第13話 花華クリニック 

 しばらく経つと真広は、滅茶苦茶デカい話を持ってきた。遂に真広の夢だった医院を開業するというのだ。診療科目は予定通り、精神科、心療内科、整形外科、内科。整形外科と内科は真広の専門じゃないので、知り合いの医者に頼むらしい。そして、初診の患者の問診票は全て真広がチェック。憑いていそうな患者は、真広が診てから希望の科へ通すとか。これなら「肩が重くて」とか「疲労感がずっと取れない」など、よくある主訴で悪霊にやられていた患者は、真広が手をかざした瞬間に救われる。そこで取りこぼしても、他の科に悪霊や呪いの気配が感じられれば即除霊へ向かうそうだ。


 私は真広の方針に賞賛を送るが、そんな凄い医院の屋号を『花華クリニック』にするのだけは頂けない。華とは多分、私の名前の一部だろう。私がそう思っていると、真広は見透かしたように「あの一千万円、開業資金に使わせていただきました。なので花華です」と微笑んできた。いやいや、開業資金の中の一千万円が微々たる金額というのは、素人の私でも解る。私が喋れたなら全力で遠慮したいが、悲しいかな真広にそれを伝えられない。


 クリニックを建てるのと一緒に、真広は職場の近くへ引っ越した。一戸建てには興味が無いようで、なんだか豪華っぽいマンションだ。医者ならこんなモンか。でもベッドはセミダブルのままだった。石像の私とくっ付いて寝たいという真広の想いは嬉しいが、だいぶ広い寝室なので見劣りする。ただ、寝室には大きな書棚三つに机と椅子、ソファと揃いのテーブル、テレビなどの家電が置かれ、その他にクロゼットもあるし、何というか水周り関係以外は全てここで済んでしまいそうな勢いだった。真広に新居を案内してもらった時「けっこう部屋数があるなぁ」と思っていたから勿体無い。

 でも、毛利と吉岡夫妻、未だ独身の大久保が来て新年会をした際、それぞれに一部屋ずつ宛がっていたから、全くの無駄でもないと思い直した。個室があるので奥さんと子供は先に寝られるし、男衆も好き放題に飲める。


 この面子は何かと真広の家に遊びに来て、まずは真広と私に挨拶、そこから持ち寄った酒と肴で飲んだり食ったり。真広や毛利、吉岡、大久保の会話は懐かしい上に笑えたし、奥さん同士もすっかり仲良くなって――例えば今は『幼児がいても、すぐウマおかず!』のレシピを披露していて楽しい。もちろん日に日に大きくなっていく毛利と吉岡の子供も、舌足らずなお喋りが可愛い過ぎる。


 こんな感じだから、真広のクリニックが開業する直前にもお祝いを持って駆けつけてくれた。お祝いの品はステーキ用の肉が三箱と生牡蠣。ステーキは真広の大好物だが、生牡蠣は最高に苦手な食品である。生牡蠣に対し「ちょっとしたジョークだ」と言った大久保は、両耳を摘まんで持ち上げられていた。よく千切れなかったなと思う。


 一通りの挨拶が終わると、真広はクリニックに皆を案内した。私も当然のように連れて行かれる。どんな建物なのか多大な興味があったので嬉しい。

 まず真広は、出来上がったばかりの外構なんかを見せてくれる。『花華クリニック』というデカい看板は、やはり恥ずかしかった。他にはゆとりのある駐車スペースが幾つか。しかし患者が歩く通路と思しき部分も広め、地面が味気ない程ぺったんこだ。まるで車道のように。私の意見を言わせて貰うなら、敷石を置いたりすればデザイン的に良くなると思う。ただまぁ、その他の部分には芝生と、まだ細い桜が何本も植えてあった。ベンチも用意してあるので「この桜で花見が出来るくらい、真広のクリニックが続けばいいなぁ」などと願う。

 その後、真広はぺたんこな通路を歩いてクリニックの玄関へ向かった。大きくしたカフェみたいな、あまり医療機関っぽくない温かみのある建物が見えてくる。内装は落ち着く濃いめのグレーとアイボリー、間接照明を多用しており、お洒落な感じはするのだが――観葉植物の鉢なんかが置いていないので、どこか無機質だ。あと、床はあくまでぺったんこなのに、待合室にはわざわざ高い床を作っての畳敷きコーナーがあったりする。何となくのミスマッチは奥さん連中も感じたようで、真広に軽く質問が投げかけられた。

「ああ、床がフラットなのも、あの畳も、整形外科の患者さんへの配慮です。デコボコしてると車椅子や杖の患者さんが困っちゃいますし、畳はソファに座れない――例えば腰をやっちゃって横向きで寝ているのがラクとか、膝が曲げられないとか、そういう患者さんが使うんですよ。高さがあるのは座った姿勢から動く方が簡単なので。畳がいいかなぁと思ったのは、利用者がご高齢の患者さん中心と想定しての事ですね」

 その目線で見れば、通路のぺったんこや床に観葉植物を置かない理由にも納得だ。あの辺に緑があればいいんじゃないか? という壁にはしっかり手摺りが付いている。

 後は一番から十番まである診察室、レントゲン室、マッサージやリハビリする部屋を見せてもらい、私としては満足した。毛利たちも「大きいね~」「すごいなぁ」を連発している。そんな中、二、三歳だろう吉岡の子供がタタッと移動し、真広の脚に抱きついた。

「はながわくんー」

「なんだい?」

「いちばんしゅきなのどれしか?」

「……ん? イチバンシュキナノドレシカ……?」

 これを聞き、私の頭の中には何故かカーボンナノチューブとドレッシング、鹿せんべいが浮かんでくる。真広もピンと来なかったようだけれど、吉岡が「この建物の中で一番好きなのは、どの部分かという事です……すみません」と笑いながら翻訳してくれたので理解できた。

「ええと、このクリニックで僕が一番好きな部分は、診察室の奥に廊下があって、全ての部屋が繋がってる所だよ。お陰で僕は好き勝手に移動できる」

「しゅごーい!」

 何が凄いのか吉岡の子供には解らないと思うのだが、チビはチビなりに感じるものがあったらしく、ぱちぱちと拍手する。つられて毛利の子供も意味無く拍手するのが面白い。

 ただまぁ私は「ああ、そうだったか」と今さら気づいた感じだ。真広は内科だろうと整形外科だろうと、怪しい気配を感じればすぐ顔を出して除霊するつもりなのだから、好き勝手に移動できればさぞかし便利と思われる。


 その辺でチビどもが退屈し始めたので、見学は終了。「今日はお祝いだけですし……」と固辞する奥さんたちを押し切り、男衆は大久保を筆頭に真広の家へ戻って飲み会に突入した。普段の持ち寄り式じゃないから、真広は「いただいたお肉でステーキでも」と考えたらしいが、独り者には八人分の食器が無い。

 そこに「おなかしゅいたー、おしゅしぃ」と泣き始める毛利の子供。真広は「おしゅしぃ……お寿司だね!?」と今回は解読し、サビ入り大人用六人前、サビ抜き子供用二人前を発注。寿司はすぐに届いたが、なぜかどれもサビ抜き子供用であった。ちなみに、冷蔵庫にワサビの在庫は無し。『金持ち喧嘩せず』なのか、寿司屋に苦情も入れずワサビを買いに行こうとする真広に、ちょっと酔った大久保が「お前が主役なんだから座っとけ! チビは女房が面倒見とけ!」と言い、同じく酔っ払い気味の毛利と吉岡を引き連れて買い物へ。

 そうして持ち帰って来た物が『ビール、日本酒、つまみ、西洋ワサビのチューブ』だったので、これには真広も奥さんたちも爆笑だ。結局、寿司は醤油だけで食べられ、西洋ワサビのチューブは冷蔵庫へ。たぶん一度も使われずに賞味期限を迎えてしまう気がする。

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