第6章 秘密の特技

01

「ふう……もう少しのはず。それにしても暗いわね」

 私は頭を上げると小さな明かり取りを見上げた。

 細くて暗い通路を一人で歩くのは心細い。

 でも、私の読みが合っていればこの先を曲がって……。


「あったわ」

 予想通り、目の前に現れた扉にほっと息をつく。

 でも問題はここからなのよ。

 扉を開けたその先に誰かがいたら……。


 重い扉に少しずつ力をかけていく。

 使われてはいないだろうけれど、手入れはされているらしい。

 以外と滑らかに扉は開いた。


 目の前に現れたのは大きな樹々、人影はなさそうだ。

 慎重に周囲を見渡しながら外へ出る。思った通りここは庭園のようだ。

「ふふ、脱出成功だわ」

 思わず笑みがもれてしまう。


「さて、どうしようかしら」

 今回はとりあえずあの場所から抜け出すのが目的であって、この王宮の外へ出たいわけではない。

 私が脱走したと気づかれるにはまだ時間がかかるかもしれないから……とりあえずここで時間潰しでもしようかしら。

「マリアンヌ様?」

 寒さを凌げる場所を探そうと視線を巡らせていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。


「セベリノさん」

「どうしてこんな場所に……」

 振り返ると不思議そうな顔で私を見つめているセベリノさんが立っていた。


「セベリノさんはお散歩ですか?」

「いえ、薬草茶に使う葉を貰いに温室へ行ってきた帰りです」

「そうでしたの」

「それで、マリアンヌ様はどうしてここへ? ここは我々が借りている宮の庭で部外者が入れる所ではないはずですが」


「私は脱走してきましたの」

「脱走?」

「フレデリク殿下があまりにも我儘を言うものですから。腹いせですわ」

 眉をひそめたセベリノさんに、私はにっこりと笑顔でそう答えた。



 発端は、昨日の新年のパーティーだった。

 私は殿下の婚約者として王族が並ぶ末端に立ち、殿下とともに貴族たちの挨拶を受けていた。

 そこへミジャンの正装をまとったアドリアン殿下とセベリノさんが現れたのだ。


 白地に金糸の刺繍が施された、足首が隠れるくらいの長さのワンピースのような服に、頭にかぶった白くて長い布を複雑に首に巻きつけた民族衣装は、褐色の肌と相まってエキゾチックでとてもかっこいい。

 ゲームでもキャラクター紹介のイラストで見た装束で、すごくいい! と思ったのだ。

 前世からこういう民族衣装系に弱いのよね。

「素敵……」

 思わず漏らしてしまった声をフレデリク殿下はしっかり聞いていたようだった。


 ダンスの時間となり、殿下と二曲踊った後、家族の元へ行き話をしていたら級友たちにダンスを申し込まれ、三人と踊った。

 それは夜会では普通のことなのだけれど、三人目が終わり、フロアから戻ってきた私は待ち構えていた不機嫌そうな殿下に会場から連れ出され、そのまま殿下の部屋に連れて行かれたのだ。


「僕以外の男と踊らないで。褒めたりもしないで」

 ソファに腰を下ろし、私を抱きしめて殿下は言った。

「僕だけを見ていてよ」

「フレデリク様……それは無理です」

 社交は貴族にとって欠かせないものだ。

 ダンスも大切な社交の道具であり、夜会で誰とも踊らないことは不名誉とされる。

 いくら殿下の独占欲が強いからといっても、踊らないわけにはいかないものだ。


「じゃあもうパーティーや夜会には出ないで」

「フレデリク様……」

 本当に、どうして殿下はそんなに私を縛りたがるのだろう。

 それはまるで子供が母親を独占したがるようで。

 でも殿下はもう十六歳、私は殿下だけのものではないと、分かってくれてもいいのに。



 パーティーの後、私は家に帰るはずだった。

 けれど殿下が頑なに私を手放そうとせず、昨夜は王宮に泊まったのだ。

 私にべったりと張り付いたままの殿下の様子から、私の貞操の危機を心配した侍女たちの報告を受けて、ローズモンドが自分の部屋に泊まるよう指示してくれた。

 久しぶりにローズモンドと二人きりで沢山話をして……それは楽しかったのだけれど。

 今朝、朝食を終えるなりまた殿下の部屋に拉致されたのだ。


「お祖母さまはずるい。すぐにアンを連れて行く」

 私は殿下の膝の上に乗せられていた。

「みんな僕からアンを離そうとする……」

 私を抱きしめ、肩に顔を埋める殿下はまるで捨てられた仔犬のように見えた。


 冬休みに入ってからの殿下の様子をローズモンドから聞いた。

 この国では十六歳で成人とみなされ、殿下も王族としての公務が始まる。

 そのため普段も学園を休みがちだが、今は新年を迎える準備で特にやる事が多く、殿下もずっと仕事漬けだったそうだ。


 殿下は私に会いたがっていたのだが、外出する暇もなく、衣装合わせで私が王宮へ来るのをとても楽しみにしていたのだという。

 そうして私が帰った後は、三日後のパーティーで会うのを心待ちにしながら、しきりに今すぐ結婚したいと何度も言っていたと。



「あの子のリリアンへの執着が日に日に増していって……心配なのよね」

 ローズモンドはため息をついた。

「特に最近は、もしもリリアンがいなくなったら僕も消えるなんて物騒なことを言っているみたいで……」

 ――それはもしかして、私が言ったからだろうか。

 いつかこの身体にマリアンヌの魂が帰ってくると。


「あまりにも執着が強いから、距離を置かせた方がいいのだろうかと息子が言っていたのだけれど、そうすると反動が怖いのよね」

「……私、どうすればいいのかしら」

 私が言っても殿下は聞き入れてくれないし。


「私……戻ってこなければ良かったのかしら」

 私がこの身体に入らなければ。

 マリアンヌが階段から落ちなければ。


「リリアン」

 ぎゅ、とローズモンドが私の手を握りしめた。

「それは違うわ。あなたが生き返らなくてもフレデリクはあなたへの想いを抱え続けていた。それはマリアンヌにとって不幸なことよ」

 自分を通じて他の者を思い続ける婚約者と、やがて結婚しなければならないマリアンヌ。

 それは確かに彼女にとっては不幸なことだ。

 けれど……そのマリアンヌの魂が消えたままなどということになれば……それはもっと辛いことだ。


 マリアンヌの魂が戻ってきて、彼女が幸せになれる道があればいいのに。


「今のフレデリクは会えないと思っていた初恋相手が現れて舞い上がったままなの。時間が経てばもっと冷静になると思うわ」

 ローズモンドはそう言っていた。

 そうかもしれないけれど……。



「フレデリク様っ、そろそろ下ろしていただけますか」

 私の肩に埋めていた、殿下の唇が先日キスマークを付けられた所へまた触れようとしているのに気付いた。

 あの時の痕はまだ消えていなくて、昨日も髪を上げることができずに髪型を変えざるを得なかったのだ。

 ――殿下が冷静になる前にマリアンヌの身体にこれ以上痕を付けられてしまっては……。


「どうしてアンは僕から離れようとするの」

 殿下は顔を離すと私を見た。

「アンは、僕のものになるのが嫌なの?」

「それは……」

 言い淀むと殿下の眼差しがふいに険しくなった。


「アンが嫌でも、アンは僕のものだから」

 殿下は私を抱き抱えたまま立ち上がった。

 そのまま、部屋の奥へと歩き出すと扉を開く。


 そこは寝室だった。

 殿下は私をベッドの上に下ろして……え、待って貞操の危機!?


「今日からアンはここで暮らすんだ」

「え?」

「外に出るのは僕と一緒の時だけ。アンが着るものは僕が選ぶ。そう決めたから」

「は……ええ!?」

「いい? 絶対ここから出ちゃだめだよ」

 そう言い残して殿下は一人、部屋から出て行った。

 扉を閉めると、ガチャリと鍵を掛ける音が響く。

(え、もしかして閉じ込められたの!?)

 慌てて扉に駆け寄り、手をかけたけれど開かなかった。


「そんな……」

 呆然として、けれど……しばらく経つと、私はだんだん腹が立ってきた。


 どうして好きだからって、殿下が私のことを全て決めるのだろう。

 私は殿下の人形ではない。

 私にだって意思があるのだ。


「私をこんなところに閉じ込めても無駄だって、思い知らせてやるんだから」

 そうして私は部屋を脱出してきたのだ。

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