第41話


「……俺、川沿いに真っ直ぐ歩いてたよな」


 やっと言葉を発した俺と同じく、驚愕の表情を浮かべるシーは頷いた。


「うん。蛇行したり、同じ所をぐるぐる回ったりしてない」


 そのまま数秒間顔を見合わせて、やっとうぐいす旅館を見上げる。


 オカルト好きの間では有名な心霊スポット。一週間前に、井ノ元達が肝試しにやって来たばかり。それなりに人が訪れている場所とは思えない程、生物の気配が希薄だった。今朝から散々俺達を翻弄している異変が、とうとう個人の意識内を越えた範囲で発生したのか?


「虫の声がしない」


 シーの呟きで気付く。確かにここ暫く、川の音しか聞こえていない。どうして急に黙ったのだろう。部室前で藤宮の言動がおかしくなった時、蝉の声がぱたりと止んだのが脳裏を過ぎる。


 いざなわれているような気がした。この旅館に。不自然で仕方無いのにどうしても気になる。近付いて何が起きているのか確かめたくて堪らない。中に入らない方がいい。このまま帰るべきだと、頭は警告を発し続けているのにその声はどこか遠く、まるで身に迫って来ない。


 ここを調べさえすれば、シーが帰る。今日の危険はこれが最後だ。ここさえ終われば、シーは無事。


 歩き出していた。侵入出来そうな場所を探して、旅館の周囲を見て回る。どうか施錠されていますようにと祈りながら。だが半周もしない内に玄関の引き戸が現れて、つたを払ってから触れてみるとあっさり開いた。


 何で施錠してないんだ。井ノ元達が肝試しの時に壊したか?


 でも引き戸に纏わり付いている蔦は俺が触れるまで全く取り払われていなくて、他に戸に触れた者は暫く現れていないと考えなければ不自然だった。どいつもこいつも鍵がかかっているか調べもせず、わざわざ別の場所から入っているという事になる。いや、きっとそうだ。どこかに穴でも開いていて、そこから入る方が早いんだ。


 引き手から手を離し、残りの半周を確認する。だがどこにも侵入出来そうな損壊は無かった。窓は割られているものの、長年放置された木造建築とは思えない程形を保ったまま傾いている。確かに廃墟になってから久しい傷みや、気味の悪さを放ちながら。だが画像で見た位置に懐中電灯を向けてみれば、画像通りにスプレー缶による落書きがある。


 気付けば心臓は、また収縮を激しくしていた。


 眼球を奥まで突くような眩しさに襲われる。咄嗟に顔へ手を翳した。反射で閉じてしまった目を開ける。


 俺に懐中電灯を向けているシーがいた。その目は真っ直ぐに俺を捉えていて、俺が何を言おうとしているのかも分かっている、得体の知れないものへの緊張を滲ませていた。引き下がる気など微塵も無いという、頑な輝きを放ちながら。


 「人の心っていう目に見えないものを信じるって、神や幽霊を信じる事とどう違うの」。そんな口癖を持つ奴に言っても納得なんてしやしないだろうけれど、今確かに俺達は、互いが何を考えているのか分かっている。


 歩き出した俺は引き戸の前で立ち止まり、垂れ下がって纏わり付いて来る蔦をもう一度払って戸を開けた。


 背後でそれを見ていたシーへ言う。


「ゆっくり歩け。床が抜けるかもしれない」


 懐中電灯を向けて館内へ踏み込んだ。中はまさに廃墟と言った様子で荒れ果てている。昔の立方体みたいなごついテレビ、割れた大量の小皿、雑誌、倒れて積み重ねられた障子、無数の木片。不法投棄なのか元々館内にあったものなのか、色んなものが転がり打ち捨てられており殆ど床が見えない。壁際にも衣類だの扇風機だの積み上げられ、まるでゴミ屋敷だ。気味の悪い小綺麗さを纏う外観とは乖離している。いや、廃墟なんだからこの姿こそ正常なのだが。近付く程訳が分からなくなる。


 奥へ進もうと、ゴミの上にゆっくりと足を乗せた。みしりと、最早軋むと言うより木が細かく砕けるような音が上がる。


 流石に腐ってるか? 咄嗟に足を引っ込めそうになりながら、シーが探索を諦めるかもしれないと微かに希望を抱く。だか床は音を上げただけで、沈んでいる感覚は受けなかった。



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