04

「まあ、素敵……!」

 温室のその一画には何種類もの百合の花が咲き乱れていた。


「こんなに沢山あるなんて……」

「王太后様のご希望です。一年中百合の花を咲かせたいと」

 案内してくれた二人の内、温室を管理している庭師の中年男性が答えた。

「まだ研究中なので、真冬に咲く百合は未完成ですが。来年の冬には出来ると思います」

 もう一人の青年が言った。

 彼は庭師の息子で、植物の品種改良の研究をしているという。


「貴女が一年中百合が見たいと言っていたから。……亡くなってしまったのが残念だったけれど、見せられて良かったわ」

 耳元でローズモンドが囁いた。

「……私のために?」

「私も見たかったの。リリアンの花ですもの」

 そう言って、ローズモンドはピンク色の百合を指差した。


「見て。どうかしらこの百合」

「可愛らしくて素敵だわ」

 他の百合よりも小ぶりだけれど、花びらが縁から中心に向けて淡い色へのグラデーションになっていてとても綺麗だった。


「ふふ、これは『リリアン』という名前なのよ」

「え?」

「貴女をイメージして作ってもらった新種なの」

 え……私を?


「どう? 気に入ってくれたかしら」

「……ええ……とても素敵だわ。ありがとう、ローズモンド」

 私がこんな素敵なイメージなのかは……謎だけれど。

 でもわざわざ私のために、こんな……新しい品種を作ってくれていたなんて。


「この『リリアン』はまだ試作中なので無理ですが、こちらの白い百合はお帰りの時に切ってお渡ししましょう」

 庭師が大ぶりの百合を示した。

「魔術で切り花にしても一ヶ月は持つように作りましたから」


「魔術……?」

 聞き慣れない言葉に私は首を傾げた。


「息子は魔術の心得がありまして。それで様々な花を作っているのです」

「魔術というのはこの国では馴染みがありませんが、国によって様々な形で使われています」

 青年が説明した。

 元々は黄金を作り出そうとする、いわゆる錬金術があった。

 そこで得られた知識を活かして植物の品種改良などの生活に役立つものから、呪いのような物騒なものまで多くの技術が生まれたのだという。

 ――前にいた世界でも、錬金術から後の科学に発展したと聞いたことがある。

 それと同じだろうか。


「呪いとは物騒だな」

 話を聞いていた殿下が言った。

「そうですね。例えばミジャン王国では黒魔術と呼ばれて盛んに研究されているようですよ」

「ミジャン……」

 それって確か、今王子が留学中の……。


「まあ……恐ろしいわね」

 ローズモンドが眉をひそめた。

「その黒魔術とはどのようなものだ?」

「私も詳しくはありませんが……先ほどお話しした呪いや未来視といったものがあるようです。多くは気休め程度だそうですが、王家が抱えている黒魔術師は不思議な力を持っていて王位争いに暗躍しているそうです」

 殿下の問いに青年が答えた。


 黒魔術を使った王位争いなんて、まるで小説の中の世界のようだ。

 それをいったらこの世界もゲームの世界だけれど……この国は小さいながらも平和だし、王位争いも少なくともここ百年ほどはない。

 平和な国に生まれてよかった。

 そう思っていると、ローズモンドが私をじっと見つめているのに気づいた。


「……何?」

「いえ……もしかしたらリリアンが今ここにいるのも黒魔術だったりしてと思って」

「え?」

「ふと思いついただけよ。何となくそう思っただけ、気にしないで」

 笑いながらそう言ったローズモンドだが、彼女の「何となくそう思う」は昔からよく当たったことを、私もふと思い出した。




「殿下……下ろしてくれませんか」

「ダメだよ」

「でもこれは……とても恥ずかしいのですが……」


 私は温室にあるベンチに座っていた。

 ――正確には、殿下の膝の上に。


 これはさすがに恥ずかしすぎるし、腰に回った殿下の手がくすぐったい。

 何よりも互いの体温が伝わるほどに密着したこの状態は……色々とまずいのではないだろうか。

 側から見れば婚約者同士、問題はないのかもしれない……いや婚約者といっても未婚の男女がこれは……それとも最近の若い子はこれが普通なの⁉︎


 後はお二人でというように、ローズモンドと庭師たちは帰ってしまった。

 二人きりに――といっても護衛や侍女はいるのだが、彼らは基本空気だ――なるやいなや、殿下は私の手を取りベンチへ導くとすかさず自分の膝上に私を座らせたのだ。


「じゃあ『フレッド』と呼んでくれたら下ろすよ」

「それは……」

「アン」

 すぐ目の前に私を見つめる殿下の瞳があった。

「君は僕の婚約者だ。婚約者同士愛称で呼ぶのは普通だろう」

「……婚約の件は保留と……」

「僕は絶対にリリアンと結婚する」

 ふいに視界が暗くなった。


「リリアンは……僕と結婚するのは嫌?」

 私を閉じ込めるように抱きしめて殿下は言った。

「嫌というか……」

「まだアルノー殿が好きなの?」


 アルノー。

 私の夫。

 優しい笑顔が頭によぎる。


「お祖母様が言っていたんだ。リリアンはきっとまだアルノー殿が好きだから、僕の事はすぐには好きになってくれないって。でも僕はアンが僕を好きになってくれるまで待つから」

「どうして……私なのですか」

「理由なんか分からない。でも初めて絵姿を見た時に思ったんだ、僕はこの人がいいって」

 それはもう何度も尋ねた理由だけれど、何度答えを聞いても理解は難しい。

 ――いくら絵姿に一目惚れしたといっても……私は殿下の祖母であるローズモンドと同い年なのに。


 それを言っても「年齢なんか関係ない」と返される。

 確かに……見た目は十六歳なのだから、心の年齢を意識するのは難しいかもしれないけれど。


 そしてもう一つ、大事なこと。


「……この身体は私のものではありません。――マリアンヌの心が戻ってくるかもしれないんです」

 そうなったら私はどこへ行くのだろう。

 また転生するのか、それとも……


「そうしたら僕はリリアンの心を探すよ」

 私を抱きしめていた腕を緩めると、殿下は私を見つめた。

「どこにいても、どんな姿でも。リリアンに出会えるまで何年でも探し続けるから」


 私を見つめる瞳はとても純真で。

 それ以上は言い返せなかった。


  *****


「アルノー……私、どうすればいいのかしら」

 屋敷へ戻り、テーブルの上に飾った白百合を見つめて私は呟いた。


 殿下のことは……好ましいとは思うけれど、それはマリアンヌやカミーユに抱くのと同じ、孫のように思う好意だ。

 十六歳の子供に恋心を抱けと言われても難しい。


 それに殿下も言っていたけれど――私にはアルノーがいる。

 彼と生き別れたのは私の感覚では二ヶ月前だ。

 そうすぐに忘れられるはずもない。


 物心つくより前からアルノーは側にいた。

 いつも一緒に遊んでいた私たちは当たり前のように婚約をし、結婚した。


 私たちは何でも話し、相談し、共有した。

 私に前世の記憶があることも、乙女ゲームのことも思い出してすぐアルノーに語った。

 アルノーは私の話を否定せず受け止め、ローズモンドが王太子の婚約者となるのに協力もしてくれた。


「アルノー……会いたいわ……」

 話を聞いて欲しい。

 そして私がどうすればいいのか、教えて欲しい。


 目頭が熱くなるとともに、目の前の白百合が滲んで見えた。

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