第185話 罠 ②

 ソーセージを頬張り、エールを流し込みながら、石動は思う。


 石動の席から見渡せる、帝都は物に溢れ物価も安く、暮らす人々も豊かだ。

 治安も良く、平和に見える。


 しかし、大都市にはつきものだが、光があれば闇もある。


 市場の先は宿屋などが並ぶ宿場町になっていて、その奥には歓楽街が広がっていた。

 歓楽街の先には職人たちが集まった職人街と、そこに勤める労働者たちが住むブロックが存在する。


 いわゆる貴族が注文するような刀剣を打つ鍛冶場とは違い、生活用品としての包丁や鍋釜などを造る鍛冶職人や、布地を織ったり染色したりする小さな加工場などが集まっているのだ。

 他にも牛や豚の屠畜場や、肉や内臓を処理する業者に、皮を鞣す業者などの加工場もある。

 

 ちょうどこのあたりには、近くを流れる河から帝都内に引き込んだ支流が流れており、その川の水を利用しようと加工場が密集しているのだ。

 いずれも家内制手工業の域を出ていない規模の業者だが、帝都の必需品を生産する一大拠点と言っても過言ではない。


 ほとんどが家族で経営している業者だが、それに加えて見習いとして低賃金で働く子供たちの姿が目に付く。

 市場にもそんな子供たちが納品のため大八車を引いて来ているし、お使いで買い物に来ている姿を石動も数多く見かけた。


 石動が街に入って最初に行った高級商店街の客たちや町ゆく人々と比べると、明らかにその表情や服装、栄養状態に大きな差があることは明らかだ。

 職人街の住人や子供たちに対し、帝都の住人たちも普通に接していて差別しているようなことは無いが、石動から見れば貧富の差を突き付けられたような気持になるのは否めない。


 店の中で大いに飲んで食べる大人たちの姿を横目に、食堂の前を空きっ腹を抱えて恨めしそうな顔で足早に通り過ぎる子供と目が合ってしまうと、石動は途端に料理の味がしなくなるような気がしてしまうのだ。

 

「(かと言って、私が彼らにしてあげられることは何もない・・・・・・。仮に一人二人に施しをしても、それは自己満足だし・・・・・・偽善にすぎないな)」


 急に苦みが増したように気がするエールを流し込むと、石動は勘定を済ませて席を立つ。


 食堂を出て、気を取り直してあちこち街を探索していていると、気がつけば、日も傾き夕刻になっていた。


 そろそろ離宮に戻らなければ、と思った石動が通用門の方へ歩き出そうとした時、薄暗い路地の奥で何やら揉めている気配に気づく。


 さりげなく路地の奥を覗いてみると、粗末な着物を着た少女が、ふたりの男に絡まれていて、言い争っているのが目に入った。


 石動が一歩、踏み出そうとした時、姿を消したままのラタトスクが念話で警告してくる。


『ツトム、やめておいた方がいい。なんだか罠の匂いがする』

「(そうは言ってもな・・・・・・あんなの見過ごせないだろう)」


 石動が迷っているうちに、少女は男のひとりに腕を掴まれ、路地の奥に連れ込まれようとしていた。少女の「誰か助けて!」という叫びが耳を撃つ。

 ふたりの男たちは暴れる少女を見て、馬鹿にしたような下品な嗤い声をあげている。


 石動の脳裏に、昼食の時に目が合った、空きっ腹を抱えて恨めし気な少年の顔がフラッシュバックした。

 あの時のやるせない気持ちが甦り、石動は考えるより先に走り出す。


「おいっ、何してる?! 嫌がっているじゃないか、放してやれ!」

「助けて! お願い!」

「ああ? なんだお前? 関係ない奴は引っ込んでろ!」


 少女の腕を掴んでいる方の男が振り返り、石動を睨みながら怒鳴ってくる。

 石動はそれを無視して、少女に優しく話しかける。


「この人たちは君の知り合いなのかい?」

「いいえっ! 全然知らない人なの! 初めて会った人です! わたし、ママのところへ早く帰らなければ・・・・・・」


 少女の目には涙が溜まっていて、今にも溢れそうだ。


「うるせえ! テメェ、邪魔するならタダじゃおかねぇぞ!」

「キャッ!」


 男は少女を掴んでいた手を離すと、その細い肩を思い切り突き飛ばす。突き飛ばされた勢いで、少女は路地の壁にぶつかり悲鳴を上げた。


 突き飛ばした男は、拳を固めて石動に向かってくる。


 石動はふつふつと腹の底から、怒りが湧いてくるのを感じていた。

 貧富の差にも、貧しい子供たちに何もできない自分にも、ましてや子供に手を出すような輩にも腹が立って仕方がない。

 理不尽な八つ当たりかもしれないが、怒りの矛先はこいつらにぶつけてやろう。

 石動は心の中で、自分を納得させるように呟いた。


 男が左ジャブを軽く打つと、ワン・ツーで鋭い右ストレートを放ってきた。

 石動は男のジャブを右掌で捌いて左足を踏み込むと、入り身の形でパンチを避けながら左掌を男の拳と肘の間に当てて右ストレートの軌道を逸らす。

 体勢が流れ、バランスが崩れた男の肝臓のあたりに素早く左拳を捻じ込み、間髪を入れず続いて男の顎を左拳で打ち抜いた。

 脳を揺すられ、フラッとした相手を右手で後ろから肩を抱くようにして引き、左掌を顎の下に差し入れると押し下げて、仰向けのまま路面に叩きつける。


 後頭部を強打し気絶したらしい男をそのままに、もう一人の男を見ると丁度、腰からナイフを抜き出すところだった。

 男はナイフには自信があるようで、ナイフを逆手に構えると、ピュッという鋭い音をさせながら横なぎに薙いでくる。


 石動はバックステップして距離をとり、冷静に男が振り回すナイフを躱していく。

 男が石動の下腹部を狙ってきたのを手の甲で捌くと、少し前かがみになった石動の首筋を狙って、ナイフを逆手のまま上から振り下ろしてきた。


 石動は左手で男のナイフを捌くと同時に一歩踏み込み、右手の手刀で男の首筋を強打する。

 ナイフを持った男の手を左手で掴んだまま、態勢が崩れた男の金的を右足で蹴り上げ、うずくまろうとする男の延髄辺りに右手の肘打ちを落とす。

 気を失った男からナイフを取り上げて、カラカラッと路地の奥に放り投げると、油断せず路上に倒れた男たちの腎臓付近を踵で踏み抜いておく。

 

 辺りを見回して動く者はおらず、安全を確認した石動は、壁際で頭を垂れてうずくまる少女に近づいた。


「大丈夫? ケガはない?」

「うんっ! ダイジョウブー!」

 膝をついて少女の顔の高さにしゃがみ、優しく問いかけた石動は、俯いていた顔を上げる少女を見て呆気にとられてしまう。


 顔を上げた少女の鼻と口は、いつの間にか分厚いマスクで覆われ、少女の手には小さな霧吹きのようなものが握られていた、

 呆けている石動の顔に、少女は小さな霧吹きを向けると、何かを噴霧した。


 噴霧された液体が顔にかかった途端、石動の視界はぐるぐると廻って歪みだし、自立していられなくなるのを感じる。


 そして、笑顔の少女が「ありがとねー、ザミエルさん♪」と言うのが聞こえたのを最後に、目の前が暗転した石動は意識を失ってしまった。

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