婚約破棄は独断
「そんな古典喜劇のような理由なわけないじゃないか。ミス・ドロシー・アスター。僕が彼女に言い寄ってるんだ。せっかく『赤き浮き名の魔王』の名をいただいてるんだから、その名に恥じない行動をしないとね。ヘレナはとても面白いから、婚約を申しこもうと思ってるんだ。本気で」
初耳なんですけど! いえ、うそだと分かってはいますけども!
「ロード・デイル」
ヴィンセントが微笑みをたたえて、ドロシーの隣のサイラスに視線をやる。気付かなかったが、ヴィンセントの笑みが剣先のように冷えている。サイラスは具合が悪そうに顔をそむけたままだ。
「あなたがヘレナと別れてくれて本当によかった。婚約破棄は独断だったそうだね。当主は相当お怒りだったと聞いたよ」
え? 独断だったの? わたくしは心の中で呟く。
「まあヘレナも僕と婚約したほうが幸せだろうね。家柄も、財産も、即物的にいって、ね。そうだろう? ヘレナ」
ヴィンセントが耳元に顔を近付けてきて、ささやかれた。
『いいかげんにしなさいよ本当に!』と叫ぼうとした矢先、吐息の声が続く。
「違うって言って突きとばすんだ。言い寄られて本当に迷惑してるって」
ちゃんと計算されていた行動だったことに、言葉を飲みこんだ。
何というか、自分の悪評を使ってわたくしをかばおうとしてくれているということが意外だった。女性と困っている人には優しいと言っていたが、わたくしがみじめな思いをしようがヴィンセントには関係ないのに。
別にヴィンセントに配慮してもらわなくても、わたくしは自分で言い返せる。けれど、配慮してくれたことには感謝しなければいけないだろう。ヴィンセントの言うとおりに突きとばせば、何だか目の前の嫌み女とばか息子に対して面白くない、気がする。
わたくしは息を大きく吸って、吐いて、密着しているヴィンセントの手を握った。
「ええ、そうよ。サイラス……ロード・デイルに婚約破棄されて目が覚めたの。何でこんな頼りない貧乏人と結婚しようとしてたんだって。だから家柄も財産も上のロード・ブラッドローに乗り換えたの。即物的にいって、ね」
わたくしはドロシーとサイラスを交互に見ながら高らかに言い放ってやった。もっとも、サイラスはずっと顔をそらし続けていたが。
「ロード・ブラッドローの胸の好みは知らないけど、わたくし少しだけ胸が大きくなったの。今に誰もが気付くくらい大きくするわ。おあいにくさま」
突然、弾かれたようにサイラスが振り向いた。目を見開いて口をひらく。
「ヘレナ、それって」
「ロード。合図されていないのに男性から話しかけるのはマナー違反だよ」
ヴィンセントが愉快そうにサイラスの声を遮る。どの口が言っているのだと呆れたが、サイラスと話したいわけでもなかったので助かった。
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