まさか魔王の弱点が
と、妙な緊張感を裂くように、高い鳴き声がしてわたくしの足元に小さなイヌが駆け寄ってきた。長毛のヨークシャーテリアだ。
「ごめんあそばせ。紐が外れてしまって」
三十代くらいの、ピンクのケープを着た婦人がやって来る。
「お気になさらないで。イヌは好きですの。可愛い子ですね」
「お目が高いですわね。うちの子は世界一可愛いんですのよ!」
婦人のうちの子自慢に付き合っていて、ふと違和感に気付く。悪名高いマナー違反の赤き浮き名の魔王が会話に入ってこないとはどういうことか。女性であれば誰でもいいということではないのか? さすがに魔王にも好みがあるのか?
そう思って振り返ってみると、ヴィンセントはなぜかわたくしから距離を取った後方にいた。わたくしの足元でじゃれついていたヨークシャーテリアがヴィンセントのほうへ走っていく。
ヴィンセントは引きつった笑顔で、ヨークシャーテリアから高速で後ずさりした。だがしかし小型といえどもイヌだ、ヴィンセントの後ずさり程度など誤差、追いついて足元に飛びついた。
ヴィンセントが目を見開いて固まる。
わたくしの中に衝撃が走った。
「ちょっと待ってあなた……まさかイヌが苦手なの?」
わたくしはヴィンセントへ駆け寄る。
「はは。まさかそんなわけな……」
ヨークシャーテリアが元気にほえると、ヴィンセントは口をあけたまま動かなくなった。
うそでしょう? まさか? まさか魔王の弱点がイヌだったなんて……!
「ほらほら行きますわよ。ごめんあそばせ」
婦人はヴィンセントの足元で尻尾を振っているヨークシャーテリアを抱き上げて去っていった。
まさかの弱点を満を持して発見してしまったわ……これはマーガレットとローザに報告すべきかしら。
そんなことを考えていたら、ヴィンセントが咳払いをした。
「ネコは平気なんだ。突然来たりしないし。イヌは何というか、突然来るじゃないか」
まあそうかもしれないが、小さなイヌでもこれだったので、大きなイヌだとどうなってしまうのか心配だ。弱点を見つけてちょっと喜んでしまったが、面白がるのも悪趣味だし。
「意外だわ。あなたにも弱点があるのね」
「人間なんだからあるに決まってるだろう。君は僕を何だと思ってるんだ」
「悔しいけど悪名を除けば完璧な侯爵だと思ってたわ」
イヌにほえられて口をあけて固まっていたヴィンセントの顔を思い出して、吹き出してしまった。
「ごめんなさい。ばかにしてるわけじゃなくて、赤き浮き名の魔王にこんな可愛らしい弱点があるなんて微笑ましいわと思って」
ヴィンセントは恥ずかしいのか居心地が悪そうな顔でわたくしを見つめてきた。いつもやりこめられるのはこちらなので新鮮な気分だ。
「まあそれで君が親しみを感じてくれるなら悪くはないけどね」
「ええ、そうね。あなたも人間だものね」
微笑ましさで口元が緩む。
今日はわたくしの勝ちだ。
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