第23話
そんな馬鹿な。何で後輩一人の為に。全員で離れる方が効率的だ。そんなの明らかに冷静さを欠いてる。じゃあ何だ。やっぱりシーにも見えてるのか? 黒い男の、大人の人が。そうだとしても離れようとするだろ。ならあれは何の為の行動なんだ。シーは今一体何を考えてる。
キイと別れた後、ホームで怒ったシーの姿が脳裏を
「生き方に報酬なんて要らない。どうして自分の価値を誰かに任せなきゃならないの。これは私が選んで私が決めた生き方だし、ヒーローになりたいからやってる訳じゃない。生まれてこの方この生き方以外を、私の良心が決して許そうとしないから」
妙な表現になってるがつまりそれは、自分は損得関係無しに、困っている人がいれば助ける意志があるって事だ。その行いに賞賛も報酬も要らない。与えられようものなら侮辱と捉える。これは誰の為でも無い、自分の為に過ぎない生き方だから。だから今一人で奴に向かってるのも、理屈じゃない?
シーは歩みを止めない。四本目の柱までもうすぐだ。黒い男の、大人の人は動かない。こちらへ顔を向けたまま佇んでいる。何でシーに見向きもしないんだ。先に声を発した後輩ちゃんに用があるのか? 一番最初にお前に気付いたのは俺の筈だろ? いやだから違う。あいつは存在しないんだ。俺と後輩ちゃんだけが見てる幻なんだ。じゃあ何でシーは近付いてるんだ。
分からない。気が触れそうだ。幾ら考えても現状に付けられる説明が無い。幽霊に触ったらどうなるんだ? 知るかそんな事。ホラー映画じゃあるまいし。どうしたらいいか分からない。分からないが、それでいいのか? このままシーを放っておいて。何もせずにただ見ているのが正解だと? 俺は今何がしたい。何を一番避けたい。何が起こるのが一番嫌だ? シーが危険な目に遭うのを、黙って見るのは耐えられない。
四本目の柱の前でシーが立ち止まった。陰に向き合うと右腕を持ち上げる。その横顔は矢張りどこか強張って見えて、腕を持ち上げる動きも酷く緩慢に見えた。緊張しているのか、もしや本当に、黒い男の、大人の人が見えてるのか? ならシーの心臓は今、破裂するってぐらい脈打ってる。あんな訳の分からない奴に、手を伸ばせば届く距離まで接近してるんだから。
上がり切ったシーの右腕が、柱の陰へ伸びた。細い指先が今まさに、陰に消えようとする。
「何もいねえよ。さっさと図書館行こうぜ」
全力疾走で追い付いていた俺は、シーの腕を掴んで言った。
言われてから俺の気配に気付いたシーは、酷く驚いて見上げて来る。同時に息まで呑んでいた。
俺もシーに声をかけるまで思考に集中し過ぎる余り、自分が無呼吸になっている事に気付かなかった。だが荒くなった呼吸を落ち着かせる余裕は無い。一秒でも早くシーをここから離れさせる為後輩達へ向き直る。向き直った際四番目の柱の陰が目の端に映ったが、黒い男の、大人の人は、跡形も無く消えていた。
俺は悪夢の中にいるんだろうか。
「皆だってそうだろ? 俺達の部室に幽霊はいないし、そんな噂を立てるのも部員じゃない奴らだけ。本当にいるなら今頃うちの高校は心霊スポットで、オカルト好きと配信者に大人気だ」
精一杯茶化そうと軽口を飛ばしたが、後輩達は何も返してくれなかったし、依然そうすればいいのか分からない顔で固まっている。唯一言葉を発していた、あの後輩ちゃんと目が合った。
煮詰まったジャムのように濃い戸惑いと不信感を顔中に滲ませて、俺を見ている。血を抜かれたような顔色はシーより白く生気が無い。シーが柱の陰に触れなかったからだろうか。拠り所を失ったような不安も見えた気がした。全身が緊張していて呼吸も浅い。訊きたい事が無い訳じゃないが、村山の件もある。平常心を失ってる奴を下手に刺激するものじゃない。
「君もネタ提供ありがとうな。シーがいい小説書くだろうぜ」
それだけ言い残すと背を向けて、大股で歩き出す。腕を掴まれたままで引き
「早くここから離れよう。軽音部の幽霊の噂の検証も、もうしなくていいんじゃねえか」
自分の足で歩き出したばかりのシーは俺を見上げる。
「どうして」
「あの子の態度見ただろ。軽音部の幽霊の噂なんて全部、ああいうおどかしたい奴が考えた法螺話さ。最初から真面目に相手する必要なんて無かったんだ」
「藤宮さんの事? あの子普段はあんな事言わない。さっき急におかしくなった」
「だからそういう演技だったんだって。もうすぐ夏休みだろ? 誰だって怪談やオカルト話の一つや二つしたくなるさ」
「連絡先を交換し合うぐらい仲のいい先輩相手に? まして私がそういう話を好まない人間だって分かってるのに?」
「気の知れた先輩だからだろ? 誰にだってしてるなら今日が来る前にお前が嗅ぎ付けて説教してる」
「ならどうして今日、私の前でふざけなければならない理由があったの。そんな事したら怒られるって分かってるのに」
「見えてたのか」
「えっ?」
「黒い男の、大人の人」
示し合わせた訳でもないのに、揃って立ち止まった。互いに顔を見据える。
「さっきの柱の陰だ。触ろうとしてたけれどもしかして、お前見えてたのか? 見えてた上で、あいつに触ろうとしたのか? 自分の危険も顧みず、他人の為に」
「藤宮さんの為に近付いたのは事実」
当然のように淡々と答えるシーに、つい感情的になる。
「……何でそう向こう見ずなんだ。危ないって分かってるのにどうして触れようとする」
「藤宮さんが普通じゃなかったから」
「もっと自分を大事にしろよ。
「私はいつだって自分を大事にしてる」
「いいや軽んじてる。誰よりも、いつだってだ」
俺達が向かっていた突き当たりにある階段に、誰かが片足を乗せた音が響いた。
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