07

「ん……」

「お目覚めですか」


 目を開けると、黒い瞳が私を見つめていた。

 ……ああ、やっぱり黒い目は落ち着く……前世の日本人は黒か濃い茶が多くて……でもこの国は明るい色が多く……って。このひとは、確か。

「セベリノさん……?」


「気分はいかがですか」

「……はい、とてもいいです」

 熟睡したあとのような、スッキリした目覚めだ。

 でも何で眠って……?

 上体を起こして周囲を見渡す。

 カーテンに囲まれたベッドと、奥には机やガラス棚……ここは確か、医務室?


「私の術を受けて魔力酔いになってしまったのですよ」

 ベッドの傍らに置かれた椅子に腰掛けていたセベリノさんが言った。

 術を受けて……そういえば、マリアンヌにかけられた術について調べていたのだっけ。


「……それで、分かったのですか?」

「いえ……どうも術を看破られないよう仕掛けを施してあるようですね。判読するには時間がかかりそうです」

「ますます伯母上が疑わしいな」

 声のした方を見ると、窓辺にもたれかかったアドリアン殿下がこちらを見ていた。


「しかし、術を見破れないとなると。何故マリアンヌ嬢に術をかける必要があったのか、その理由を探った方が良さそうだな」

「そうですね」

 理由……それはやはり、フレデリク殿下とのことが関係あるのだろうか。


「リリアン様、心当たりがあるのですか?」

 観察するように私を見ていたセベリノさんが尋ねた。

「え、ええと……」

 でもそのことを、この人たちに言ってしまってもいいのだろうか。

「どんな些細なことでもいいので知っていることを教えてくれませんか」

「我々も手がかりが少なくて困っているのだ」


 ――もう私の正体は知られているのだし、少しくらいいいだろうか。

 まだ十五歳の殿下が、遠い他国まで自ら探しにくるほどなのだ。よほどのことなのだろう。

「……なんでも、マリアンヌはフレデリク殿下との婚約を解消したがっていたそうです」

 私は二人に、マリアンヌが階段から落ちる前日、殿下とはもう別れると言っていたことを伝えた。


「――今の話だけではなんとも言えませんが。マリアンヌ様がフレデリク殿下と別れるために黒魔術を利用したと推察することはできますね」

 私の話を聞いてセベリノさんが言った。

「黒魔術を利用?」

 あの子が?

「今は禁じられていますが、かつては望まない結婚をした王や王妃の心を操って心を通わせさせたり、その逆もあったと聞いています」

「心を操る……そんなことができるのですか」

「その気になれば何でもできます。ですから我々には禁戒が多いんです」

「まあ、大変なお仕事なんですね」

 できるのにやってはいけないことばかりなんて。私だったらストレスが溜まると思う。


「大変な仕事……そう思っていただけるのですね」

 どこか嬉しそうな顔でセベリノさんは言った。

「人の心を操ったり、その気になれば殺すこともできる。恐ろしいとは思いませんか?」

「……そうですわね……」

 確かに、黒魔術自体は恐ろしいものかもしれない。

 けれど人の心を操る術などは前世の学問にもあったし、人を殺す方法もたくさんある。

 恐ろしいかどうかは、それを使う人間によるだろう。


「セベリノさんは王族を護ることが最優先なのでしょう。立派なお仕事だと思いますわ」

「そうですか」

 笑顔を見せたセベリノさんは、恐ろしい術を使うような人には見えなかった。


「――それで。マリアンヌ嬢が伯母上か、関わりのある黒魔術師と通じている可能性があるのだな」

 アドリアン殿下が口を開いた。

「ええ。マリアンヌ様の交友関係にそれらしい人間がいたか、分かればいいのですが」

「家族やマリアンヌの友人に聞いてみますわ」

 今度の休日はバーバラ様の家に招待されている。

 その時に聞いてみよう。


 あとは母親のアレクシアと、侍女も何か知っているだろうか。

 マリアンヌのことに詳しそうな人間を考えていると、医務室の扉が開く音が聞こえた。



「マリアンヌ様! 目覚めましたか」

 扉から顔を覗かせたシャルロットが、私と目が合うなり駆け寄ってきた。


「身体は大丈夫ですか」

「ええ」

「迎えの馬車が来てましたよ」

「まあ、帰らないと」

 もうそんな時間なのね。


「馬車の所まで送りましょう」

「いいえ、結構です」

 セベリノさんの申し出を、私が答えるより先にシャルロットが断った。


「起き上がれますか」

「ええ」

 もうすっかり、身体も問題ない。

 ベッドから降りようとすると、セベリノさんが手を差し出してくれた。

 その手を取り、立ち上がった瞬間、ぎゅっと手を握りしめられた。


「それでは、聞き取りの結果を聞かせて下さいね」

 すぐ目の前にセベリノさんの黒い瞳があった。




「マリアンヌ様、あの侍従の人には近づかない方がいいです」

 医務室から出てしばらく歩くとシャルロットが口を開いた。


「あら、どうして?」

「あの人絶対マリアンヌ様のこと、狙ってますよ」

「……ええ!?」

 セベリノさんが? 私を?


「昼に倒れたマリアンヌ様を医務室まで運ぶ間、ずっとにやけた顔でマリアンヌ様のこと見てたんですよ。それにさっきだって、距離が近過ぎです」

「それで決めつけるのは……。それに私、おばあちゃんなのに」

 セベリノさんは私がマリアンヌの祖母だと知っている。

 まだ二十代前半だろう、若くて見目もいいし、王家の黒魔術師という肩書のセベリノさんなのだ、私なんかに興味を持たなくてもモテるだろうに。


「マリアンヌ様に関しては中身の年齢は気にならないと思いますよ。むしろ元のマリアンヌ様より精神年齢は低くなってるんじゃないですか」

「ええ……」

 そうなの!?

「ともかくミジャン王国とは関わりにならない方がいいですって。どうして殿下が留学してるか知ってます?」

「後継争いに巻き込まれないためよね」

「それも一つですけど。ゲームで命を狙われていたと言ったでしょう」

「ええ」

「そうやって自分の命を狙う兄弟を、逆に暗殺するために黒魔術師を探しにこの国へ来たんですよ」


 暗殺?

 でも王族に術を使うのは禁じられているって……そうか、セベリノさんにはできないから別の人を探しに来たのかしら。

「……それが殿下の伯母様?」

「ゲームでは具体的な名前は出てきませんでしたけどね。結局見つからなかったですし」

「まあ、伯母様は見つからなかったの……」

 それじゃあマリアンヌに術をかけた相手も分からないということ?


「兄弟で殺し合うような物騒な国なんです。関わると危険です」

「――でもそういう兄弟での争いは、よくあることではないの?」

 今の国王も、先代も王妃一人だけだしそういった争いは聞いたことはないけれど。

 側室がいる時には色々――それこそ死人がでることもあったと聞いたことがある。

 それは王家だけではなくて貴族の間でもそうだ。

「うちも、祖母が祖父の愛人を抹殺したことがあると聞いたわ」


「抹殺……」

 シャルロットは顔を引きつらせた。


「領地に、生まれた子供と一緒に閉じ込めていたという塔があって。幽霊が出るから近づいてはいけないと言われていたわ」

 森の側にあった塔は昼間でも陰気な空気に包まれていて、言われなくても怖くて近づけなかった。

「……その子供はどうしたんです?」

「祖父の子、私の父には他に兄弟はいなかったから、養子に出されたかあるいは……」

 その辺は言葉を濁されて教えてもらえなかったから分からないけれど。


「うわあ……」

 シャルロットがドン引きしている。

「でもそういう話はどの家でも一つや二つ、あるはずよ」

「貴族ってやっぱり怖い……」

「貴族にとって、誰が家を継ぐのかはとても大事だから。どうしても争いは起きてしまうわね」

「……そうやって受け入れるマリアンヌ様も怖いです」

 シャルロットはそう言って息を吐いた。

「貴族としてはよくあることでも、元日本人として抵抗はないんですか?」


「そうねえ。でも前世でも、曽祖父がお妾さんを囲っていたり祖父が芸者さんの面倒を見ていた話は聞いていたから。正妻との間に色々あったそうよ」

「うわあ。って前世からお嬢様ですか!」

「昔の話よ。父親は普通の会社員だったし」

「いやそれきっと普通の感覚が庶民じゃないですよね。幼稚園から大学までエスカレーター式だったとか」

「あら、どうして分かるの?」


「くっ……やっぱり前世からのお嬢か」

「そうなのかしら?」

 学校の友人も普通の家の……でもそう言われると『普通』が分からなくなってくる。


「やっぱり私には貴族とかそういう世界は無理そうです」

 はあ、とシャルロットはもう一度大きくため息をついた。

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