部のアイコンを見ると、電波は一本も立っていなかった。……そもそも
テーブルをひっくり返したような大きな物音が鳴った。
ぎょっとして肩を竦めながら振り返る。まだ立ち入っていない、旅館の奥からだ。続いてパキンと、小枝を踏んだような音も上がる。奥は、しっとりと湿気の孕んだ闇に呑まれて何も見えない。
ポケットから抜いた懐中電灯を向ける。細い廊下の向こうは荒れ具合が一層酷く、ゴミやガラクタで出来た洞窟みたいになっていた。入り口付近の少し開けたスペースには壊れていない道具もちらほらあり、こちらに向いている一脚の椅子がある。懐中電灯も届かない闇の向こうへ目を凝らすと、洞窟は奥に進むにつれて先細りしているらしい。先細りに伴うように館内の傷みも激しくなって、剥がれた天井が皮膚のように垂れ下がり、天井の裏で這っていたらしい電線が、無数の縄みたいにぶら下がっていた。
……あの洞窟部分とは、外から建物を見た時、川に向かって傾いていた部分だろうか? 思いの外しっかり形を残している外観に反し、安全に調べられる場所はそもそも広くなかったらしい。いやどうでもいいそんな事。こんなのいつ倒壊してもおかしくないじゃないか。シーを連れて帰る。
「出よう。キイを探しに行くぞ」
シーの腕を引っ張ろうと力を込めながら踏み出した。だが明らかに抵抗され、苛立ちを堪えて振り返る。
「シー!」
目に飛び込んで来る洞窟を見据えるシーの横顔は、一切の異様さが失せたいつものシーだった。然し、うぐいす旅館に踏み入ってから最も強い緊張が滲み、目はじっと動かず呼吸が浅い。俺の呼びかけすら気付いていないのではと思う程凄まじい集中力を、館内の奥へ向けていた。だがそこに注視しなきゃいけないものなんて何も無い。あるのはいつ崩れてもおかしくないゴミとガラクタの洞窟だ。
そう分かっているのに、シーが見ている方向を見る事を躊躇っている俺がいる。
強烈に嫌な予感がするんだ。シーが見ているものを目にしたが最後、どうしてか、人生がひっくり返るような気がして。たとえば少しでも間違えれば、二度とシーと今までのような関係でいられなくなる予感というのか、そういう分岐路に立たされているような。
それでも身体は動いている。シーが見ているものを確かめる為に、館内の奥へ向き直った。ゆっくりと、懐中電灯を向ける。
今俺達が立つ細い廊下を抜けた先、ゴミとガラクタの洞窟の入り口付近の少し開けたスペースの右脇に、一脚の椅子があった。それはさっき懐中電灯を向けた際に分かっている。そこに揃えた膝の上で両手を重ね、俯いているキイが座っていた。
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