第17話 仲直り
それから数日、思った通りというか、真広は外泊生活を続けていた。真広がこんなに怒り続けるのは意外だが、それ程までに私の消失が衝撃だったかと嬉しくもある。私がこんな考えだから、百六十五センチメートルの石像だろうと、ラップで包まれた一握りの粉だろうと真広は何も変わらない。
でもまぁそろそろ、ご両親との仲直りを考えて欲しい――などと思っていたら、私をデスクに載せて昼休みを過ごす、真広の携帯が何度も鳴った。携帯をちらりと見た真広が無視を決め込んでいるし、「着信拒否してるのに、あの手この手で掛けて来るなぁ」と呟いたので、相手は恐らくご両親だ。真広は面倒くさそうに携帯の電源を落としてしまった。しかし、午後の診療が始まる五分前に電源を入れると、また携帯が鳴り出したから、ムッとしながらも通話を始める。
「何の用? これから診療なんだけど?」
不機嫌な真広の反応を総括すると、やはり相手はご両親。どうやらご両親は『謝罪したい』と言っているようだ。携帯の向こうからは泣き声も聞こえてくる。泣き落としに負けた真広が「謝罪を受ける」と了承して診察室へ行き、最初の患者が帰ったタイミングで内線。真広は「ああ、そう……じゃあ診療が終わるまで応接へ」と溜息を吐いていた。思うに、真広の両親が押し掛けて来たという所か。真広は次の患者を呼ぶ前、しきりに「どう来るつもりかなぁ」的な内容を呟いた。かなり落ち着かない様子だったが、患者が診察室に入ってからは普段と変わらない。
そうして、午後の診療が終わった。溜息をついた真広が、私に一度キスしてから移動を開始。その間に私は胸ポケットへ仕舞われる。
真広は応接室にノックもせず無言で入った。すぐにソファへ腰掛けた音がしたから、ご両親が何を言い出すのか待っている感じだろうか。
そこへ母親の声が聞こえてきた。
「礼田さん、どうしてるの?」
「……ここに居るけど?」
ぽんぽん、と近くで音がした。たぶん真広が白衣の胸ポケットを叩いたのだ。次の瞬間、私は胸ポケットの外に出された。
「愛華さんにも謝罪するつもり? だったら構わないけど」
「……まだラップに巻いたままなのね」
「だから何?」
私は真広の手のひらの上に居たけれど、向きが悪くて真広とご両親の様子が目に入ってこない。見えるのは壁だけだ。でも、何かがテーブルにトンと置かれたのは聞こえる。真広はしばらく黙っていたが、手のひらの私をソファテーブルに載せた。今度は視界が合って、真広とご両親、あとお守りみたいな布製品が見えてくる。それは長めの紐できゅっと口を閉じた、グレーとピンクの小さな巾着袋で、中心部分に丸くて透明な窓が嵌められていた。
「礼田さんをラップで包んでちゃキツくて可哀相よ! こっちの巾着袋に入れてあげなさい!」
「えっ……でも布だし、上の方がスカスカだし……漏れて粉が減ると困るからいいよ」
「内側ラミネート加工、四重縫い、中にぴったり閉じる蓋付き。蓋には細かいメッシュが付いてるから、ラップに空気穴よりマシよ」
「へ、へぇ……すごいな。母さんが作ったの?」
「そうよ! ミシンも買っちゃったわ!」
真広は巾着袋を持ち上げ、丁寧な検分を始める。巾着袋を開けたり閉めたり、内側にも触れ確認していた。
「……うん、ラップよりは、こっちの方がいいなぁ」
「当然よ! あとね! 石像になっちゃったとか、そういう事はキチンと言えば良かったの! そこまで物分りが悪かったら、中三の息子を一人で日本に戻すもんですか!」
「あ、ああ、確かに……」
「アンタが何も言わないから、『挨拶に来ない、おかしいわ』って母さんも父さんもヤキモキしちゃったじゃないの! それで礼田さんが亡くなったと聞かされれば尚更よ! 基本的に親ってのは、子供が真っ当な暮らしをしてて、幸せだったらそれが一番なの! 結婚して欲しかったのは、真広が一人っ子で私たちが死んだら親戚しか頼れないから! 子供ってうるさく言ったのは、真広がパパになる幸せを味わえたらいいわねーっていう親心! とにかく! その粉が礼田さんだって話は良く解ったわよ! だったらこっちも、他の人との結婚話なんか出さないし! 礼田さん、至らぬ父母が不始末を起こしましたが、今後も真広をお願いします! 今夜こそ一緒に食事をしましょうね!」
ぽかんとしてしまった真広と私に、ご両親が頭を下げている。いやはや、すごいお母さんだ。でも決して悪い人じゃないし、直接の謝罪は無いが叫んだ内容と頭を下げた事で、十分気持ちは伝わってきた。その証拠に、真広が巾着袋へ私の粉を移している。
巾着袋の中は割と快適で、硬めで透明のアクリル窓があるから外の様子がよく見える。音も蓋のメッシュから取れるので完璧かもしれない。
嵐のようなご両親が帰ったあと、真広は巾着袋を見て「はは、この配色、なにか懐かしいと思ったら、愛華さんのスーツ姿だ。グレーのタイトスカートのスーツに、ピンクのシャツを着た写真を送ったもんなぁ、覚えててくれたんだなぁ」なんて感動している。さっさと仲直りしちゃえ。
私の気持ちが通じたのか、真広はその日のうちに自宅へ戻った。夕食は私をダイニングテーブルに置いてのご馳走。真広はステーキが好きなので、それにお母さん特製のソースを掛けたものと、サラダ、スープ。真広はこのソースに弱いようで、ステーキをお代わりしてドバドバ掛けていた。
その後はリビングに移って、親子三人で酒を酌み交わす。ご両親としては、出来れば初日にこんな事をしたかっただろうに、石像の私を守るため真広は酷く警戒心を出していた。
真広はそんな気持ちや、中二の頃からずっと私を好きだった事、呪われてしまった件、自分の不甲斐なさ、私の全身が石化するまでの心情、その後も変わらない想い、先日私が消えかけた事で「自分の愛は通じていた」と確信した喜び――これらを酒の力も借りて、全部ぜんぶ話していた。ご両親は途中で涙を流してしまい「まるでドラマよ、でも真実なのね……こんな恋愛もあるんだわ……」とティッシュ二箱の勢いだ。
三人は嘘を吐かなければならないとか、疑わなくてはならない、という枷が外れたのか、ぐでんぐでんに酔っ払い、そのままリビングで寝てしまった。何だか私も幸せな気分になり、一緒に眠る。
朝はいつの間にか来ていて、私はちょんちょん巾着袋を突いた真広に起こされた。周囲は綺麗に片付けてあり、真広によれば手紙だけ残してご両親が消えていたそうだ。真広は手紙の中から要点だけ教えてくれた。
「えーと……日本で住む家は決まってるので、ミネアポリスに一旦戻ります。礼田さんと仲良く……だそうです。引越しくらいは手伝ってもいいかな……」
そう言う真広の表情は明るい。本当に良かった。私はほのぼのした気持ちだったのだけれど、真広が巾着袋にキスしながら自慰を始めたので恥ずかしくなる。ご両親が居なくなったら早速だ。真広は幸せを感じていたのか、すぐに達してしまった。
「……はぁ、石像では出来なくなっちゃいましたけど、これなら平気です。愛華さんがこの中に居ると確かに判った今は、それだけで。この巾着袋、クリニックでは僕を見て貰える様に、診察室のデスクに置きますね。移動時は紐を付けてベルトに通すとか、家ではベッドのサイドテーブルが多くなるかな。僕の仕事や日常ばかり見せられて退屈かもですが」
真広が再びキスして、私たちの新しい生活が始まる。
私は真広に宣言された通り、病院のデスクから診察や除霊の様子を見守った。真広は視線や表情を使い分けていて、胸ポケットの中で聞いているだけの時とは随分と印象が違うなぁ、と感心する。よく鬱病の人には「頑張って」が禁句と聞くが、真広は「十分頑張ってますよ。お薬の力も借りて、もっと気楽になれるようにしましょうね」と元気づけていた。妄想が激しい人にはサッと話題の転換を図るのが良いようだ。休職が必要な人にも相手の事情を酌んで対応していた。『仕事をこれだけの期間休みなさい』という診断書を欲しがる人より、『どう仕事と両立させていくか』の案を欲しがる人が圧倒的に多い。その他、笑顔が必要な人には笑うし、治療の邪魔になるなら笑わない。自分と患者の一挙手一投足にまで気を遣う大変な職業だと思った。やっぱり真広は頑張っていて、私も無いはずの鼻が高い。
そこから数ヵ月後だろうか。真広のご両親が日本に戻り、真広は以前に言っていた通り引越しを手伝っていた。ご両親は老体なので、終の棲家とやらは小奇麗な老人ホーム。同じ部屋に二人で入居するらしい。相変わらず元気そうなお母さん曰く「このホームは真広の家から近いので、どうしても自作の料理が食べたくなったら台所を使いに来たい」とか。真広は快く了承してマンションのカードキーを渡したが、わりとマメに来ては冷蔵庫に真広の食事を用意していくし、洗濯物も干してあったりするので――「うーん、これは……何の為のホームなんですかね?」と真広は私に向かって微笑んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます